暗い幻 3
カキンッ、カキンッ……。
やがて弾が切れたのか、乾いた金属音が何度か響いた。舌打ちの後、早口に呪文が紡がれる。
「アイラ・セレスティ・リスタル・リダ――〈アイススピア〉!」
ドゴォォォンッ!
……まさに猛攻。氷系統中位魔術とは思えないような特大サイズの氷の槍が、センジュを押し潰す勢いで放たれた。あれでは槍というより、城門攻めに使う丸太だ。
「すっげ……」
思わず呟いた時、黒煙の上がっている方向から、ゆらりとリダが現れた。額から流れる血で顔半分を真っ赤に濡らしているリダは、銃の弾を交換しながら、修羅の形相で壁に突き刺さっている〈アイススピア〉へと近付いて行く。
「……っ」
獲物を狩る猛禽類のように開き切った瞳孔の鋭さは、通常の比ではない。見ているだけで肌がビリビリする程の強烈な殺気を纏っている。
だが、全てを喰らい尽くしそうな彼女の殺気を以て尚、嫌な予感がした。
「リダ、避けろ!」
咄嗟に叫んだ刹那、センジュから放たれた銀の閃きがリダに襲いかかり、真っ赤な血飛沫が弾け飛んだ。宙を舞ったのは、リダの片腕だった。
「リダ!?」
ガンッ!
悲鳴のようなライムの声と同時に、鈍い音が響く。リダは左肩からボタボタと血を溢れさせながら、右手でセンジュの頭を鷲掴み、壁に押し付けていた。
「腕の一本で私が怯むと思ったか? 実験の為だか何だか知らないが、私だって伊達に副団長をやっていたわけじゃない」
リダはセンジュの耳元に唇を寄せ、底冷えするような低い声音で言った。同時に、センジュの頭を押さえ付けている彼女の右手が赤い光を放った。
「アイラ・セレスティ・リスタル・リダ――〈エクスプロージョン〉!」
「!」
思わず顔を背けた後、鈍い破裂音がして、真っ白な血と肉片が辺りに飛び散った。センジュの手から血塗れの刀が滑り落ち、床の上で甲高い音を立てる。
「…………」
リダは長い息を吐いて顔を伏せると、不意にドサッとその場に膝を折った。
「リダ!」
駆け寄ったライムが慌てた様子で上衣を脱ぎ、血を噴いているリダの左肩を押さえた。みるみるうちに血に染まる衣服に、ライムは顔を引き攣らせる。魔術を使えればこんな怪我でもあっという間に治すことができただろうが、今はそうもいかない。ライムは座り込んだまま俯いているリダに、焦燥を露わに呼びかけた。
「リダ、聞こえる? このままじゃ失血死しちゃう。私、今は魔術を使えないの。急いで傷を塞いで――」
「テイルが……」
「え?」
不意に零れた声は、ひどく頼りなさげに掠れていた。リダの身体はカタカタと震えており、彼女は右手で自分の顔を覆った。
「テイルが死んだ」
「……っ!?」
絶句した俺とライム。先刻までの獰猛さをすっかり失ったリダの双眸からは、ボロボロと大粒の涙が溢れていた。
「あいつ、また人のこと庇って……瓦礫の下敷き……出てこないんだ。テイルなら、意識さえあれば瓦礫くらいどうにでもなるはずなのに。瓦礫の下から凄い量の血が流れてくるばっかりで、テイルが出てこないんだ!」
叫ぶようにそう言ったリダは、錯乱した様子で、泣きながら頭を掻きむしった。
「私、テイルに何にも……あいつを追い詰めるようなことばかりしてきたのに、どうしてこんな……」
身を震わせて泣きじゃくるリダに、かける言葉が見つからなかった。ライムはリダの傷口を抑えながら、現実を否定するように首を振る。
「リダ、とにかくまずは傷を塞いで。もしかしたらテイル、気を失って動けないだけかもしれない。私達も一緒に探す」
「あぁ……」
リダは力無く頷いて、のろのろと自分の肩に手を翳した。
ミシィッ……!
その軋むような音は、まさか特殊生体化の解けた俺やリダから発せられたわけではない。
近場の壁に走った大きな亀裂に俺達が目を見開くと同時に、轟音を立てて亀裂が崩れ、壁に大穴が空いた。途端にそこから、黒い影が踊るように飛び出して来た。
「やっと見つけた!」
その声に、リダがバッと音がしそうな勢いで顔を上げた。
幾筋もの銀色の光を纏いながら、彼はくるりと身を翻して、俺達の前に着地した。真っ黒なコートの裾がひらめいて、さながら蝶の舞のようだった。
「テイル……!?」
涙に濡れた目を最大まで見開いて、リダが唇を震わせる。その顔を見たテイルは驚き、戸惑ったように眉を上げた。
「えっ、ちょ……泣いてるんですか!? 何が一体どうしてそんなことに?」
壁に空いた大穴の方を気にしながら、かなり挙動不審気味にテイルが尋ねた。途端にリダはハッとした様子で目元を拭い、テイルや俺達から顔を背けた。
「べ、別に何でもない」
「何でもないわけないでしょう……」
テイルは心配そうに言ったが、リダは「何でもない!」と少し声を荒げ、勢いよく立ち上がった。
「ちょっと幻覚に惑わされただけだ」
「あぁ……。そのド派手な破壊の跡、犯人はリダなんですか」
苦笑しながらそう言ったテイルに、俺は改めてリダの破壊の跡を見た。そこにはセンジュの死体も刀も、飛び散った血液すらなかった。どうやら、全て幻だったようだ。
「……センジュを倒したつもりだったんだ」
「騙されたからって、泣かなくてもいいでしょう」
「黙れ」
リダはボタボタと血を流し続けていた左肩を魔術で手早く治療し、壁に空いた大穴を睨んだ。
「それで、本物のセンジュは?」
「多分殺ったと思うんですけど……。というか、幻覚に左腕持って行かれたなんて、らしくないですね。どんな幻覚見たんです?」
「うるさい」
「はいはい、そこは触れちゃいけないんですね」
テイルは笑いながら、床に転がっていたリダの左腕を氷で包み込んだ。
「後で治しますね」
「自分でやるからいい」
リダはそう言って、俺達の方を見た。
「私とこいつで様子を見てくる。クレスとライムはここで待ってろ」
「でも――本当に大丈夫ですか? センジュには、ただでさえ一回負けてるのに」
「だから、何でもないって言ってるだろ。それに、前に負けたのは戦闘中に特殊生体化が進んだせいだ」
リダはテイルを睨み付けると、銃を構えて大穴の方へ歩を進め始めた。テイルは少し首を傾げて、彼女の後に続いた。