闇と交わす口付け 8
「六年前――友好国であったはずのレイヴンが、突然ミドールに攻め込んできたんだ。結果はレイヴンの大敗。戦の直後、異常発生した特殊生体がレイヴンを襲い、国力の衰えていたレイヴンは瞬く間に崩壊していった」
国一つの滅亡を知らないというのもおかしな話だ。当時十二歳。その程度の理解力は十分にある。
リダは続けた。
「なぜレイヴンがミドールを襲ったのか。明確な理由は分からない。ただ、レイヴンの騎士曰く『これが我らの正義。例え滅びの道を歩むとしても、貫くことが誇りだ』と」
「正義……滅びの道?」
「あぁ。レイグはそう言って死んだそうだ」
「じゃぁ、レイグはレイヴン騎士……」
ライムは顔を強張らせ、首を横に振った。
「そんなのあんまりよ」
リダは少しだけ目を伏せて、「そうだな」と頷いた。
直接対面したかどうかはわからないが、いずれにしても、リダは恋人と殺し合いをしたのだ。あまりにも残酷すぎる。
黙り込んだ俺達に、リダは困ったように苦笑を浮かべた。
「そう暗くなるな。もう昔のことだから」
リダがそう言った時、部屋の扉がやや乱暴に叩かれた。
「リダ、入っても大丈夫か?」
聞き慣れぬ男の声だった。返事も待たずにドアが開き、金髪碧眼の青年が部屋に入ってきた。彼の後ろから、ひょっこりとヴェネスも顔を出す。
「揃っていたのか。邪魔をしてすまない」
「構わないが、返事くらいは待つものだ」
「あぁ……そうだな、悪かった。気が急いてしまって」
背の高い、三十代半ばほどの男だった。腰に剣を差している彼は真面目で精悍な顔立ちをしていて、凛とした雰囲気を持っていた。
彼は俺の方を見て言った。
「初めまして、クレス。私はジルバ公国近衛騎士隊長のメロヴィス・C・アークレイルだ。ヴェネが色々と失礼な振る舞いをしたようで、すまない」
「こっ、こちらこそ、初めまして」
近衛騎士隊長の身分に加え、名前が三つもあるなんて。正真正銘、由緒正しき貴族の血を引いているのだろう。俺は緊張しながら、彼の差し出した右手を握った。
すると不意にメロヴィスが怪訝そうに眉を寄せた。
「クレス、その手は……?」
「え? あっ! えっと、全然大丈夫。気にしないでください」
左手の黒い痣をパッと背中に隠し、俺は笑って見せる。とは言え、誤魔化せたとは全く思えない。
しかしメロヴィスは特に何を言うでもなく、リダへ視線を移した。
「リダ、状況が変わった」
「何?」
「軍に見つかった。もうこちらに迫っているようだ」
「逃げるか?」
「いや、どうやら俺の元部下達らしい。話してみようと思う」
「話す?」
「あいつら――きっと何かあったに違いない」
リダとメロヴィスはテンポよく言葉を交わすが、俺には話が全く見えなかった。するとヴェネスが口を開いた。
「メロヴィス様、まだ時間はあるよ。こういう話、わざわざ怪我人の部屋でしなくてもいいだろ」
「えっ、あぁ……確かにそうだな。場所を変えるか。クレスは――」
「クレスには俺が事情を説明しておく。このまま話を聞いてもさっぱり理解不能だろうし」
「じゃぁライムは――」
「俺達の状況は説明済みだから、ライムはテイルの看病。それでいい?」
メロヴィスの言葉を全部先取りして、ヴェネスが言った。メロヴィスは肩を竦めて苦笑する。
「どっちが指揮官かわからないな」
「えっ!? 別に俺はそんなつもりじゃ……」
「わかってる。説明は任せるよ」
ヴェネスはバツが悪そうに頭を掻くと、「行こう」と俺を促した。
「じゃぁライム、テイルを頼む」
「うん」
部屋のドアに手をかけながら振り返ったリダに、ライムは小さく笑って頷いた。