裏切りと崩壊 11
「うああああああああああああああっ!」
「テイル!?」
テイルの全身から真っ赤な血が噴き出し、体が独楽のように回転しながら飛んでいく。そして物凄い速度で見えない地面に叩き付けられ――……それきり、彼の身体は時折ピクンと痙攣するばかりになった。呻き声一つ聞こえず、黒い服から染み出す真っ赤な血だけが、妙にくっきりとした様相で広がっていく。
愕然と目を見開いた俺の身は恐怖に震え、唇からは引き攣った呼気が零れた。
「ふふっ。心配しなくても、その男、当分死ねないから平気よ。どうせなら、声も出ないほどの痛い思いしてもらおうと思って」
「おまえっ!」
叫ぶも、俺はあまりに無力。恐怖を振り払って剣を構えることも出来なければ、テイルのもとへ駆け寄ることもできない。釘でその場に打ち付けられているようだった。
「怖くて動けないのね。ふふっ……貴方の知っている死は、ひどくおぞましいものだから。貴方はすっかり忘れてしまっているようだけれど、魂がその感覚を覚えているのよ」
「俺は……」
俺の知る死、とは一体何だ。
頭に霞がかかり、おまけにうまく息ができない。
いや、うまく息をしていないから頭が霞むのか。
また目眩がする。
――義父さん……寒いよ。
――可哀想に。こんな姿になってもまだ死ねないのか。
――義母さん……助けて。
不意に闇より浮かび上がったのは、見覚えのある自宅のリビング。そして、そこに転がっている少年の俺。大きく裂かれた腹から臓物が溢れ、胸を貫かれ、額には銃によって開けられた風穴があり――そのどれからも、恐ろしい量の赤い血を流している。
だがそれでも俺は生きていた。潰れかけた芋虫のように無様な姿で、辛うじて動く眼球を使い、襲撃者を見上げていた。
彼の顔立ちには、覚えがある。……王宮騎士団の団長、エルアントだ。
感覚でわかる。これも俺の過去――……
「しっかりしろ、クレス!」
急に鋭い声がして、俺は大きく目を見開いた。途端にリビングの光景が目の前から消えて、真っ暗な闇が戻ってきた。俺の正面では、死んだはずの王宮騎士クローヴィスがリィナと対峙している。
「クローヴィス様!?」
「しっかり自分を保たないと、あっという間に消されるぞ」
「消される……?」
「情けない話だが、遂に俺も肉体を奪られちまった」
クローヴィスは真紅の槍を握り、前髪を掻き上げた。彼が手にしている槍は、よく見ればテムングスが持っていたのと同じ物だった。
「それ……」
声を漏らすと、クローヴィスは苦笑を浮かべ、頷いた。
「そう。おまえが戦っていたテムングスは俺だ。……まぁ、身体の自由こそ失ったが、俺の意思がここにあるうちは、あいつの好きにはさせん。あそこのモヤシを連れて、ここから逃げろ。あいつは俺が足止めしておく」
「モヤシ?」
クローヴィスは、くいっと親指でテイルを示し、槍を構えた。リィナがニヤリと笑う。
「あら、貴方といいエルアントといい……予想以上の出来ね」
「時間はかかったが……これでも生きてるからな。俺達が人形だなんて、二度と言わせねぇ。足掻いて足掻いて、足掻きまくってやる! 騎士の魂にかけて!」
「へし折ってあげる。どう頑張っても、貴方はただの人形よ」
「やってみな!」
バシィッ!
クローヴィスが槍で暗闇を一突きにすると、倒れているテイルの傍らに、白い光の渦が現れた。
「クレス、行け!」
「でも……」
「構うな! 早くっ!」
クローヴィスが声を荒げ、俺は弾かれたように駆け出し、テイルを抱き上げた。全身が血に濡れてヌルヌルと滑り、赤く汚れた肌は蒼白だった。微かな呼吸音だけが、彼の命を繋いでいる。
「その光から外に出たら、すぐに逃げるんだ! いいな!?」
クローヴィスが叫んだ。俺は頷いて、テイルと共に光の中へ飛び込んだ。
「クレス、テイル、無事だったか!」
するとすぐにヴェネスの声が聞こえて、直後、今度は視界が赤い光に満たされた。
「三十六計逃げるに如かず! 魔力足りないから、ちょっと乱暴だけど勘弁な! ウォルト・クレイ・カイト・ヴェネス――〈ワープ〉!」
こちらから言うまでもなく、ヴェネスは逃げるつもりでいたらしい。変化系統高位魔術〈ワープ〉の呪文と共に、体が一瞬宙に浮いたような奇妙な感覚に襲われた。そして――
「うぉっ!?」
間抜けな悲鳴と共に、落ちた。
バシャァァアアンッ!
「がぼっ……!?」
全身がじんわりとした感触に包まれ、喉に熱い液体が流れ込んで来る。耳元ではゴボゴボと低い音がして、自分が液体の入ったそれほど広くない空間に落ちたことに気付く。空気を求めてもがいていると、弾力のある滑らかな物や、短い藻のような物が何度か指先を擽った。
最後に低反発ボールのような心地良い物体を握り、俺はようやく水面に顔を出すことに成功。最初に視界に飛び込んできたのは、眩いばかりの女の裸体だった。
「!?」
俺が握っているのは、俺の手にも余るような豊満な乳房の片方。俺の下敷きになって口元まで湯に浸っているリダが、驚いたように目を見開いて、俺を凝視していた。
どうやら俺は、リダの入っている湯船の中に〈ワープ〉したらしい。慌ててそこから飛び出して、彼女に背を向けた。
「すすすすすみませんっ!」
「…………」
物凄く動揺しながら謝罪した俺に対し、リダは慌てた様子も見せず、無言だった。直後、ザバアッと大きな音がして、ヒタヒタと彼女が床に足を下ろした気配がした。
「……随分紳士だな」
彼女は抑揚の無い声で、俺の背に向けて言った。
「あの時のこと、腹に据えかねているはずだ。それなら腕の一本や二本へし折って、犯すなり殺すなり、私を好きにすればいいのに。いくら私でも、あの体勢で男に襲われたら太刀打ちできない」
「……っ?」
リダは何を言っているんだ。
理解できない。さすがの俺も、一気に動揺が冷めた。




