純白の欲望 11
「う!?」
視界がぐるりと反転し、俺はライムに首を絞められたまま、彼女に組み敷かれる格好となった。首に掛かっているのは片手だけなのに、凄い力だ。何とか抵抗しようと両手で彼女の腕を掴むも、ビクともしない。不思議と苦しくは無いのが、妙な話だった。
「くそったれ……誰だ、てめぇ」
「わかる? 忌々しい封印が解けたわ」
彼女の顔には、俺の知っているライムなら絶対に浮かべようはずもない、残忍な微笑みが浮かんでいた。
「おい、あいつの顔でそんな表情すんじゃねぇよ。せっかく押し倒されてるのに、萎えるだろうが」
精一杯の虚勢を張る。ライムもどきはおかしそうに笑った。
「大丈夫よ。心配しなくても、貴方も彼女もしっかり処理してあげるから」
「処理って。俺達はゴミか何かか」
「あはは、そうね。いつかそんな風に殺してあげる。せいぜい私を楽しませてね?」
「ゴミにエンターテイメント性を求めるなんて、あんたも暇人だね」
皮肉を放つも、虚しかった。彼女は俺から手を離し、不気味な笑みを残して闇の中へと消えた。
そして気付くと、闇の中に取り残されていたはずの俺は、ソファの上に横たわっていた。慌てて飛び起きて辺りを見回したが、部屋は何事も無かったかのように静まり返っており、ベッドの上ではライムが腹を出して眠っていた。
「夢……?」
バンッ!
呟いたその時、突如部屋の扉が荒々しく開き、転がるようにテイルが飛び込んできた。
「クレス、無事ですか!? ――って」
テイルは俺とライムを交互に見遣って、困惑したように眉を寄せた。その視線は、すぐに俺一点に定まる。
「一体……何が?」
テイルが小さく息を呑んだのが分かる。まさか、ライムが俺の部屋にいることを咎めたいわけではあるまい。
「――今の貴方からは、人の気配を感じない」
「は?」
テイルの言葉を上手く飲み込めず、俺は彼を凝視した。そんな俺に、彼は開いた五指を向けた。湧き上がった殺気に、咄嗟に俺は、ソファを飛び越えて身を屈めた。
「!」
直後、俺の目の前に真っ白な綿が舞い踊り、引き裂かれたソファが無残に崩れ落ちた。
「どういうことだよ!?」
テイルの突然の襲撃に、俺は今にも転げそうなステップを踏みながら叫んだ。視覚の捉える不可思議な攻撃の軌道は、テイルの操る十本の糸によって描かれるらしい。
「テイル! 一体何なんだ!?」
「苦しみたくなければ、動かないことです。行きます!」
「行くな!」
思わずツッコミを入れながら、俺は壁際を通りすがりに女王の守護者を手にする。抜刀し、襲ってきた逃げ場のない攻撃に向けて振り翳した。
ギャィンッ!
刀身の接触部分で金属音が弾け、一瞬だけ辺りがパッと明るくなる。
「?」
火花による刹那の光だったせいだろうか。今、俺の左手が妙に黒ずんでいたような気がした。だが、それに気を留める暇も無く、第二波がきた。
「〈シャドウアーツ〉!」
「うあっ!?」
天井まで伸び上がった闇色の爪が、月光を削ぐように俺へと振り下ろされる。一瞬視界が闇に閉ざされ、再び辺りに光が戻ってきたかと思うと、突然全身から血が吹き出した。こんな魔術は初めてだ。
「っ!」
だが、そこまで傷は深くないようだ。てっきり大打撃かと思ったが、派手に切り傷が付いただけで、まだまだ余裕で立っていられる。
「致命傷を負わせるつもりでしたが――どうにも頑丈ですね。でも、見てわかるでしょう。この状況の理由を」
そう、問題は傷の深さでは無かった。
「……何で」
引き裂けた服から覗く傷口から流れたのは、薄闇に浮かぶ赤ではない。
白だ。
特殊生体の、白。
「何でだよ!?」
特殊生体が現れたら、殺られる前に殺れ。――俺達の世界では、当たり前のことだ。今、俺の目の前で起きていることが幻の類でないのなら、俺は排除されるべき特殊生体ということになる。
もし仮にそうでないとしても、テイルが俺を特殊生体と思っている以上、俺に逃げ場は無い。有能な王宮騎士として王国に仕えた彼は、恐らく俺より遥かに聡明で思慮深く、そして強い。俺を殺さないように彼を説得する為の弁舌も、彼の攻撃を潜り抜けて逃げ果せる術も、俺は持ち合わせていない。
そうなると、俺はここで死ぬしかないわけだが。
「…………」
俺は小さく息を吸い込み、拳を握った。囁きと共に、見たことも無い魔術のイメージを紡ぐ。
「フロスト・ディーナ・パラディ・クレス――」
そして魔術のイメージに重ねるように、これだけの騒ぎにも関わらず目覚める気配すら見せないライムに意識を向ける。暗闇の中でライムもどきが言っていた「夢の世界に閉じ込めた」というのが気になるが、それを考えている暇は無い。
俺が呪文を唱えたことに気付いたのだろう。すぐさまテイルの手が振り翳された。
「アヴェロ・イリィフィリッツ・グルゥミン・テイル!」
魔力の集束は、俺よりもテイルの方が断然速い。力の解放はほぼ同時になった。