純白の欲望 10
――さて、こうなると俺はどうするかが問題だ。ライムが俺の手を離す気配が無い為、ソファでは寝られそうにない。背もたれが無いから、このまま座って眠れる自信も無いし、かと言って……。
「駄目だよなぁ」
ライムが無防備な姿で寝ているベッドに、一緒に転がるわけにもいかない。義理とは言え、兄妹なのだから気にしなくていいのかもしれないが――実のところ、そこまでライムを妹として見ていない自分もいる。
「…………」
いや、そう思うのは恋愛感情云々ではなく、俺が彼女の家族になれていなかったからだろう。
魔導師としての才に溢れた快活な少女と、剣しか取り柄の無い捨て子の俺。
嫉妬の感情はとうの昔に消え去ったが、それでも家族の絆を語るには、俺は……――
俺はしばらくの間、ライムの寝顔を眺めたまま考え込んでいた。だがすぐに考える事が嫌になって、結局ライムの隣に身を倒した。横を見るとライムの顔が思ったよりも間近にあり、少しばかり動揺。ベッドの縁ギリギリに移動して、さっさと目を閉じる。
なぜだろう。不思議と今はぐっすり眠れそうな気がする。手を繋いで安心したのは、ライムよりもむしろ俺の方なのかも知れない。
俺の意識は緩やかに暗闇へと沈み――しかし次の瞬間、股間に凄まじい衝撃を受け、俺は一気に覚醒した。
「がっ!?」
繋いでいた手は呆気なく離れた。俺はベッドの下に転落し、大事なムスコを押さえて悶絶。痛みで激しく明滅している視界で見上げると、ライムの足がベッドから飛び出していた。
「ちょっと! それ、私のチョコバナナ!」
どんな夢を見ているのか知らないが、ライムが間抜けな寝言を口にする。俺のバナナは危うく潰れるところだった。
「……っ!」
俺はプルプルしながら身を起こし、ガニ股になりながらソファへ移動し、再び横になった。
全てを台無しにするハプニングはありつつも、身体は疲弊し、ライムの存在によって精神はいくらか安らいでいたのだろう。間も無く視界が遮られ、辺りが闇に包まれる。痛みで目が覚めてしまったかと思ったが、無意識のうちに眠りの世界へ誘われたようだ。
「…………」
――いや、違う。俺は目を開いている。辺りが暗くなったのは、目を閉じたからじゃない。
月明かりは何処かへ消えてしまって、辺りは完全な闇に閉ざされていた。真っ黒に塗り潰された世界で、光源はどこにも無いのに、不思議と自分の姿ははっきりと浮き上がって見える。
あぁ、またあの夢だ。
俺は闇の中で小さく息を呑んだが、そこで発された言葉は、いつもの夢とは全く異なるものだった。
「大事なのね、彼のことが」
聞こえた声は、俺に向けられたものではない。声音はいつもの夢の女と同じなのに。
「でもね、残念。貴方達はもう、永遠に結ばれないの」
一体何の話をしているんだ。
俺は声のする方に視線を移した。
「ライム!?」
そこには、見えない何かに首を絞められて宙吊りにされているライムと、見たことの無い女の姿があった。僅かに緑がかった黒髪に、蒼い双眸。思わず目を見張るほど美しい顔立ちと身体に、しかし生物的な躍動は一切感じない。文字通り、完璧な彫像のような姿をしていた。
女の右手は、宙に浮かんでいるライムの首元へと向けられている。
「おいっ、ライムを離せ!」
叫ぶと、女は俺の方に顔を向け、口元に笑みを模った。俺に気付いたライムが苦しげに顔を歪め、喘ぐように声を上げる。
「クレス……来ちゃ駄目……」
「馬鹿言ってんじゃねぇ!」
駆け寄ろうとしたが、不意に強い力で両足を掴まれた。驚いて足元を見ると、周囲の漆黒の中から生え出た影が、俺の足に絡み付いていた。
「くそっ!」
俺が悪態を吐くと、女は愉しそうに笑い声を漏らし、首を傾げた。
「助けられるわよ? 貴方が本気を出せば」
「!?」
「教えたはずよ。貴方の中に眠る、力の使い方」
力の使い方。そう言われてすぐにピンときた。このところ、目眩に襲われては過去の映像が次々と目の前に浮かんでいた。そこで交わされていたのは、いずれも魔術の話題だ。
「俺の中に眠る力……。あの映像、おまえが見せてたのか? ジンとの会話も、義父さんに魔術を習ってたことも、全部!」
「えぇ、そうよ。ほら、早くしないと。彼女の無残な絞殺死体が見たい?」
「っ!」
迷っている暇は無い。だが、どうしたらいいのだ。
いや……こんな不思議現象、魔術でしか起こし得ない。それなら、こんな魔術掻き消してやる!
「フロスト・ディーナ・パラディ・クレス!」
俺は脳内にイメージを固め、魔力を集束させるべく、両手を前方に掲げた。
しかし何も起こらない。そう思った時、不意に、ズンッと足元から強烈な衝撃が突き上げてきた。体が熱く、何か不思議な力が湧き上がってきた。それは俺の中枢を通り抜けて形状を改め、伸ばした指先から一気に突き抜けた。
「――〈イクスティン〉!」
パァンッ!
途端、桃色の輝きが俺の身体から迸り、ライムの体が暗闇の中に崩れ落ちた。
「そう、上手ね」
女はニヤリと笑い、闇に溶けるように消えた。
「ライム!」
俺は急いでライムに駆け寄り、激しく咳き込んでいる彼女の身体を抱き上げた。
「おい、大丈夫か!?」
尋ねると、彼女は俺の顔を見るなり、ニッコリと笑った。
「あの子にはもう帰ってもらったの。夢の世界に閉じ込めたから、当分醒めないんじゃないかしら」
「え?」
怪訝に思って俺が眉を寄せるなり、ライムの細い腕がぐんと伸びてきて、白い手が俺の首を捉えた。