暗い幻 12
「はぁ!? 何考えてんだおまえ。大体、おまえは一度リィナにボロボロにされたじゃないか。それでライムに助けてもらったんだろ」
「そうなんだけど――でも聞こえたんだ。リィナはやっぱりアルベルトを探してる。助けてとも言ってた。リィナにあるのは憎悪だけじゃない。センジュは彼女のそういう気持ちに気付いていたから、リィナにも自分達みたいなプラスの感情が出現する可能性に賭けて、リィナの傍にいたのかもしれない。だから俺の中にアルベルトをもう一度生んで、リィナにそこで過ごさせてやれば――」
「リィナが落ち着くかもしれないって? かもかもカモカモで上手くいったら苦労しねぇっつの。そんな突拍子も無いこと、できるわけないだろ。リィナが相手の中に自分を捻じ込もうとしてきてるところに、自分を開いてどうするんだよ」
「でも、悪い方向に発達してたとはいえ、俺の中にアルベルトはいたんだよ。俺の想像から生まれたアルベルトが!」
身を乗り出すようにして言うと、ヴェネスの目が苛立ったように吊り上がった。
「それで今度は包容力のある素敵なアルベルトでも想像する気か!? おまえの親友が言ってただろ。リィナには何も期待するなって!」
声を荒げたヴェネスに、俺は立ち上がって言い返した。
「じゃぁどうするんだよ!? このままじゃみんな狂い死にするしかないぞ!? さっき魔導剣でぶった切ったのにこうなったってことは、この靄にはヴェネスの魔術も通じないんだ!」
「他の属性試してみなきゃわからんだろうが!」
「〈フォートレスチェーン〉に武装はできないって言ったのも、靄の中に放り出されたらあっと言う間に死ぬって言ったのも、おまえだろ!」
ぐっと言葉を詰まらせて頬をひく付かせたヴェネスを、俺は真っ直ぐに見つめた。
「もしライムが目覚めても、いつ魔導力が回復するかわからない。それまでおまえが〈フォートレスチェーン〉を維持できる保証も無いだろう? どうせ死ぬかもしれないなら、試させてくれ」
「馬鹿言ってんなよ。俺ならまだ大丈夫だ。もっとマシな案を捻り出すから落ち着け」
「俺は落ち着いてる。……この地下道、特殊生体化したミドールの王宮騎士達は全員倒したはずなのに、十八階級のアローニェがいたんだ。リィナを倒して靄から出られても、そいつらと遭遇したら、メロヴィス様一人で戦うのは厳しいだろ。しかも魔導力を使い切ったヴェネスと、気合いだけのライムと、囮にもならない俺を守りながらじゃ絶対無理だ」
「…………」
「だからヴェネスの魔導力に余裕があるうちに、やらせてくれ。成功の保証は無いけど」
ヴェネスは顔を歪めると、助けを求めるようにメロヴィスを見た。メロヴィスはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「確かに特殊生体化したクレスは物凄く強かった。その強さは今も君の内部にあるんだろう。でもリィナを倒せるほどとは思えないな」
「倒そうなんて思ってない。今度は心を奪われないように――アルベルトとリィナの世界と、俺を構成している自分の世界を隔離します。一番表層の部分に、俺の理想の日常みたいな世界があるんです。その一角にリィナとアルベルトが過ごせる場所を創って、それより奥に入り込まれなければ、俺自身にそれほど大きな影響はないはずです」
「もしそんなことが可能だとしても、それはライムが混沌系統魔術を使って取り戻したクレスの調和を乱す可能性が高い。魔導力の使用はクレスにとって負荷になりかねないんだろう?」
「俺は自分で自分の為の魔術を展開させ続けることで、存在を維持しています。今までそれは無意識下で行われていたけど、他者が干渉できるなら、俺が意識的に変えることだってできると思うんです。確かに多少は消耗するかもしれないけど。……万が一の時は、今度こそ俺を殺してください」
言うと、メロヴィスは僅かに目を見開いた。ただ、それほど驚いたという様子ではなかった。彼は口を開きかけたヴェネスを手で制すと、小さく頷いた。
「わかった。でも死んだりなんかしたら、多分君の大切なライムはヴェネに食われるよ」
「なっ……食うって、失礼な! 俺は本気だ! できればいずれ子どもも欲しい! そのくらい真剣だ!」
「だそうだが……。いや、ヴェネ、女の子にいきなりそういう重いこと言うと嫌われるよ」
苦笑したメロヴィスに、俺は言った。
「もし俺の中にリィナを閉じ込めることができたとしても、すぐに今の俺と同じ意識が戻らないようなら――俺とライムは引き離した状態にしてください。その状態で、ライムには二年だけ待っててくれって伝えてください」
「二年?」
首を傾げたメロヴィスに、俺は笑った。
「二十歳になったら、ちょっとした区切りかなと思って。深い意味は無いです。あと、ヴェネスもそのくらいなら待ってくれるかと思って」
すると、ヴェネスがふんと鼻を鳴らした。
「待つわけないだろ、馬鹿か」
「……だよな」
苦笑すると、ヴェネスは怒ったように眉を寄せた。
「おまえ、本当に本気なのか?」
「うん……本気だよ」
「ライムが目を覚まして、魔導力を使えるようになるかもしれないぜ? そうすればこの〈フォートレスチェーン〉だって、完璧な要塞になる」
「ならなかったら全滅だ。おまえの力があるうちに、俺をこのドームの外に出してくれ。何とかしてみせる」
「……――。くそ、せっかく俺が混沌系統属性でも、全然意味無いじゃないか」
「気負うな。ヴェネスのせいじゃない」
顔を歪めて俯いたヴェネスを笑い飛ばすと、ヴェネスは躊躇うように俺に手を翳し、眉間に皺を寄せたまま俺を睨んだ。
「いいか、仮にクレスのおかげで生き延びても、俺は待たないぞ。嫌だったらちゃんと戻って来い。ライムはおまえの為に命を賭けたんだから、それで救われた命を勝手に捨てる権利なんて、おまえには無いんだからな。もちろん戻って来てもライムは俺が落とすから覚悟しとけよ」
俺は頷き、もう一度辺りの黒い靄を見回して、大きく息を吐いた。
「ライムによろしく。成功を祈ってて」
目を閉じた俺の視界を、変化系統高位魔術〈ワープ〉の赤い光が塗り潰す。俺は自分の意識を内へ内へと向け、まずはリィナから己を守ることに集中した。
「!」
一瞬の浮遊感の後、俺は暗闇に投げ出された。瞬間凄まじい衝撃が俺の中に流れ込み、俺の意識はあっけないほど簡単にその奔流に巻き込まれた。数え切れないほどたくさんの声がひしめき合っているのに、ドームの中にいた時と違って、「殺す」の三文字すらうまく聞き取れない。
あぁ、俺は俺を維持したまま、あんたの望むアルベルトにもなれるだろうか。
――返事をして、貴方なんでしょう?
意識が途切れる直前だった。最後になぜかその言葉だけ、ぽつりと耳の奥に響いた。




