紅い舞踏会 2
階下のリビングではライムが一人で紅茶を飲んでいて、俺達が降りてきたのに気付くと、カップを置いてテーブルから立ち上がった。
「ジン、もう行くの?」
俺が目を覚ましたことに対する反応より、ジンの心配である。いいけど。
「うん。クレスも起きたし。何かわかったら連絡する」
ジンは穏やかに微笑む。
「あんまり無茶なことして、死んじゃうのは無しだからね。ちゃんと帰って来てよ?」
「わかってる。じゃ、行ってくるね」
そうしてジンは、まるで買い物にでも出かけるかのように、俺達の家を出て行った。不安と心配と寂しさを抱えながらドアを見つめていると、ライムに後頭部を叩かれた。
「痛って!」
「クレス。あんた、いくらなんでも情けなさすぎる」
深々と溜め息をついたライムに、俺は口を尖らせる。
「……それは俺が一番よくわかってるよ」
俺は台所からカップを取ってきて、ティーポットの中身を注ぎ入れた。少しぬるくなったそれを啜りながら、テーブルに寄り掛かる。
一方で、ライムはカップを両手で包みながら、ぼんやりと中の紅茶を見つめていた。何か考え込んでいるようだが、そんなライムの耳には、見慣れない赤いピアスが揺れていた。雫の形をした透明な石でできていて、ライムにとても似合っていた。
「ライム、そのピアスどうしたんだ? 昨日のデートでもらったのか?」
「あぁ……」
ライムは気の無い返事をして、頭を掻いた。
「何、うまくいかなかったの?」
「そういうわけじゃないけど、別に私のことはいいじゃない」
「はぐらかすなよ」
ニヤニヤしながら言うと、ライムは面倒臭そうな顔をしながら台所へ向かった。彼氏と喧嘩でもしたのだろうか。すると――
「ほぁっ!?」
スタァアンッ!
明らかな殺気を纏い、目の前で深々と柱に突き刺さったのは……わぁぉ、何と言う事だろう。
「ほうちょ……」
ビィィンと金属部分を悔しげに震わせながら、包丁が柱に突き立っていた。咄嗟に上半身を逸らしていなかったら、柱ではなく俺の顔面に突き刺さっていたに違いない。
「ライっ……ライム!? おまえ、今、殺気! 本気!?」
「そうなのよ。私が本気でクレスを殺そうとしたって、残念ながら当たらないのよね……」
ライムは口をパクパクさせている俺のところへやってきて、柱から包丁を引き抜いた。
「わかった、もうデートのことは訊かない」
「賢明ね」
ライムは頷いて、ぐぅーっと大きく背伸びをした。
「さて、ところでクレス。事件よ」
そう言ってライムが差し出したのは、今日の朝刊だった。その一面には、でかでかととんでもないことが書かれていた。
「城下の閉鎖!? 外に出られないって……嘘だろ!?」
高階級特殊生体大量出現の為、城下町を一時的に封鎖。封鎖解除の目途は経っておらず、特殊生体駆除協会員でも、十五階級以下の場合は十八階級以上の護衛無しにイリア草原に出ることはできない。封鎖中の生活については国が……云々、カンヌン。
「ジンの手伝いどころか町から出られないなんて。自分の弱さに嫌気が差すわ」
ライムは不機嫌そうに顔を歪めて、カップの紅茶を一気に飲み干した。
すると、ドンドンッと騒々しく玄関のドアを叩く音がした。
「クレス兄ちゃん! 開けてー!」
快活な少年の声。彼は俺がドアを開けるなり、子犬のように飛び付いてきた。
「おはよーっ!」
「わっ!?」
俺の首に腕を絡めてぶら下がっている黒髪の少年。彼は俺の肩の上に顎を置くと、生意気な青い吊り眼で、俺を覗き込んだ。細長い形の袋を背負っており、中でガシャガシャと音が鳴っている。
彼の名はレット・レンジャー。なぜか俺を慕ってくれる少年で、幼いながらも大切な友人だ。彼の父親であるルー・レンジャーはミドールの人気小説家で、俺もライムも大ファンだ。
「う~ん……やっぱすっげぇな、クレス兄ちゃん。この前さ、父ちゃんに同じことしたら、後ろに引っ繰り返って下敷きになっちゃったんだ」
「九つにもなって、父親の首に後ろから飛び付くとは何事だ」
言いながら少し屈むと、彼は俺の首から手を放して、床にトンと飛び降りた。そして俺の向こうにいるライムの方へ顔を出し、ニッコリと笑う。
「ライム姉ちゃん、おはよう!」
「おはよう、レット。今日も元気ね」
完全に棒読みで挨拶をしたライムに、レットは顔を引き攣らせる。
「う。ライム姉ちゃん、なんか機嫌悪い」
「今日はちょっとな。それで、どうしたんだ?」
苦笑しながらレットに用事を尋ねると、彼は背中の袋を俺に向かって差し出した。
「稽古付けてよ!」
「えぇっ? でも今日は――」
今日は……城下町の閉鎖で何も予定がない。頭を打ったのだから休んでいろとは言われたが、機嫌の悪いライムと二人で家にこもっているのは最低だ。
俺はレットの申し出を承諾することにした。
「分かった。公園の広場にでも行こうか」
「本当!? じゃ、久し振りにクレス兄ちゃんの技、見せてよ!」
「おまえ、すぐに真似するから駄目。まずは基本からだ」
「えぇー。それなら、俺がクレス兄ちゃんのことを満足させられたら、見せてよ」
「何だそりゃ」
「約束だからね!」
勝手にそんなことを言っているレットの頭を掻き回しながら、俺はライムを振り返る。
「おまえはどうする? 一緒に行く?」
笑顔を浮かべ、気分転換の機会を用意してやる優しい俺。
「行ってらっしゃい」
しかし俺の優しさを呆気なく砕く不機嫌さで、ひらひらと手を振るライム。俺は非常時だから念の為と思い、部屋から大剣を持って来てから、レットと共に逃げるように家を出た。