紅い舞踏会 6
「サンドワーム……どうしてこんなところに?」
口の中が乾き、本能的な恐怖を感じて背筋が凍る。本来ならば砂漠の乾燥地帯にしかいないはずの、十七階級特殊生体だ。直径にして一メートルはあろうかと思われる口は獲物を丸呑みにし、口腔内で分泌される強酸性の唾液は、生物をあっという間に溶解してしまう。
「さっきの地震はこいつの仕業か」
呻くように呟きながら、必死に状況の突破口を探す。逃げるか、戦うか。しかしいずれにしてもレットを救うには、今すぐ俺が治癒系統魔術を使うという、現実に有り得ない条件しか浮かばなかった。
「〈フェアリーブレス〉っ!」
試しに叫んでみたが、当然何も起こらない。
しかも間の悪いことに、急に頭が重くなり、ぐらぐらと視界が揺れ始めた。辛うじてレットを庇うように抱いたまま、力の抜けた身体で地面に倒れ込む。レットの傷口と接触した箇所が痛みを訴えてくるが、その痛みですら、俺の眼を覚ましてはくれない。
「くそっ……何でこんな時に」
景色がぐにゃりと歪み、白い霞が視界を覆う。霞の先に浮かぶのは、三、四歳の頃の俺と、義父のディーナだ。
――フロスト……なるほどね。そういう意味なら、きっと悪くない。決定だな。
――うんっ。俺、ドーンって魔術がいい!
――駄目。まずは身を守る魔術からだ。それを覚えたら、攻撃魔術も教えてやるよ。
霞の向こうで交わされる会話。不思議なことに、まるで覚えの無い会話だった。俺の年齢を考えれば記憶に無いのも納得できるのだが、俺が義父に魔術を教わっているというのがおかしい。魔導力の無い俺には、過去のどの地点であろうと、魔術のレッスンなどあるはずがないのだ。
そして、ゆっくりと鮮明になっていく視界。体の痛みが舞い戻って来て、けれどまだ、新たな傷は増えていない。
「……?」
サンドワームは相変わらず俺の目の前にいたが、レットの傷口も広がった様子は無い。俺が倒れてから、それほどの時間は経っていないようだ。
……迷っている暇は無い。恐らく〝合図〟は「フロスト」で、師は「ディーナ」、属性は「守る力」。俺はレットの体に掌を翳した。
「フロスト――」
「〈フェアリーブレス〉!」
「!?」
しかし、不意に飛び込んできた男の声が俺を遮り、淡い緑色の光が俺とレットの体を包み込んだ。心地良い熱が一瞬にして傷を消し去り、苦痛に歪んでいたレットの顔が和らぐ。
「クレス兄ちゃん……?」
「レット! あぁ、良かった!」
不思議そうに俺を見上げたレットを強く抱き締めながら辺りを見回すと、ライムの姿があった。
「ライム!?」
「クレス、こっち!」
状況がいまいち理解できないながらも、俺はレットを抱えて、ライムの方へと走った。すると俺と擦れ違いに、サンドワームに向かっていく人影があった。黒い帽子とサングラスの美男子だ。深紅の槍を手にしている彼は、ほろ苦いような煙草の臭いを纏っていた。
「えっ!? おいっ、無茶だ!」
足を止めて叫ぶと、男は少しだけ口の端を上げて、強く大地を蹴った。まるで足に羽でも生えているかのように、天高く舞い上がる。
「切り裂けっ!」
掛け声と共に、彼の手にする槍が凄まじい速さで紅色の弧を描いた。その美しさに圧倒され、天を見上げたまま茫としていた俺の耳に、次の瞬間、凄まじい爆発音が飛び込んで来る。その爆音は俺の耳から全ての音を奪うと共に、一瞬にしてサンドワームの頭部を粉微塵にしてしまった。たちまち、青い空が粉々になった肉片と白い血で染め上げられる。その中にはサンドワームの持つ酸性物質も含まれているはずだ。落下物を被ったらどうなるのか、考えるだけでも恐ろしい。一体どうする気なのだろう。
「――えっ?」
ゴゥッ!
見上げた空一面を、真っ赤な炎が覆い尽くす。広がった獄炎は、ほんの数秒の後に大量の肉片ごと掻き消えた。後には澄み渡る青空だけが残っている。俺もレットも息をすることすら忘れて、空を見ていた。ようやく辺りに音が戻ってきた。
「三人とも無事か?」
声を掛けられ、ハッとして振り返る。そこには槍を手にしたサングラスの男が立っていた。彼は被っていた黒い帽子を、指に引っ掛けてクルクルと回している。彼のクセのある赤毛と整った顔立ちは、新聞の写真で何度も見たことがあるものだった。
「ぁ、あ……!」
「クローヴィス様!?」
呂律の回らない俺に代わって、レットが狂喜の声を上げる。すると男はニッコリと笑って、掛けていたサングラスを外した。間違い無い。ミドール王国王宮騎士団員のクローヴィス・エルツォネだ。
「夢みたいだ……クローヴィス様に助けてもらえたなんて」
信じられないと、レットが熱い声で呟く。王宮騎士の登場で、サンドワームに殺されかけた恐怖はどこかへ吹っ飛んでしまったらしい。