純白の欲望 12
「〈シフト〉!」
「〈イクスティン〉!」
俺が放ったのは、変化系統中位魔術〈シフト〉。
テイルが放ったのは、防御系統中位魔術〈イクスティン〉。その桃色の光は、俺とテイルを隔てるように、巨大な壁となって立ち塞がった。
「うわっ!?」
そして同時に俺の両手足と首が何かに巻き取られ、次の瞬間、俺は強い力で床に引き摺り倒された。両手足を拘束されている為に受け身を取れず、俺は顔面から床へと突っ込んだ。テイルは光に紛れて、糸による攻撃を仕掛けてきていたのだろう。
だが無様に転がった俺の下に集束した魔力は、テイルには向かうことなく大きく旋回。真っ赤な光となって、眠っているライムの身体を包み込んだ。
変化系統中位魔術〈シフト〉は、対象を不特定地点に転移させる効果を持つ。どこに辿り着くのかわからないのが難点だが、自由自在に瞬間移動ができる〈ワープ〉になると、そのイメージの描き難さから、世界でも一握りの魔導師しか使えない超難度の魔術になってしまう。
「え!?」
テイルの驚愕の声が聞こえ、俺は祈るように叫んだ。
「頼む、発動してくれ!」
刹那、ぐわん、と空間が大きく震え、ヴヴヴヴヴ……と奇妙な振動音が響き始めた。しかし真っ赤な光が不安定に歪むばかりで、魔術が発動する気配は無い。一方で、魔導力に見合わない魔力を使ったせいだろう。疲弊感が圧し掛かるように俺の身体を襲い、急激な吐き気に胃が焼けそうになった。頭の奥が粉々に砕けてしまいそうに痛む。
「くそっ……」
魔術失敗への悪態を吐き出したものの、ひどい頭痛に視界が霞んだ。
「一体どうして〈シフト〉なんて――……」
〈イクスティン〉の壁が輝き続ける中、テイルが愕然とした様子で呟く。床に這い蹲った格好のまま、俺は口の端を上げた。
「テイル、頼みがあるんだ」
「…………」
「いや、この状況で殺さないでくれなんて言わないから、聞いてくれ」
沈黙したテイルに苦笑を漏らす。ほんの僅かに、俺を捉える糸が緩んだ。
「思い上がりと言われるかもしれないけど――俺は、ライムの前で死ぬわけにはいかないんだ。特殊生体に両親が殺された時のような憎しみを、おまえにぶつけさせたくない」
「構いません。……他愛も無いことです」
「違ぇよ。誰もおまえの心配はしてない。……ライムは何よりも孤独を恐れてる。俺が死んで、おまえを恨んだら――ライムを支えてやれる奴がいなくなる。そんなことになったら、ライムは両親が死んだ時と同じ様に、また笑えなくなると思うんだ。ライムの目の前で、俺が血塗れで転がってるような真似をするわけにはいかないんだよ。だから〈シフト〉でどっかに行ってもらおうと思ったんだけど――失敗したから、その辺おまえが配慮してくれないか?」
「〈シフト〉で誤魔化して、死んだ自分を探させることになるのも酷だと思いますがね」
「まぁ、そうだけど」
苦笑するとしばらくの沈黙の後、ギシリと俺を締め上げる糸に力が込められた。あぁ、俺は死ぬんだ。そう思ったら、急に怖くなった。
「死体の始末、よろしくな」
恐怖を押し隠すように、おどけた悪態を吐く。
すると不意に、テイルが口を開いた。
「僕に殺されたくなかったら、『死にたくない』。そう一言呟けばいい」
首にかけられた糸が緩む。顔を上げてみると、テイルがじっとライムを見つめていた。ライムの身体はまだ薄っすらと赤い光に包まれていたが、光はもう今にも消えそうだった。
「『死にたくない』?」
「えぇ。……僕の最大のトラウマですよ」
テイルはそう言って、静かに両手を下ろした。四肢が解放され、シャランと静かな音が、彼の手元で震えた。
「危うく命令違反をするところでした。クレスとライムを守れっていうリダの命令に背いて、無能扱いされるのは嫌ですからね」
「テイル……?」
身を起こすと、テイルの手がそっと俺に翳され、みるみるうちに白い血を流していた傷が塞がっていった。
「僕にクレスの生死を問う資格はありません。……ただ一つ言えるのは、今後、肉体と意識が特殊生体に蝕まれていく苦しみは、恐らく貴方の想像を絶するであろうということ。貴方が死を望むなら、僕はそれに応えます。その時ばかりは、命令違反も甘んじて受けましょう」
まるで、以前それを経験したかのような口ぶりだった。
「特殊生体に蝕まれるって……何だよ」
テイルを凝視すると、彼は俺から視線を逸らし、ライムの方を向いた。
「昔、友人がいたんです。原因不明の特殊生体化。……団長やレットのように突発的に特殊生体になるのではなく、日を重ねる毎に、じわじわと肉体を侵されていきました。この様子だと、多分クレスは彼と同じでしょう」
「……その人、どうなったんだ?」
「死にました。――僕が殺したんです。特殊生体化による殺戮の衝動に駆られながらも、理性がそれを拒む。変異に肉体が耐え切れず、引き裂けた全身から血を噴きながら、彼は自分を殺してくれと、僕に」
人間が特殊生体になる。テイルが「昔」と口にするほど前から、それは起きていたというのか。そんな事実を俺は――いや、恐らくミドール国民のほとんどが知らなかったはずだ。
「そんな。俺もそれだって言うのかよ。原因不明って……」
咎めるように言うと、テイルは悲しそうに被りを振った。
「ともかく、痛い思いをさせてすみませ――……えっ?」
キュルキュルキュルキュル!
奇妙な音がライムの方から聞こえる。不思議に思って視線を送れば、予想だにしないことが起きていた。
「嘘だろ!?」
「アヴェロ・イリィフィリッツ――」
ライムの体が半分透けている。術を打ち消そうとしたのか、俺の驚愕の叫びと同時にテイルが呪文を唱えようとしたが、遅かった。
パシュンッ……。
間の抜けた音と共に、てっきり失敗したと思っていた変化系統中位魔術〈シフト〉が発動。
ライムが世界のどこかへ飛んで行ってしまった。