闇と交わす口付け 1
【 五・闇と交わす口付け 】
リダがテイルをベッドに横たわらせているのを見つめながら、俺はずっと沈黙していた。リダはテイルを介抱しながら俺にタオルを差し出してくれたが、そのタオルはほとんど乾いた状態のまま、俺の肩に垂れ下がっている。
リダ曰く、ここはジルバ公国領にある村の宿屋だそうだ。村と言っても廃村で、建物はそのまま残されているが、がらんどうで誰もいない。ジルバは戦乱の歴史が長く、こういう村は少なくないらしい。
「ジルバが内乱中なのは知っているな?」
疑問符で話しかけられて、俺はようやく口を開いた。
「国が特殊生体に襲われて、それに便乗した騎士が反乱起こしたっていう国ですよね」
言うと、リダは小さく頷いた。
「そうだ。ちなみに本人は否定しているが、その反乱を起こした騎士というのがヴェネスだそうだ」
「あいつが反乱を? ……そういえばヴェネスは?」
「心配無い。〈ワープ〉の転送先ではぐれても、合流できないような遠い場所に行くことはない。少なくともヴェネスは三人に〈ワープ〉を使えるくらい元気なんだろう? それとも、彼も怪我を?」
「いや……」
「じゃぁ、大丈夫」
「そうですか」
俺は頷き、そのまま口を閉ざした。何となく気まずい空気が流れたが、やがてリダが口を開いた。
「ミドールの地下でのこと……すまなかった」
「え?」
唐突なリダの言葉に、俺は眉を寄せた。
「あの時、私も焦っていた。もちろん、謝って許されることじゃないのはわかってる」
まさかリダがあのことを謝ると思っていなかったので、俺は口を半開きにして、固まってしまった。
「本当にすまなかった」
リダはもう一度そう言って、申し訳無さそうに項垂れた。俺はそんな彼女にどう対応していいのかわからず、思い付いた疑問を投げかけてみた。
「あの……リダ様はハク王女を探しているんですよね?」
「……あぁ」
「あの時の貴女は自分だって生きるか死ぬかの状態だったのに、どうしてあんな無茶を?」
尋ねると、リダは僅かに苦笑を浮かべた。
「私の魔導力が人並み以下なのは知っているな?」
「え? えぇ……」
リダはライムとは正反対に、魔導力ではなく強いイメージを以て、強力な魔術を展開する。しかしその凄まじい攻撃力に反して、魔導力そのものの強さは一般人と変わらない。
「行方不明の王女を探すにあたって、団長に言われたんだ。『王女の魔導力を追え。王女の力が必要になる』って。……そうなると、私は王女から離れれば離れるほど、その痕跡を辿れなくなってしまう。だから早くあの地下道を出たかった」
「王女の力が必要って……でも一体いつから王女様は行方不明なんですか?」
「さぁな。少なくともミドール襲撃の四日前から、私は王女の姿を見ていない。そんな状態で私に王女の魔導力を追いかけろなんて、団長も無茶を言う」
リダは溜め息をつき、肩を竦めた。その時俺の頭を過ぎったのは、ジンと共に協会にいた王女の姿だった。あれは確か、ミドール襲撃の四日前だ。
「…………」
背中を伝うように、戦慄が走る。本当に――ジンは何をしていたんだ。
「四日も王女様の姿を見ていないのに、誰も気にならなかったんですか?」
「王女がいないなんてことになったら、当然すぐに探す。……誰も気付かなかったから問題なんだ」
「それって……?」
「恐らく精神系統高位魔術〈フィールド〉によって、王女の姿は隠されていた。〈フィールド〉には存在感を極めて薄くさせる効果がある。術にかかったら、術の対象者はいてもいなくてもわからない」
「誰が何でそんなことを?」
「私が知りたい」
リダは眉間に指を当て、もう一度溜め息をついた。俺は更に尋ねた。
「あの地下道の魔術って、王女様の〈ファントム〉なんですか?」
「あぁ、そうだ。あの通路は王族の有事に備えて王家が代々守っているもので、本来は私やおまえ達が使うような通路ではないんだ。王女が何度も〈ファントム〉を上掛けしているから、仮に王女の魔導力が一時的に不安定になっても、しばらくは効力が継続するほど強力だ」
「でも、テイルは誰の使った〈ファントム〉なのかはわからないって……王女の力に似てるとは言ってたけど」
「あの通路の存在は、王宮騎士ならみんな知っている。だが守り手が誰なのかを知っているのは、私と団長だけだ」
リダは言って、首を横に振った。
「ただ、あの時の私は明らかに冷静さを欠いていた。まさか王女の罠に引っ掛かって、海を越えるハメになるなんて」
「王女の罠……。リダ様はどうしてジルバに?」
リダは部屋の隅にあるクローゼットへ向かうと、中の服を俺の方へ投げて寄越した。バサバサと服が床の上に落ちて、最後に青いトランクスがその上に乗った。
「着替えた方がいい。風邪をひくぞ」
「……ぁ」
俺は自分の格好を見下ろし、ここにきてようやく、肩にかかっていたタオルで濡れた体を拭った。リダがこちらをじっと見ていたので下着に手をかけながら視線を返すと、彼女は僅かに眉を上げて、俺に背を向けた。そうしながら、リダは続けた。
「おまえ達をブチのめしてすぐに、王女の罠に引っ掛かったんだ。多分、適当な場所に転移させる〈シフト〉だと思う。ふらついて壁に手を付いたら、いきなり赤い光に包まれて――気付いたらベッドの上で、メロヴィスとヴェネスがいた。もう王女の手がかりも気配も魔導力も、さっぱりだ」
「でも、ここも特殊生体の大量発生にやられてるんですよね……ミドールと何か関係があるんじゃないですか?」
俺はずぶ濡れの体を拭きながら尋ねた。真っ白だったタオルは、血と泥に塗れてあっと言う間に汚れてしまった。
「あぁ。それだけが頼りだ。だが、王女の手がかりについては望み薄だな。そもそもミドールとジルバの間には国交が無い」
俺が着替え終わる頃、リダは長く息を吐いた。
「それで、さっきの……聞きたいことがあるんだ」
「何ですか?」
促すと、リダは一呼吸置いて、覚悟を決めたように俺を振り返った。
「団長は……――エルはどうなったんだ?」
俺は咄嗟に答えられなかった。