外れた鍵 1
【 一・外れた鍵 】
「クレス!」
「えっ?」
「邪魔よ、どいてっ!」
正面から飛び掛かってきたレッドウルフを一刀両断にし、視界が開けたと思った刹那、俺の目の前には巨大な炎の塊が迫っていた。
「うわっ!?」
咄嗟に左方に転がって回避すると、過ぎ去って行く炎が、俺の後方にいたレッドウルフ達を一掃。その後、満足気に消滅していった。
「ライム! もう少し周りを見ろ! 俺を殺す気か!?」
相棒の危険極まりない行為に抗議すると、少し離れた場所で鞭を振り回していた彼女が、口の端を上げて応じた。
「見てるわよ?」
「じゃぁ、どうして俺の方に炎が飛んでくるんだ!?」
レッドウルフの血に濡れたぬかるみに足を取られないようにしながら、俺は横薙ぎに大剣を振るう。ギャゥンッと甲高い悲鳴を断末魔に、赤い毛並みの狼の頭が足元に転がった。
「だって」
ライムの声と共に乾いた破裂音がして、新たなレッドウルフの死骸が力無く大地に倒れ込む。彼女の繰り出す漆黒の鞭の一撃は、鬼の金棒以上の威力だ。
「クレスなら避けられると思ったもの」
「!」
「でしょ?」
ライムはニッと笑って、俺の傍らに並んだ。大きな海色の双眸がキラキラと輝いて、腰に届く長さの髪がふわりとなびけば、甘い香りが俺の鼻をくすぐる。一本結びにされたその髪は、晴れ渡る空と同じ色で、白い素肌を晒した彼女の肩や胸元を飾っている。服装はキャミソールにミニスカート姿。ロングブーツに包まれた長い脚と、実は揺れるのが凄く気になっている豊かな乳房。――戦闘に来ているというのに、防御力ゼロ装備。もちろん敵を惑わす色仕掛けではない。悩殺されるとしたら、味方の俺だ。
そんな魅力的な姿で、彼女は愛らしくも悪戯なウインクをしてみせる。
「あんたの実力を信頼してこその行動だって、分かって欲しいな」
「そ、そうか。悪かっ――」
「嘘だけどね」
「…………」
絶句した俺に、ライムはクククッと喉の奥で笑う。腹が立ったので、レッドウルフではなく彼女に向けて大剣を振るったが、彼女は踊るようなステップで後退して回避。ついでとばかりに、右から迫ってきたレッドウルフの顔面に、回し蹴りを入れて吹っ飛ばす余裕も見せてくれた。レッドウルフは涎と共に生暖かい白液を飛散させ、その場で朽ち果てた。
「それにしても、多いわね」
頬に付いた白液を手の甲で拭い、ライムは呆れたように溜息をついた。
この液体は、特殊生体と呼ばれる異形の生物達の血液だ。特殊生体の生態は現時点においてほとんどが謎に包まれており、この白い血液にしても、本来生命体を維持する為に必要とされる成分は一切検出されていない。おまけに、同じ種類の特殊生体に昼夜を問わず遭遇することも珍しくなく、睡眠を必要としているのかも謎。分かっているのは、奴らが恐れを知らないということだけだ。奴らは、生き物がいれば見境なく襲い掛かる。食糧を求めるわけでもなく、衝動に駆られるかのように殺すだけ。この習性は非常に厄介で、どれだけ目の前で群れの仲間を殺されても、奴らは構わず向かってくる。つまり最後の一体を倒すまで、襲撃が止まないのだ。
「協会の話じゃ三十匹程度のはずだったけど……その五倍はいるよな」
「いいじゃない。請求書にたっぷり盛っときましょ」
「俺達はいいけどさ……」
「あぁ、ジンのこと? そうね……大丈夫かな」
鞭を持つ手を休みなく動かしながら、ライムが心配そうに溜め息をつく。ジンは四つ年上の友人で、俺達が目標とする特殊生体よりも格段に強い特殊生体を倒すべく、今頃奮闘している……はずだ。
「レッドウルフの数が多いくらい何でもないけど、ブラッドマンティスはいくらジンでも苦しいだろ」
「でも、私達が加勢に行ったところで邪魔だと思うけど」
「確かに間違い無く足引っ張る――って、ヤバいぞ、ライム」
「え?」
ライムは片手間にレッドウルフをぶっ飛ばしながら振り向き、小さく息を呑んだ。
黒々とした体の、俺よりも頭一つ分高い巨大な蟷螂。二本の鎌は不気味に輝き、鉄をも噛み砕きそうな鋭利な顎と牙。胸元と右脇腹には見覚えのある新緑色の矢が突き刺さっていて、だらだらと白い血が流れ落ちている。
「ブラッドマンティス……あれって、ジンの獲物よね」
「だろうな。あの矢も、多分ジンのだ」
「じゃぁ、もしかしてジン……!」
「いや、ブラッドマンティスの体にジンの血は付いてない。やられたわけじゃないさ」
だが、いくらブラッドマンティスが手負いとは言え、今も俺達を取り囲んでいるレッドウルフとはまるで比べ物にならない狂気を感じる。全く敵いそうになかった。
「どうするの?」
「どうするもこうするも、あんなの俺達が相手にできるわけないだろ。多分、ジンが近くにいるはずだ。あいつが来ることを祈って、逃げまくるしかない」
「……ジンが来なかったら?」
「おまえを餌にして俺は逃げる! 構えろ、来るぞ!」
俺は大剣を振り翳し、ライムはレッドウルフ達を薙ぎ払いながら、後方へと跳躍。真っ黒な残像を映して、ブラッドマンティスは物凄い速さで距離を詰めてきた。俺に向けて振り上げられた右鎌を辛うじて受け流し、身を沈めて左鎌を躱す。しかし、舞い戻ってきた右鎌が既に迫っており、反撃は叶わない。咄嗟に身を反らした俺の鼻先を、鋭い刃の先端が通り過ぎて行った。
「速っ……!」
マズイ。これは長く持ちそうにない。