林檎と剣 9
真っ直ぐにアルベルトを見つめながらも、ライムの唇は微かに震えていた。漂う血の臭いが濃くなり始めたのは、鉄錆の間からドロドロとした赤い液体が流れ出したからだ。
「俺がクレスの知らないことを知ってるのは、俺の元になったのが〈アダム〉の一部だからだよ。この姿になったのは最近だけど、俺はずっとクレスを見てきたんだ。彼の知らない部分もね。……時間が無いよ、ライム。クレスの世界はもう壊れてるんだ」
「でもこのまま貴方に導かれるまま進んだら、きっと貴方は私をここから追い出すでしょう?」
アルベルトは口ごもり、しばらく黙りこんだ後で怪訝そうに眉を寄せた。
「そうだよ、俺は早急に君をここから追い出したい。君をクレスと一緒に消させるわけにはいかないんだ。……でも、何でわかったんだ?」
「だって、貴方も元はクレスでしょ? あいつの思考回路なら、多分そうなる」
当然のようにそう言って肩を竦めたライムに、アルベルトは困ったように眉を下げる。
「私はこの世界に巻き込まれたりしない。クレスを助けるにはどうしたらいいの?」
「簡単に言うけど、さっきだって動揺しまくりだっただろ。諦めた方が良い。クレスは君を巻き込むことなんて望んでないんだから」
「だ、だってあれは!」
顔を耳まで赤くして、今度はライムがモゴモゴと口ごもる。
「仕方ないじゃない。私、まだシたことないし……それなのにあんなの。いくらリィナに干渉されてるって言っても、少なからずクレスの下心だって混ざってるんだろうし」
「君は人の心の中で何をカミングアウトしているんだ」
アルベルトは呆れたように溜め息を吐いたが、「まぁ、君とヤりたいっていう下心が少なからずあったっていうのも、あぁなった原因の一部なんだろうけど」と付け足した。
「とにかく、ライムには無理だよ。出る方法を教えるから、諦めてくれ」
「嫌!」
「イヤって」
「絶対嫌!」
「あのね……」
「嫌なものは嫌!」
子どものように駄々をこねるライムにアルベルトは閉口し、眉間に中指を当てて溜め息を吐いた。
「じゃぁ言っちゃうけど。君が戻ってくれれば、じきにリィナは消えるんだよ。クレスと同じ様にね」
「えっ?」
自分の耳を疑うように眉を寄せたライムに、アルベルトは言った。
「リィナはヴェネスの体を欲しがってただろう? 君の体も。今いるリィナはね、かつての恋人を取り戻したいなんて殊勝な気持ちは持ってないよ。彼女はただの憎悪の塊だ。恋人も自分と同じ感情しか持っていないと信じて疑わない。今の俺がこんなだって知ったら、多分殺しにかかってくる」
「そんな……」
「リィナが王妃の体を乗っ取ったのは知ってるよね? でもその徴候が出始めた時、王女がリィナの邪魔をしようとしたんだ。王女は王妃の意識があるうちに、王妃を殺した。そして〈カオス〉を使って、王妃だけを蘇らせようとしたんだ」
「王女様が王妃様を殺した……?」
ライムは大きく目を見開き、震えた声で呟いた。アルベルトは頷く。
「あぁ。でも、王女は王妃を魔術で再構築することができなかったんだ。多分、混沌系統の扱いが不十分だったことや、リィナに対する不安や恐怖心が大きかったせいもあるんだろう。王女の術は失敗して、結局王妃の体はリィナのものになった。それくらいリィナは強い思念の塊なんだ。……王女の唯一の成果は、〈カオス〉によってリィナの魂の固定を不安定にさせたこと。クレスと同じ様に、リィナの肉体は特殊生体化してる。だからリィナは次の依り代となる君を欲しがる。つまり君が自分を明け渡さなければ、リィナは勝手に自滅する」
「…………」
ライムは口を閉ざし、ポタポタと血の雫が滴り始めた天井を見上げた。
「塔の天辺」
口の中で呟くと、ライムはパッと身を翻し、階段を駆け上り始めた。
「ライム!?」
慌てたように手を伸ばしたアルベルトを振り向いて、ライムはニッと笑う。
「クレスの一番大事なものが、天辺にあるはずなの!」




