暗い幻 9
* * *
俺の手を握るライムの手は冷たく、それを握り返す俺の手もまた、冷え切っていた。
「何だ……これ」
通路の最奥。壁際に並んでいる緑の光を放つカプセルには、見覚えがある。幼い頃、レッドウルフに襲われて死んだ俺が入れられていた、あのカプセルだ。
だがこの部屋の中で最も目を引くのは、それではなかった。
「あれ、特殊生体なのか……?」
床に張り巡らされた、ドクドクと脈打つ無数の管。その中心には腹部が大きく膨らんだ人型の何かが立っていたが、腹以外は全て萎びて、顔もミイラのように干からびていた。もちろんその腹も決して人間のそれではない。下の方は床から伸びた管と同化しており、淀んだ赤色をした薄い表皮の奥に、真っ暗な靄が燻るように立ち込めているのが見えた。
「こんなの見たことない……」
ライムが呟くと、不意にそいつの干からびた口から、「クスクス」と小さな笑い声が発された。咄嗟にライムを後ろへ下げて女王の守護者を引き抜くと、ミイラの顔がゆっくりとこちらを向いた。
「クレス、足元!」
ライムに言われて視線を落とすと、床の上を這う無数の管が、俺の足をじわじわと這い上っていた。
「うわっ」
慌ててそれを振り払って管の無い場所へ移動しようとすると、突然ライムの足元から無数の管が触手のように沸き上がり、あっと言う間に彼女の身体を絡め取ってしまった。
「ライム!」
「ぐぶっ……!?」
開いたライムの口に大量の管が雪崩れ込み、ライムがくぐもった苦鳴をあげる。彼女は必死にもがきながら身を捩っていたが、管はますます彼女を締め付ける。
「くそっ、離せ!」
俺は女王の守護者を振り上げ、ライムを捕らえている管に向けて刃を叩き付けた。
「紅円舞!」
バシュゥッ!
脈打っていた管が裁断されて次々と弾け飛び、辺りに真っ白な血を噴き散らした。解放されて崩れ落ちたライムを抱えて、管の無いところに退避。すぐに口から管を引き抜くと、彼女は苦しそうに何度もえづきながら激しく咳込んだ。
「おい、大丈夫か!?」
ライムは咳込みながら小さく頷き、俺の肩に掴まりながら立ち上がった。
「あいつ、ヤバい」
「見りゃわかる」
「そうじゃない。今の、リィナが私に入ってこようとしてたのよ。あれ、特殊生体化したリィナの姿みたい」
「えっ!?」
ゾッとしながら言葉を詰まらせると、ライムは「大丈夫よ」と笑った。
俺は大剣を構えながら尋ねた。
「でも、どうしていきなりあんな姿なんだよ。今まで気持ち悪いくらいの美女だったじゃないか」
ミイラの顔は尚もこちらを見て、クスクスと笑っている。あれがリィナだとはとても思えない。
「今まで私達に見せていた姿は、ただの幻なんでしょうね。だからヴェネスに魔術で競り負けた時、早々に撤退したのよ」
「まぁ多少なり乙女心があれば、こんな姿バレたくないよな」
「というより、本体はずっとここにいて、遠隔的に私達の相手をしていたんだと思う。胞子みたいなものね。そうやって本体を離れて、空っぽの身体を探していたのよ」
「何、そのキノコみたいな繁殖の仕方」
咄嗟にそう口にすると、ライムはおかしそうに吹き出した。
「勘弁してよ。私、キノコの苗床になるのはご免だわ」
ライムは言いながら鞭を構えると、こちらへじわじわと迫って来ていた床上の管に思い切り叩き付けた。千切れた管が黒い芋虫のように宙に跳ね、辺りに血が飛び散った。さきほどの勢いが嘘のように、管の動きは遅い。上に乗ってさえいなければ、一気に襲われることはないようだ。
「なぁ、俺はライムの魔術で元の姿を取り戻せたのに、リィナはどうしてこんな姿に? 混沌系統魔術に関しては、リィナの方がライムよりも上だったはずだろ?」
「……リィナは多分、肉体を再生できるほどのそれらしい魂を持ってない」
「え?」
「王妃を乗っ取っても、〈アダム〉で創られた魂はあくまでも王妃のものだったのよ。だからリィナのものにはならなくて、私達も王妃の存在を忘れた。つまり、リィナは本質的には特殊生体と変わりないのよ」
「それって……?」
「言いたくは無いけど、リィナはジンや王宮騎士達と同じ――偽物の魂が劣化して、特殊生体になってしまうの。クレスのように特殊生体化した肉体を元に戻すことができないから、王妃の時と同じ様に他人を乗っ取る方針にしたんでしょ」
「どうして俺にはできて、ジン達はできないんだ?」
思わず縋るように尋ねると、ライムは悲しそうに言った。
「クレスの肉体を元に戻した時の条件ってね、魂を持っている事だったの。……例え偽物でも、魂は一人一つ。壊れたらお終いよ。だから魔術の性質上魂が劣化してしまうジン達はどうしようもなかった」
「じゃぁ、乗っ取るってのはどういうことなんだ?」
するとライムは少しの間黙り込み、首を横に振った。
「乗っ取りは多分、リィナも気付いていない強烈な特性のせいで可能になってるんだと思う。まぁ、ある程度の条件が必要みたいだけど……あんたもやられたでしょ?」
「俺も……?」
「そう。あんた、あいつに心の中を滅茶苦茶にされたじゃない。だけどそれが、まるで自分自身だと思ってた。あれは特殊生体化のせいじゃない」