闇と交わす口付け 2
「みんな死んだのはわかってる。でも、ただ死んだわけじゃないはずだ」
リダは畳み掛けるように尋ねてくる。答えられない。
エルアントは自我を失い、白い血を噴きながら俺達に襲い掛かってきたが、戦闘の最中で本来の彼を取り戻し、首を切り裂いて自害した。クローヴィスは特殊生体テムングスと化し、体の自由を奪われながらも、俺とテイルを助けてくれた。ユーグには会っていないが、フィラルディンは――。一体どうして、こんな残酷なことを彼女に伝えることができるだろう。
「みんな、特殊生体になった」
しかしリダは確信を得ているかのような口調でそう言って、「違うか?」と俺を見つめた。俺が黙っていると、彼女は俺を諭すように小さく微笑んだ。
「黙秘は肯定……そして予感の確定だ。覚悟はできている」
「どうしてわかったんです?」
答えの代わりに疑問を返すと、彼女は自分の胸元に右手で触れた。
「私がそうだから。……あの時、私達は全員、降り注いできた黒い光を浴びたんだ。ほとんどの者はまるで内側から破壊されたかのように、その場で特殊生体となってしまった。黒い光を受けてもすぐに変化が見られなかったのは、恐らく私を含めた六人。国王のレイ様、エル、クローヴィス、ユーグ、フィラルディン――そのうち、黒い光からも抜け出せたのは私一人」
「フィラルディン様も城に?」
「あぁ。フィラルディンがどうかしたのか?」
「いえ……」
言葉を濁すと、リダは目を伏せて、城であったことを語り始めた。
「最初に光を浴びたのはレイ様だった。レイ様は黒い光に包まれてしばらくした後、突然周りにいた兵達を殺し始めた」
驚愕と恐怖が木霊する中、王の姿は少しずつ人間から化け物の姿に変わっていった。濃紺の毛並みを持つ獅子の姿だったそうだ。誰もが目を疑う中、騎士達は次々と黒い光に包まれ、或いは王に切り裂かれ、血の華を散らせていく。リダはエルアントの制止を振り払い、王の眉間に弾丸を撃ち込んだ。
王が倒れても、飛び交う悲鳴と混乱を制す者は誰もいなかった。騎士団長であるエルアントの声すら、誰の耳にも届かない。真っ赤な世界を更に上塗りするかのように血が飛び散り、絶叫は広がるばかり。混乱の中、人々は次々と黒い光に飲まれ――気付けば残っていたのはフィラルディンとリダだけだったそうだ。リダも黒い光を身に受けたが、フィラルディンに隠し扉の向こうへ突き飛ばされ、階下へと落下したらしい。そこで俺達に会った。
「落ちる直前に女の笑い声が聞こえて、フィラルディンが倒れたのを見た。……情けない話だ。やられるだけやられて、襲撃者の姿すらわからない」
リダは僅かに唇を噛み、低く唸った。
……「覚悟はできている」、だって?
俺は自分がどんな表情をしているのかわからなかった。ただ、それは恐らく醜いもののような気がして、何となく顔を伏せながら、彼女に告げた。
「エルアント様は亡くなりました。クローヴィス様はテムングスになって……ユーグ様には会っていません。フィラルディン様のことは、テイル様が目を覚ましたら、テイル様に聞いてください。俺からは何とも言えません」
「……そうか」
俺の言葉に対し、リダは呟くような声で頷いた。それから視線を落として、困ったように笑う。
「おまえもなんだろう?」
「えっ?」
「その左手」
「!」
リダの前に黒ずんだ左手を晒していたことに気が付いて、俺はハッとしてそれを背中に隠した。当然、もう遅い。
「気を付けた方がいい。どうやら魔導力を使うことで、この黒い痣は一気に広がるらしいから」
「そんな!? じゃぁさっきテイルを治療した時の魔術――」
「私の特殊生体化を早めるきっかけになったには違いない。だが、それが何だというんだ?」
リダは言いながら、ベッドで眠っているテイルに手を伸ばした。指先でテイルの頬に触れて、刻まれた傷痕の上をそっとなぞった。そうする彼女の唇は震えていて、今にも泣きそうな顔をしていた。
「我が身可愛さに、彼を失う方が恐ろしい」
「…………」
「テイルは絶対に敵わないと知っていて、余裕綽々を装って敵に飛び掛かる。使い捨ての駒、時間稼ぎの盾、それで死んでも構わないなんて、以前平気で口にした大馬鹿だ」
リダは震えていた唇をきゅっと引き結び、それを無理矢理、苦笑に変えた。テイルの頬に触れていた手を離して、俺に視線を戻した。
残酷な黒い亀裂。身体から零れる白い血。あまりにもおぞましい存在に、俺も彼女も変わっていく。それなのに、どうしてリダは――。
「今日はゆっくり休んでおけ。おまえ達のこと、メロヴィスには私から伝えておく」
「いいんですか? あの……そんな、悠長に構えていて」
「真っ青な顔してるおまえをこれ以上問い詰めたりしたら、ライムに殴られる。それに」
リダは言葉を切ると、もう一度テイルを見遣った。
「テイルの容体も心配だ。今夜くらいは彼を看てやりたい」
その台詞に、またも驚きを隠せなかった。
……彼女はもっと冷酷無比な人だと思っていた。
「ライムの部屋は、ここから左に二つ目だ。行ってやるといい」
そう言われた途端、俺は冷水を浴びせられたように動けなくなった。
彼女に会ったら、全部壊れてしまう。
いや、自分で言ったはずだろう……。きっとライムは殺したいほど俺を憎む、そうしたら喜んで命を差し出すと。
「どうした?」
不審そうにリダが眉を寄せる。
「いや……」
全てをライムに話さなければなるまい。
話さないわけにはいかないのだから。
俺は震える手を、ぎゅっと握り締めた。
「何でもありません」
「……そうか」
リダはまるで全て見透かすような眼で、じっと俺を見つめてきた。
「おまえ達を繋ぐのは、どんな絆なんだろうな」
「……?」
「テイルのことは任せてくれ」
リダはそれきり口を閉ざし、俺は彼女に小さく会釈をして部屋を出た。重い足取りで教えられた部屋の前へ行き、ドアの前で立ち竦む。
このドアを開けたら、俺は彼女を失う。
俺は、彼女の両親を殺したであろう特殊生体なのだ。
今まで家族として傍にいた男が、実は自分の仇だったなんて知ったら、ライムはどうなるだろう。
全て打ち明けて、後は彼女の望むままに。
俺は意を決して目の前のドアを叩――
ガチャッ。
――こうとしたが、その前にドアが開いてしまった。
「うぇっ?」
思わず間抜けな声を出して、そのまま硬直する。視線を落とすと、ライムが驚いた顔で俺を見上げていた。