純白の欲望 1
【 三・純白の欲望 】
目を覚ますと、そこは薄暗い地下通路ではなく、柔らかな陽光がカーテンを透かして差し込んで来るような、真っ白なベッドの上だった。
「夢……じゃないか」
ここは俺の部屋でもライムの部屋でもない。どこか別の場所だ。
落ち着いた色合いの天井。さらさらのシーツが肌に心地良く、身体に痛みは無い。ベッド脇の椅子には、腕を組んで俯いたまま寝息を立てている、テイルの姿があった。
長い睫毛は静かに伏せられて、彼の優しい輪郭を縁取る艶やかな黒髪は、白い頬を流れ落ちる絹糸のよう。無防備な桜色の口唇はふっくらとして、十年以上前に少年時代の幕を閉じた男のそれとはとても思えない。
「……いやいやいやいや」
いくら美人でも、男色趣味は無い。俺は軽く頭を振って、ベッドの上に身を起こした。辺りを見回してみると、部屋はそれなりに広く、クローゼットや作業机、キャビネット等の家具が一通り揃っていて、それでも尚スペースに余裕があった。部屋の中央には硝子テーブルとソファが配置されており、硝子テーブルの上には箱に入ったトランプが乗っていた。
「ん……?」
するとテイルが小さく声を漏らして、ゆっくりと顔を上げた。眠たそうに目を擦り、俺が身を起こしているのに気付くと、穏やかに微笑んだ。
「良かった、気が付いたんですね」
「……ここは?」
「僕の部屋です」
「テイル様の?」
「えぇ。城内でもこの辺りは、戦場にならなかったようです。――あ、傷の治療は終わったつもりなんですけど、気分はどうですか?」
尋ねられて、俺は両肩を軽く回してみてから、頷いた。
「大丈夫みたいです。テイル様が治してくれたんですか?」
「えぇ」
「違和感一つ無い……ありがとうございます」
「いいんです。それよりリダのこと、すみませんでした。まさかあそこまでやるとは思わなくて」
「いや……テイル様が謝らないでください。何て言うか、凄いんですね、リダ様って。こんな言い方したら怒るかもしれないけど、やることが無茶苦茶だ」
「すみません……」
テイルがそう言った時、部屋のドアが叩かれて、ゆっくりと開いた。入って来たのは、真っ白なシーツを胸元に抱えているライムだった。
「テイル、シーツ乾いた――って、クレス! 気が付いたの!?」
ライムがパタパタと駆け寄ってきて、小さく笑みを浮かべる。
「良かったね、クレス」
「あぁ。悪かったな、心配かけて」
「うぅん、大丈夫」
ライムはそう言ってニッコリ笑ったが、俺はふと、彼女の抱えている洗い立てのシーツに目が行った。
「俺、どれくらいの間気を失ってたんだ?」
「三日くらいよ」
「……三日も?」
人間、生きている限り何らかの生理現象は続く。二人は何も言わないが、もしかして俺は、王宮騎士であるテイルの部屋の、しかも彼のベッドの上でやらかしてしまった可能性が高い。……瞬間的に、目の前の現実から逃げたくなった。
というか、処理してくれたのはどっちなんだろう。いくら一緒に育ってきたとは言え、ライムに下の世話をさせたなんて考えたくないし、王宮騎士のテイルに至っては、土下座したって謝り足りない。
そんなことを考えているとみるみるうちに血の気が引いて行き、恐らく青ざめているであろう俺の顔を見たライムが、取り繕うように言った。
「どんなに素敵なヒーローやヒロインだって、『気絶して介抱してもらった』とかそういう言葉の裏では、こんな現実が起こってるんだから! 気にしないの!」
どんよりとしている俺にライムが精一杯の笑みを向けてくるが、台詞の内容は意味不明だった。もう泣きたい。
「ほら、そんな死にそうな顔してないで、汚名挽回しなくちゃ! シャワー浴びてさっぱりしたら、美味しいご飯作ってよ。テイルってば、肉と野菜を焼くしかできないんだもん」
「そうか、返上じゃなくて挽回するのか。情けない、幽霊怖い、魔導力ゼロっていう三拍子の他に、まだ俺に汚名をくっつけるつもりなのか? いや、むしろ既にくっついたのか? 何か付いたのか?」
暗い口調でライムを見上げると、彼女は少し顔を赤くして、声を張り上げた。
「拗ねないの! いいからシャワー浴びてきなさい!」
「……うん」
頷いて、俺はベッドから足を下ろし、若干よろよろしながら立ち上がった。
「はい、クレス。着替えです。元々着ていたものはボロボロになってしまっていたので、適当に見繕っておきました。シャワールームは、そこのドアの向こうです」
「ありがとうございます」
テイルの差し出してくれた服を受け取り、俺は重い足取りでシャワールームへと向かった。扉を閉めて服を脱ぎ、シャワーのノズルを捻る。噴出孔から冷水が降り注いできた。
頭からそれを被りながら、俺は深々と溜め息を吐く。魔術の使えないヘタレ前衛歴も長いことだし、多少の怪我には動じないつもりでいたが……まさか三日も眠り続けていたとは。
シャワーから流れ出ている水は、やがて心地良い温度の湯に変わった。俺は適当に全身を洗い流し、湯を止める。体を洗っている途中で気付いたが、俺の体には、傷痕一つ残らない完璧な治療が施されていた。昔からの傷痕すら薄くなっているような気さえする。神業としか思えなかった。
タオルで体を拭き、テイルの用意してくれた服を広げる。
「……何だこれ」
下がジャージなのは結構だが、Tシャツの柄が問題だ。白い生地の上に、立派な筆字で「大盛」と書いてある。一体どこで買ったんだろう。
あまり進んで着たいと思うものでは無いが、仕方ない。とりあえず「大盛」Tシャツとジャージを着て、俺はシャワールームを出た。部屋にライムの姿は無く、テイルがソファに腰かけて、テーブルに広げた紙面をじっと見つめていた。