暗い幻 10
言われて、俺はハッとした。
「あの塔の……?」
「塔だけじゃない。あんた、レイヴンの森でレッドウルフに襲われたのは私のせいだって、思ったことある?」
「いや、ない」
「でもあの時は、それがあんたになってたのよ。父さんと母さんは私達を標本扱いして、ヴェネスとメロヴィスは――……あぁ! 思い出しただけで気持ち悪い! とにかく、そうやってあんたの積み重ねてきたものをとことん貶めて、あんたの中にはアルベルトがいてリィナと一緒に世界を壊すっていう幻を生み出した。その上で、それがさもあんたの中心かのように仕立てようとしてたのよ。そのせいでクレスの自分を保つ意志が弱まって特殊生体化が早まった。そもそもあんたは魔力のカスを体外に出せないせいで特殊生体化するんだもの。あの影達は本質的な特殊生体化の原因じゃない」
「なるほど……」
「もちろん元のクレスに戻すには、それを振り払ってやらないといけなかったから、父さん達がやったのと同じ〈カオス〉じゃ間に合わなかった。私の〈アダム〉は、あくまでもクレスの正常な状態を取り戻すだけのイメージで展開したもので、アルベルトやリィナが展開したような魂そのものを生み出すほどの効果は持ってないの」
「じゃぁ、あの影が生まれたのは、リィナが俺に乗っ取りを仕掛けてたせいなのか……」
「そういうことね。リィナはあんたにしたみたいに、私に自分がリィナだと思わせたいのよ。混沌系統魔術は、ぶっちゃけ何でもアリよ。術者のイメージと力次第で、生命や存在に関する多くのことを捻じ曲げられる。リィナはその点で、混沌系統属性に特化した性質――〝死にたくない〟って感情を持ってる。憎しみや悲しみ以外にもね」
「!」
思わず目を見開くと、ライムは喉を押さえて軽く咳込みながら言った。
「おかしな話よね。みんながみんな、今までそう思ってそれを主張してきたのに、リィナもそう思っていることには思い至らなかったなんて」
「あぁ……あぁ、そうか、そういうことか! だからリィナは今までただの殺戮じゃなくて、わざわざ消耗の激しい混沌系統を使ってたのか。特殊生体と同じ性質だから、他者の魂を奪おうとして、追い詰めて、でも結局殺してしまう――」
「そう。それで元々の王妃のように魔導力の高い肉体なら、混沌系統魔術に耐えて乗っ取りができるんじゃないかと目論んだわけ。だから私達は残されたのよ。そういう対象だから、多分王女様はリダ達に私達を守らせたかった。……でもちょっと、今はヤバそうだわ」
ライムはそう言って顔を歪めると、右腕を持ち上げた。
「リィナの悪あがきも強烈ね。――何だか、火箸で胸をグルグル掻き回されてる気分」
「おい、何だよこれ!」
ライムの腕にはところどころ何かが根を張ったかのように黒い筋が伝っており、それがビクビクと脈動していた。
「体中が焼け付くみたい……」
ライムは呟き、腕に張った黒い筋に爪を立てた。
まさか、今度はライムが特殊生体化するとでも言うのだろうか。いや、リィナの狙いから考えるなら、ライムはライムの姿のまま、リィナと同じものへと変わってしまうのか?
「ふざけんな! あいつをぶっ倒せば何とかなるのか!?」
「不用意に手を出さない方がいい。さっきは急襲してきたのに、今は何もしてこないなんておかしいもの」
「だけど、おまえが今になって急にリィナのことわかってきたのって、あいつの干渉のせいなんじゃ――」
言いながらライムを窺うと、彼女は苦笑いを浮かべてまた喉を押さえた。腕に張った黒い筋は、つい先刻よりも僅かに広がっている。リィナを見れば、膨らんだ腹を干からびた手で引っ掻きながら笑い続けていた。特殊生体とはいえ女が子を孕んだような見た目をしているせいか、その様相はひどく狂気的に見えた。
「あいつの抱えてる黒いのは何なんだ……」
あの腹の中に見える黒い靄から、とても嫌な気配がする。夢の中でリィナと対峙した時と同じ感覚だ。確かに下手に攻撃を仕掛けるのは得策ではなさそうだが、今はそんなことを言っている場合ではない。
「ライム、下がってろ! あいつは俺がぶった切る!」
「クレス、駄目!」
俺はライムの制止を振り払い、脈打つ管の上を走り抜け、リィナに斬りかかった。足が床に着く度に靴底でグシャッと管が潰れた感触がしたが、それでもリィナは笑い続けている。
その時部屋の入り口の方に、メロヴィスとヴェネスの姿を見つけた。
「おわっ! 何だそいつ!」
「メロヴィス! ヴェネス! こいつ、早く倒さないとライムがヤバいんだ!」
「了解! フォローする!」
ヴェネスが銃を構えると同時に、メロヴィスが腕を振り上げた。
「スカイ・リゼルグ・カイト・メロヴィス――〈エリア〉!」
メロヴィスは土系統低位魔術〈エリア〉を展開。不気味な管が蠢いている床の一段上に、金色に輝く光の足場を作り出した。おかげで足元を気にせず踏み込めるようになり、俺は更に加速をかけた。
「行くぜぇっ!」
気合い声とともに、俺は両手で握った大剣を、思い切りフルスイングさせた。
「紅円舞!」
刃は呆気ない程簡単に、ミイラのような首を刎ね飛ばした。俺は噴き出した血を浴びながら遠心力に任せて身を翻し、着地に合わせて膝のバネを使い、下方から一気に斬り上げた。
「暗黒鎮魂歌!」
なぜか刃が青く輝いたが、すぐに力無く消えて、斬撃のみがリィナの腕を斬り飛ばした。本当はもう少し斬り込みたかったが、浅かったようだ。相変わらずリィナが何も手を出して来ないのが不気味だが、次こそ決めてやると、俺は高く跳躍した。
「クレス、最後の属性は!?」
「そうか、ヴェネスの魔術はこいつに通じるんだったな!」
先刻刃を輝かせたのはヴェネスのようだ。俺とのイメージが噛み合わず、魔導剣にならなかったのだろう。
「光属性で頼む!」
俺は一番高い位置で、大剣を振り被った。
「弾き飛ばしてやる! 煌々聖譚!」