いつかの日 5
「はーはっはっ。驚いたろう? 驚くよなぁ? 俺も未だに実感沸かねー」
笑いながら手をヒラヒラと振るヴェネスに、テイルが渋い顔をした。
「そこはそろそろ、実感持ってくださいよ」
「実感持てって言われても、いつの間にかみんなが持ち上げてそうなっただけだろ。俺よりリダの方が適任だと思うんだけど」
「リダは目付きが怖いから駄目です」
「誰の目付きが怖いって?」
リダがテイルを睨み付けると、テイルは「だからそれが怖いんです」と言い返し、リダに足を踏まれていた。
ヴェネスを元首にして国を興していたというのはさすがに驚きだが、俺がリィナと心の世界に閉じこもっていた五年間のうちに、彼らは立ち上がり、次の未来へ進んでいたらしい。
「まぁ共和国制だから、適任者が出ればすぐに代替わりだ」
「当分、代替わりは無いと思いますよ。城下町に溢れ返った高階級の特殊生体を倒しまくって拠点にした後、ミドールの村や町を駆けずり回って生き残りを集めたの、ヴェネスですからね」
「高階級の特殊生体? 地上にもいたのか?」
尋ねると、リダが頷いた。
「高階級といっても、十五、六階級程度でアローニェのような奴は稀だったがな。あの地下通路、更にもう一つ下の階層があったんだ。大量の死体と一緒に、特殊生体が溢れ返っていた。恐らく実験によって発生した特殊生体を、地下に引き付ける形で収容していたんだと思う。人間を囮にしてな。……リィナにミドールを潰される前、本来ミドールにはいないはずの特殊生体が発生しただろう? あれは人間が特殊生体化しただけでなく、協会が機能を失った為に囮となる人間が送り込まれなくなったことで、地下にいた特殊生体が地上にあがってきたからだったんだ」
「人間が囮……」
薄ら寒さを覚えて息を飲み、俺は思わず拳を握っていた。強い特殊生体のいない平穏な暮らしすら、凄惨な死の上に成り立っていたのか……。
「協会の資料を調べてわかったんだが、魔力の使用に伴う特殊生体の発生地点は、ある程度決まっているらしい。魔力のカスの吹き溜まりになるような場所が各地に点在していて、その吹き溜まりさえ作らなければ、特殊生体は発生しない」
「それを他国に訴えるのが、また骨の折れることでさ……。この国だって、国民が無闇に魔術を使わないという信頼の上に成り立つ、恐ろしいほど不安定な国だ」
苦笑したヴェネスに、テイルが笑った。
「弱音吐いてる場合じゃないですよ。人々にとって、ヴェネスは救世主的存在なんですから」
「それはおまえらだって一緒に――」
「近場の他国に保護を要請して傷を癒した後、ミドールから逃げ延びた兵士に『故郷へ戻りたい』って言われてヴェネスが奮起したのは、みんな知ってますからね」
ヴェネスを遮ったテイルの言葉に、ライムが頷く。
「そうそう。あ、でも……そういえばあの時、リダ達の戦力を手放したくない隣国の王様を説得してくれた人、凄かったよね。自分が代わりを務めるから彼らを行かせてくれって、一人で町の防衛こなしちゃうんだもん。あの王様、本当はちゃんと部隊出せるくせに、一人で守り切れなかったらミドール人の首を刎ねるなんて言うし。ミドールの隣にそんな王様がいたなんてね」
「それだけ、以前はミドールの王宮騎士が周囲への抑止力になっていたということだろう。……今後万が一戦になった時、魔術無しでどこまで他国に対抗できるかが課題になってくるだろうな」
「あの方――残念ながら名前を覚えていないのですが、できればまたお会いしたいですね」
テイルがそう言うと、ライムも「あれ? 私もわかんない」と首を傾げた。……恐らく、「あの方」というのはメロヴィスのことなのだろう。ヴェネスは思い至ったのか、考え込むように目を細めていた。するとリダがヴェネスの肩をポンと叩いた。
「心配するな。もうしばらくはどの国も特殊生体で手一杯で、戦争なんて起こす気にもならないさ。おまけに元ミドール王国領は、この辺りで一番の特殊生体の巣窟になっているんだし、領土として欲しくも無いだろう」
「あぁ……。そうだな」
ヴェネスは切り替えるように頷くと、溜め息混じりに天井を仰いだ。
「でも、強大な魔導力を持ってる俺が魔術の廃止を訴えて、上手くいくもんかね。ましてや俺、ミドール人じゃないし」
「前者は周辺諸国に対する今後の課題ということで、散々話し合ったでしょう。後者については、この地域の人達は自国に貢献してくれる異国人に対して寛容なので心配要りません。……それとも、やっぱりジルバに戻りたくなりました?」
「そりゃ、戻れるなら戻りたいよ。でもジルバに戻ったらまた刺されそうだし。それに雪国のジルバよりも、気候が温暖なミドールの方が色々とやりやすいだろ。あぁ、林檎食いたい……」
ぼやくヴェネスに、リダが笑いながら言った。
「いい加減に腹を括れ、元首様」
ヴェネスは諦めたように長い溜め息をつくと、「そうは言っても頭が痛い。何なんだこの書類の山」と呟いた。足元に落ちている大量の紙面を一枚拾い上げて見ると、新たな法律の草案のようだった。
「本当に一からやってるんだ……。じゃぁその服って、共和国の軍服?」
ヴェネスは足元に転がった万年筆を拾いながら頷いた。
「そういうこと。ちなみに、ライムの着てるやつは医療班の女子限定だ。戦になったらみんなと同じの着てもらうけどな」
「医療班……」
見れば、ライムの左腕には白い腕章が巻かれていた。
「治癒系統魔術も使ってないのか?」
尋ねると、ライムが答えた。
「うぅん。今のところ治癒系統魔術と防御系統魔術だけは使ってるわ。でも、なるべく魔力に頼らない治療ができるように、医療技術は発展させていかないとね。医療に関しては、テイルがトップに立って研究を進めてるの」
なるほど。それで二人から消毒液のにおいがするのか……。
「私は結局魔導力が復活しなくて、今はテイルに氣術を教わってる。まだ下手くそだけどね」
ライムは言うと、俺に右手を差し出した。彼女の中指では、小さな赤い石の嵌まった指輪がキラキラと光っていた。その手が俺の左頬に翳されると、ぼんやりと暖かい光が生まれ、痛みが――うん、全然引かない。
「光るだけかよ」
突っ込むと、ライムが「たまに治るんだけどね」と誤魔化すように笑った。
ただ、ライムがヴェネスに呼ばれる前にここへやってきた理由がわかり、胸が熱く、刺すように痛んだ。恐らく彼女は普通の人間とは違う俺の氣を覚えて、ずっと意識していたのだろう。
「母さんのピアスね、私が目を覚ました直後に、粉々に砕けちゃったの。残った石でやっとこれだけ作ったんだ。私が魔導力を失うだけで済んだのは、多分母さんのおかげ。……父さんと母さんのしていたことは許せないことだけど、恨む気にはなれないんだ」
「そっか……」
つまり――万が一俺の身体に何かあっても、もう次は無い。ここにいることを選ぶなら、尚更だ。
ヴェネスを見ると、彼は穏やかに微笑んだ。本当は彼だってメロヴィスを助けたかったはずだ。恐らく混沌系統魔術を扱う力を持っているに違いないのに、その力を振るうことをしなかったヴェネスは、どれだけの思いを味わったのだろう。
――私は生命として歪んだ存在になってしまったのかもしれないね。
メロヴィスはそう言った。本来彼は忘却の対象となる存在では無かったのに、ヴェネスですら彼の存在を失ってしまった。
最初から歪んでいる俺は、一体どうなるのだろう。忘れられる寂しさを抱えながら、いつか俺も「役目は終わった」と、彼のように笑うことができるだろうか。
「俺も、みんなといていいのかな……?」
言うと、ヴェネスが口の端を上げた。
「もちろん、おまえが望むなら」
ライムに視線を移すと、彼女は淡く微笑んで、大きく頷いた。
「ありがとう」
理に背いた許されぬ存在だとしても、俺は未来が欲しい。血塗られた屍が恨めしげに足を掴むなら、越えて生きよう。俺を繋いでくれた人達を、裏切ることのないように。
……いつか訪れる日を、罰と呼ばずに済むように。
- 完 -
最後まで物語にお付き合い頂き、ありがとうございました。
クレスやライムが私の頭の中に生まれてから、物語を完結させられるまで、何年もの時間を必要としてしまいましたが……思い入れのあるキャラクター達をこうして1つの物語の中に収めることができて、ほっとしています。
なにぶん勉強不足ですので、読みにくい点・わかりにくい点なども多かったかと思います。
もしよろしければ、感想・評価等頂けると嬉しい限りです。
本当にありがとうございました。




