裏切りと崩壊 12
「それは俺に対する侮辱なのか? いくら貴女のことが嫌いでも、そんなやり方に訴えるほど堕ちてない」
強く吐き捨てた。だが、なぜだろう。ひどく苛々する。性の弱みに付け込むような男だと思われたのが気に入らないのか、それとも、理不尽に俺とライムを半殺しにしたリダ自身が気に入らないのか。わからないけれど、妙に腹が立つ。
殺してやろうか。
「!?」
当然のように頭を過ぎった考えに、俺はハッと目を見開く。
「何だ、今の……」
ぞく、と背筋に悪寒が走り、先刻まで自分の中に存在していた苛立ちが、嘘のように引いて行った。代わりに、言い様の無い恐怖に襲われた。
「クレス」
だがその時、後ろからリダに名を呼ばれた。
「すまなかった。今のは怒らせて当然だ。……許してくれ」
その言葉に、俺は少しだけ驚いた。彼女から謝罪の言葉が出るとは思っていなかったのだ。続いた台詞に、更に驚く。
「おい、ひどい有様じゃないか。服も血塗れだし……おまえは魔術を使えないんだろう? 怪我をしているなら、治さないと。大丈夫なのか?」
「いや……。そうだ! 俺よりもテイルが大変なんです。早く探して治療しないと、命に関わるかもしれない」
「え?」
「テムングスにやられたんです。ヴェネスの〈ワープ〉で移動してきて、さっきまで一緒だったはずなのに」
するとリダがサッと脇を通り過ぎ、脱衣場へのドアを開けた。惜しげもなく俺の前に晒された白い裸体には、あまりにも無残な傷痕が大量に刻まれていた。真っ直ぐに伸びた背や、細く引き締まった腰、円やかな尻や、すらりとした脚――部位などお構いなしに、裂傷や銃痕、火傷の痕が残っている。
思わず息を呑んだ俺だが、リダはそんな俺の反応など気にも留めずにバスタオルを巻くと、濡れた髪を手早く上げて、バレッタで留めた。
「移動先ではぐれるのは、〈ワープ〉ではよくある話だ。きっと近くにいる。テイルを探そう」
「探すって、その格好で!?」
「命に危険が差し迫っているなら、構っている場合じゃない」
「いや確かにそうなんだけど……って、ちょっと!?」
リダは脱衣場の扉を開けると、裸にタオル一枚という、何とも魅惑的な姿で廊下に出た。慌てて後を追ったが、タオルの上に形良く浮き出した尻と、傷だらけながらも付け根がギリギリまで見えている長い脚や、堪らない色香を醸し出しているうなじに気を取られていたせいで、廊下に出てすぐ、彼女が立ち止まったことに気付かなかった。
「わっ!?」
リダの背中に激突し、後方へたたらを踏む。彼女の肩越しに、血塗れで倒れているテイルの姿が見えた。
「テイル!」
リダはテイルの傍らに両膝を付き、血に濡れた彼の首筋に、指先で触れた。そこに脈動を感じたのだろう。リダは安心したように小さく息を吐くと、テイルの身体に両手を翳し、呪文を唱えた。
「アイラ・セレスティ・リスタル・リダ――……うぁっ!」
しかし、リダが魔力を集束させようとしたその時、ピシィッと、乾いた破裂音が空気を震わせた。リダは自分の胸を押さえて、苦しそうに顔を歪めている。
「リダ様!?」
「っく……何でも無い。〈フェアリーブレス〉!」
何でも無い、と言う割には呼吸すら荒くして、リダは治癒系統中位魔術〈フェアリーブレス〉を発動させた。しかしリダの〈フェアリーブレス〉はひどく不安定で、テイルの傷口に降り注ぐ光が、時々霞むようにブレていた。それに魔術を使っている間、テイルに翳したリダの手は小刻みに震え、額には脂汗が浮かんでいた。
「おいっ、大丈夫なのか!?」
「……問題無い」
明らかに問題有りそうな様子でリダが応じた、次の瞬間だった。
ビシィィイイイッ!
「うああああああ―――――っ!」
木材が一気に引き裂けたかのような大きな音がして、リダの喉から悲鳴が迸った。〈フェアリーブレス〉の光が消えて、リダの身体が床の上へ倒れ込む。
「リダ様!」
「あっ……ぐっ、ううう」
リダは自分の胸を押さえて苦しそうな呻きを漏らし、床の上で身を震わせていた。体に巻いたバスタオルが緩んで乳房が半分ほど露出してしまっていたが、彼女の胸元には、それ以上に目を引くものがあった。
「何だよ、その痣……」
リダの胸の中央から、まるで周囲に根を張るように走っている、黒い亀裂。それは彼女の白い肌を食い破るように広がっていて、その黒い亀裂と肌との堺目には、真っ白な液体が滲んでいた。亀裂はしばらくの間ビシビシと音を立てて蠢いていたが、やがて動かなくなった。
「――っ、はぁっ、はぁっ……」
リダは胸を押さえたまま荒い呼吸を繰り返していたが、しばらくして痛みが去ったのか、ゆっくりと全身の力を弛緩させた。
「リダ様、しっかりしてください!」
ぐったりとしているリダを抱き起こすと、彼女は何度か咳込んで、白い血を吐いた。
「嘘だろ……」
愕然として呟くと、リダが俺の胸元を掴み、それを支えに身を起こした。
「くそっ……」
リダは手の甲で口元を拭い、バスタオルを引き上げて、黒い亀裂の走る胸を隠した。
「頼む。誰にも言わないでくれ」
「…………」
俺は沈黙し、テイルに視線を移した。全身の出血は止まったようだが、ざっと見た様子でも、右頬の傷痕はくっきりと残ってしまっている。不安定な〈フェアリーブレス〉だったから、綺麗に治すことができなかったのだろう。
「なぁ、クレス……聞いてもいいか?」
リダはそう言って俺を見上げた。しかしすぐに首を横に振ると、どこか儚いような笑みを浮かべた。
「いや、後にしよう。とりあえず服を着てくるから、テイルを看ていてくれ」
彼女は小さな溜め息をつくと、静かに立ち上がった。脱衣場のドアを開き、疲れたような顔をして、その奥へと姿を消した。
気を失っているテイルの頬に刻まれた傷痕を見つめ、俺は人ならざるものへと化した左手を、ぎゅっと握り締めた。