純白の欲望 3
食堂の前で一度立ち止まり、小さく深呼吸。もしテイルの言っていたことが本当なら、どうやって慰めたらいいのだろう。若干の緊張を抱いて、俺は扉を開けた。
ガランとした食堂の壁際の席には、ライムがポツリと座っている。普段城内の兵士達が使用する食堂とは別棟になっているのか、こじんまりとして、どちらかと言えばレストランに近いような場所だった。そんな空間で、ライムは下を向いて、一生懸命に何かをいじくっているようだった。
「ライム?」
声をかけると、彼女は手を止めて顔を上げるなり、不思議そうに首を傾げた。
「クレス、どうしたの? 何か急ぎの用事?」
俺の息が少し荒いことに気付いたのだろう。尋ねられて、少し焦った。
「いや……」
思わず口籠る。何だよテイル、泣いてないじゃないか!
こんな時に上手く誤魔化せばいいものを、その辺り、上手く舌が回らないのが俺である。正直に白状した。
「テイルが……。おまえが泣いていたみたいだって言ってたから――何事かと思って」
「私が泣いてた? ……何で?」
「知るかよ! あー、もう。焦って損した」
吐き捨てると、ライムは持っていた何かを服のポケットに入れながらクスクスと笑った。
「慰める気で来てくれたの?」
「うるせぇな。ほっとけよ」
気恥かしさを隠す為、俺はそっぽを向いて厨房への入口を探す。厨房はすぐに見つかったので、そちらに向かって歩を進めようとして――背中の服を掴まれた感触があった。
「じゃ、泣いてもいいのかな。私」
「へっ?」
トスン、と背中に軽い衝撃が当たった。甘い匂いがする。頭を預けられている重みに、僅かに目を見開く。
「バラしちゃうなんて、テイルはヒドいよね。せっかく頑張って笑ってたのに」
「おまえ……」
「クレスの馬鹿!」
後ろで突然ライムが声を荒げ、俺はびっくりして振り返った。ライムは俺の胸元の服をぎゅっと握り締め、そこに顔を埋めた。
「一人になるんじゃないかって思った。クレスが目を覚まさなかったら、私一人ぼっちになっちゃうもん」
「え……?」
「凄く、凄く怖かったんだから! テイルだって辛いの分かってたし、笑ってるの精一杯で、大丈夫って言ったって全然大丈夫じゃなくて、もう頭ん中ぐっちゃぐちゃで!」
俺の胸元に顔を埋めたまま、彼女は震える声で捲し立てた。
「お城の廊下、真っ赤に染まるほど血がいっぱいで、怖くて。父さんと母さんが死んだ時のこと、何回も思い出しちゃって……その度に息ができなくて……」
「…………」
「クレスまで死んじゃったらどうしようって、凄く怖かったの。私にはもうクレスしかいないのに」
俺は戸惑いながらも、ライムの頭をそっと撫でてやった。Tシャツの布越しにライムの熱を感じて、急に胸が締め付けられそうなほどに苦しくなる。彼女の瞼の裏には、特殊生体に殺された両親の姿が、今も鮮明に焼き付けられているのだ。俺だってその場にいたはずなのに、思い出すことができないのがもどかしい。
「ライム……」
呟いた、刹那のことだった。
視界が不意に、ぐらりと歪む。
――義父さん、義母さん! お願い、逃げて!
――大丈夫だ、怖がらなくていい。
――体が熱い……駄目、駄目っ! お願いだから逃げて!
――クレス、おいで。父さんと母さんは強いから、おまえのことを助けられる。
――だって! 駄目だよ、抑えられないんだ! 苦しいよ……俺、このままじゃ、義父さん達のことを殺しちゃうよ! 逃げて!
――安心しろ、クレス。すぐに楽になるよ。大丈夫だから、父さん達を信じるんだ。
義父が「クレス」と呼ぶ「何か」。漆黒の巨大な刃を持つ腕と、黒い装甲に覆われた身体。涙なのか鼻水なのか、ワケの分からない液体でぐしゃぐしゃになった顔。下半分の皮膚はどす黒く変色し、首には絡み合う木の根のような血管が盛り上がって見えていた。
その異形はまさに特殊生体そのもので、俺は巨大な刃を構え、切っ先を義父母に向けていた。
――やだ……駄目、うわああああぁぁぁぁぁっ!
自信に満ちた表情で微笑む二人に、俺は刃を振り下ろした。二人は小さく頷き合い、俺に掌を向ける。
――〈―――――〉!
視界一面に炸裂する、紅の華。