外れた鍵 4
ホッと気を緩めていたところにライムの警告が飛んできて、俺はハッとして顔を上げた。すぐそこに、飛んでくる矢の切っ先がある。
「!?」
咄嗟に取った行動は、自分でも信じられない結果を生んだ。
「ん……ぅ」
俺はよろよろとその場に尻餅を付き、口中に広がる血の味を、何が何だか分からないまま吐き出した。鏃が血塗れになっている矢が、カランと音を立てて地面に転がった。
一体どうやったのか覚えていないが、俺はどうも、口でくわえて矢を受け止めたようだった。舌と上顎がズキズキと痛むが、頭が真っ白で状況を把握できない。これが白刃取りならぬ白歯取りかと、どうでもいいことだけ思い付いた。
「クレス! 無事か!?」
そこへ聞き慣れた声がして、俺は呆然としたままそちらに顔を向けた。慌てた様子で駆けてくるのは、深緑色の弓を手にした黒髪の青年――ジンだった。
彼は俺の傍に膝を着き、俺に大した外傷が無いことを確認すると、安堵したように表情を和らげた。
「良かった……顔面吹っ飛ばしたかと思った」
怖いことを言いながら、ジンは空いた片手を天に翳す。直後、辺りに残っていたレッドウルフ達の頭部を水球が包み込み、彼らは次々と窒息死していった。水系統低位魔術〈アクア〉を発動させたようだが、低位とはいえ、一瞬のうちに複数個の〈アクア〉を的確な位置に作り出すのは、誰にでもできるような技ではない。ジンは片手間に遣って退けたが、ライムなら真剣に挑んでも不可能だろう。
「すまん。〈エクスプロージョン〉の爆風で、思いっきり吹き飛ばしちゃったんだ。……少しでいい、口を開けるか?」
促されるままに口を開けると、ジンは大きな掌を俺の口元に翳した。すると、ほんの一呼吸のうちに痛みが和らぎ、後には血の味だけが残った。
ジンの容姿は、少しクセのある黒髪に、穏やかな湖面のような藍色の眼と精悍な顔立ち。物静かで口数が多い方ではないが、優しくて気の利く、兄のような存在だ。
「まさかクレスがブラッドマンティスを仕留めるとは思わなかったよ。その上、俺の矢に食い付いて止めるなんて」
「俺も自分でびっくりしたよ……完全にまぐれだ」
「でも、俺があと少し気付くのが遅かったら、矢に込めていた魔術を解くの、間に合わなかったかもしれない」
言われて、ギクリとしながら聞き返した。
「魔術って……何を使ってたんだ?」
「炎系統高位の〈エクスプロージョン〉だ。矢が刺さると同時に爆発するように仕込んでた」
「エクスプロ……って、おまっ! そんなの食らったら、俺死ぬから! 木端微塵だから!」
「や……すまなかった」
ジンは申し訳無さそうに頭を下げるが、危うく頭部爆発で死亡するところだったなんて、今更のように冷汗が滲んできた。
「いっそのこと、その取り柄の無い顔を爆破整形した方が良かったんじゃない?」
つい先刻ブラッドマンティスに殺されかけたにも関わらず、ライムが軽い口調でそんなことを言ってくる。
「失礼な奴だな。ジンに下着の色バラすぞ」
口の減らないライムに、セクハラ紛いの脅しをかけたが、
「下着なら、今日は黒のレースよ」
彼女はあっさり自己申告した。ジンは少し動揺した様子で頬を染め、俺は思わず閉口する。
「でも、ジンが獲物を取り逃がすなんて珍しいわね。何かあったの?」
「えっ? ……あぁ。予想の範疇に入れておくべきだったんだが、ブラッドマンティスが五体もいたんだ。俺とブラッドマンティスは同階級だから、少し手間取った」
「これが五体も……?」
「あぁ」
頷いたジンは、白い血の海を作って倒れているブラッドマンティスを一瞥すると、膝に手をついて立ち上がった。
「とにかく、この事態は異常だ。ミドールの周りに十階級と十六階級の特殊生体がこんなに現れるなんて有り得ない」
俺達が暮らしているミドール王国は、まるで平和を絵に描いたような国である。特殊生体の出現地域はある程度決まっているのだが、ミドール王国の周りには、基本的に六階級以下の特殊生体しか生息していない。そんな地域にレッドウルフやブラッドマンティスが現れるなんて前代未聞の事件だ。
「まぁ、ひとまず帰ろう。――ほら、クレス。立てるか?」
「あ、さんきゅ」
差し出されたジンの手を取り、俺は若干ふらふらしながら立ち上がった。なぜか視界が歪んでいる。
「どうした、腰が抜けたか?」
ジンはクスッと笑って、小さく首を傾げる。
「いや、そんなことは無いけど……」
目元を手で押さえ、頭を軽く振ったが、目眩のようなものが抜けない。様子のおかしい俺に、ジンが心配そうに眉を寄せた。
「おい、大丈夫か?」
「ん、あぁ。大丈夫、ちょっとクラッときただけだから。最近寝不足なんだ」
「寝不足?」
「まぁ、心配要らないって。夢見が悪いだけだから」
俺は苦笑して、ジンの手を離す。心配そうな顔をしている彼に「大丈夫だから」と繰り返して、大剣を背中の鞘に収めた。
「よし、行こうぜ」
ニッと笑って見せると、ジンは安心したように、小さく笑って頷いた。ライムの反応が無いのでどうしたのかと視線を移すと、彼女は突然、俺の鳩尾に蹴りを入れた。
「げぁっ!?」
「クレス!?」
蛙が潰れたような声を出し、蹲った俺。びっくりしたようなジンの声の後、ライムが鼻で笑った。
「ふん。……ねぇ、ジン。頼みがあるの」
「え、何でクレス蹴ったの?」
「クレスが馬鹿だからよ」
「あぁ……」
なぜか納得したように頷くジン。ふざけるな。
俺は右手だけを伸ばし、ジンの服の裾を掴んだ。だが、抗議しようにも苦しくて声が出ない。二人は俺を見事に無視。ジンのことを〝優しくて気の効く〟なんて表現したことを撤回しようと思う。
そして俺が動けないうちに、ライムが何やらジンに耳打ちしている。見上げると、ジンは怪訝そうに眉を寄せ、小さく頷いた。ライムはニッコリ笑って俺を見下ろした。
「じゃぁ、そういうことだから――クレス、今日はシチューが食べたいな」
「い、意味わかんねぇ……」
「ジンが泊まりに来るって話よ」
「……へ?」
ジンを家へ誘う話をするだけなのに、なぜ俺は蹴られたのだ。