紅い舞踏会 5
* * *
ゼロの背中が随分小さくなった頃、レットは怒りの行き場を失くしたように、踵で俺の右脛を蹴飛ばした。
「痛ってっ!」
「何なんだよクレス兄ちゃん!」
泣き所を蹴られて蹲る俺に、怒れる子犬が噛み付いてくる。見上げると、彼は涙目になっていた。
「クレス兄ちゃんは落ちこぼれでもクズでも無い! 何で怒らないんだよ!」
「レット……」
小さな拳を震わせる少年が、俺の為に怒ってくれている。それが嬉しくて、俺は思わず顔を綻ばせてしまった。
「笑ってる場合じゃないっ!」
「あぁ、ごめんごめん。悪かったよ」
「全然悪びれてないじゃない!」
「バレたか」
俺は笑って、蹲っていた格好から、そのまま地面に尻を付いて座った。レットはプリプリしながら、まだゼロが去って行った方を睨んでいる。
「いいんだよ、レット。ありがとう」
「何がいいんだよ」
「あいつは血筋を重視する奴だけど……敢えてそこで俺のことをわかってもらいたいと思うほど、俺はあいつを友達だと思ってない。どうでもいい奴に腹を立てても疲れるだけだ」
言うと、レットは納得いかないというように頬を膨らませた。
「俺、あいつ嫌い。ボッコボコにして見せつけてやればよかったのに。絶対にクレス兄ちゃんの方が強いよ」
「魔導力を持たない俺は確かに落ちこぼれだし、俺の剣の腕じゃ近々おまえに教えきれなくなるのは本当だよ」
「……何でそういうこと言うんだよ」
泣きそうなレット。俺は彼の頭を、クシャッと掻き回した。
「レット、おまえには才能がある。まずは俺を追い抜け。俺よりも、ライムよりもゼロよりも、ずっとずっと強くなれ。おまえの目標は王宮騎士だろ」
「それって励ましてるつもり? わかんない……。そうやってヘラヘラ笑って怒らないのがオトナなの? 情けないとしか思えないよ」
レットはまだむくれた顔をしていた。気持ちはわからないでもないし、レットが俺の立場なら、ゼロに立ち向かうのかもしれない。それは、俺とレットの性格の違いなのだろう。
それにしても、情けないと言われるのはこれで二回目。参ったね。
「情けないって、朝もライムに言われたよ。今日の俺、駄目駄目だね」
「ライム姉ちゃんにも? ……もしかしてライム姉ちゃん、それで機嫌悪かったの?」
「はは、察しが良いな」
苦笑した俺に、レットが首を傾げる。そんなレットに、ライムを怒らせてしまった理由を面白おかしく話してやろうとした時だった。
ドォンッ!
凄まじい爆発音が空気を引き裂き、突如として鼓膜を貫いた。驚いて音のした方を見ると、ミドール城の方角から、真っ黒な煙が上がっていた。
「なっ!?」
そして次の瞬間、足元から強大な衝撃が突き上げてきたかと思うと、大地が激しく揺れ始めた。広場のあちこちから悲鳴が上がり、バランスを崩したレットが倒れ込んで来る。俺は彼の小さな体を抱き止め、揺れが収まるのを待った。
「レット、大丈夫か!? 怪我は!?」
ようやく揺れが静まった頃、俺はレットの体を慌てて触りながら尋ねた。不安の色を浮かべながらも、レットは小さく頷いて応じた。
「今のは何だ……?」
自然発生した地震にしては、何か様子がおかしい。家の様子を見に行きたがるレットを抑えてしばらく辺りを窺ってみたが、一切の余震も無かった。もしや、特殊生体が城下町に侵入したとでも言うのだろうか。
そう考えて胸に戦慄が走った時、俺達の真下の大地が大きく隆起した。そうかと思うと、まるで火山でも噴火するかのような勢いで、地下から巨大な何かが飛び出してきた。その何かに直撃される寸前、俺はレットの体を抱き抱えて後方へと跳躍した。躱し切れなかった衝撃に吹き飛ばされて全身を擦り剥きながら、土片の降り注ぐ地面の上を滑る。轟音は広場の悲鳴すら呑み込んで、地中から弾き出された土砂が、まるで滝のように俺達の上へ降り注いだ。
「げほっ……レット、大丈夫か!?」
土砂の雨が収まる頃、自分の体の下に庇っていたレットに尋ねると、彼はひどく顔を歪めて、低く呻いていた。
「クレス兄ちゃ……」
擦れた声。見れば、彼の腹部は酸でも浴びたかのように爛れて、ひどい出血を起こしていた。
「レット!?」
傷口からは、蛋白質の焦げる嫌な臭いと、白っぽい煙が立ち上っていた。シュゥシュゥと気味の悪い音を立てて、今も傷は広がり続けている。溢れ出す真っ赤な血が、土砂だらけの地面に吸い込まれていく。
傷口を圧迫して出血を抑えようと手を伸ばすと、触れた途端に、焼けるような痛みが掌を焦がした。
「うあっ!?」
咄嗟に引っ込めた手を見ると、焼け爛れた様に、皮膚が捲れ上がっていた。
「何だよ、これ……」
レットの顔面は蒼白で、悲鳴を上げる元気も無いようだった。呼吸は不規則で、少しずつ細くなっている。俺は自分が魔術を使えないことを呪いながら、土埃に閉ざされている辺りを見回して叫んだ。
「ゼロ! ゼロっ! どこにいる!?」
しかしどんなに叫んでもゼロが応じてくれることは無く、辺りの土煙が徐々に晴れて、愕然とした。
目の前にミミズがいたのだ。それも民家の数倍はあると思われる、巨大なミミズが。