外れた鍵 12
「い、今のは……」
全く覚えの無い場面。いや、俺は気を失っていたから、覚えが無いのは当然なのかもしれないが、それにしたって義父母の生前、俺が血塗れになるような事件が起こった覚えは無い。
『……――クレス、聞こえる?』
するとイヤーパッドの向こうからジンの声が聞こえてきた。
「ジン?」
『そうだよ。何か変わったことはあった?』
「いや、それが――」
――妙な映像を見たんだ。
言うべきだろうか。いや、今でなくてもいいだろう。俺を心配して、やっぱり戻ろうなんて言い出しかねない。
『それが、何?』
ジンが先を促すので、俺は慌てて取り繕う。
「いや、何でも無い。そっちは?」
『管理室に着いた。防護壁を上げるから、合流しよう。上に来てくれ』
「わかった」
すると天井の蛍光灯がブゥゥゥンと唸るような音を立てて、白い光で部屋を照らし出した。
「点いた!」
ようやく視界が明るくなり、俺はホッと一息つく。しかし、視線は自然とカウンターの上の〝フローラだったもの〟に向く。ジンの上着が被せてあるとはいえ、辺りに飛び散った血は隠し切れていない。俺は逃げるようにそこから視線を逸らし、階段へ向かった。
それと同時に、部屋の外から、重量のあるものが引き上げられるような大きな音が聞こえた。音は建物全体から響いているようで、足元は微かに揺れている。
「な、何だ!? 地震!?」
『大丈夫、防護壁が上がってる音だよ。落ち着いて』
ガコォン。
エントランスから重々しい音が聞こえたのは、恐らく振動のせいで出入り口の扉が閉まった音だろう。ジンは開けておけと言っていたが、まぁ、電気も通ったし何とかなるだろう。
だが先刻まで防護壁があった場所に辿り着いた時、俺の目にはとんでもない光景が飛び込んできた。
地鳴りのような音が鳴り響く中、明るい廊下に相応しくない集団がいる。
「マリオネット!?」
その名の通り操り人形のような姿をしたその特殊生体は、関節をガチャガチャ五月蠅く鳴らしながら刃物を投げ付けてくる、非情に厄介で猟奇的な奴だ。地下や洞窟等の薄暗い空間を好み、地上には滅多に出てこない。階級は十六。俺の敵う相手では無い。
「ちょっ……待って! マリオネットなんて無理だ! ジン! もう一度防護壁下ろしてくれ!」
『――――』
だが、ジンからの応答は無い。慌ててヘッドセットを外してみたが、電池が切れているわけではなさそうだった。
「嘘だろぉっ!? えっ、嘘っ……えぇ!? うわ来たァッ!」
猛烈な速度で放たれた七本のナイフと五本の鎌。どう考えても避け切れる量ではない。
「ひぇぇっ!」
我ながら情けない悲鳴を上げながら、俺は上って来た階段を、一気に下まで飛び降りた。それでも目の前をナイフの煌めきが通り過ぎ、頭上を鎌が掠めていった。因みにこの刃物、放って置けば勝手に消滅するのだが、マリオネット本体を倒さない限り無限に撃ち放たれる。
「どうすりゃいいんだよ!?」
ガッシャンガッシャンと喧しい音を立てながら、マリオネット達が階段に近付いてくる。
俺はエントランスを駆け抜け、出入り口の扉を開け――開かない!?
「何でっ!?」
押しても引いても体当たりしても、扉はピクリとも動かなかった。
「ジン! ジン!?」
完全にパニックに陥った状態でジンに呼びかけるが、ヘッドセットは沈黙を守っている。
「どうするどうするどうするっ!?」
自問をひたすら繰り返しながら、俺は固く目を閉じた。
「大丈夫、落ち着け。三秒数えて落ち着くぞ。一、二、三っ!」
深く息を吸い込んで、吐き出す。女王の守護者を抜き放ちながら手近の柱に身を隠し、俺は思考を走らせた。とにかくマリオネットとの戦闘から逃れることは不可能。どうして通信が途絶えたのかわからないが、きっとジンはすぐにでも駆け付けてくれる。それまで持ち堪えればいい。それまで――
ドガガガガガッ!
柱に突き刺さる刃の嵐。マリオネット達はもうそこまで迫っていた。
「嘘だろ!?」
刹那、俺の視界には幾筋もの銀色の雨が雪崩れ込み、全身で強烈な激痛が炸裂した。
「あっ……ぐ、ぅ」
悲鳴を上げる力も無い。景色がぐらりと揺れ、体中から血が溢れ出したのを感じた。膝が砕け、冷たい床の上に倒れ込む。
こんな死に方って無いだろう。
「これで……終わり……?」
呟きとともに、血を吐き出す。みるみるうちに、体から力が抜けて行った。
ライム、ごめん……。
寒い……――いや。
何だ、この感じ。……死ぬんじゃないのか?
熱い。
…………。
一度は力を失っていた手で、大剣を強く握り直す。身を起こしてみると、不思議と痛みは無かった。胸が異常なほどに高まり、心臓が早鐘を打つ。
――その後の記憶は、無い。