外れた鍵 10
「これ、義父さんと同じだ!」
ゾクゾクと背筋が震え、俺は湧き上がる笑顔を抑えられないままにジンに羨望の眼差しを送った。ジンはニヤッと嬉しそうに笑う。
「俺のとっておき。本当はもっとピンチで使って、驚かせようと思ったんだけど」
「いや、これ凄ぇー! あはははははっ!」
最強の魔導剣士ディーナ。ライムの父で、俺の義父。今の俺を鏡で見たら、きっと少年のようにキラキラした眼をしているに違いない。水を吸い込んですっかり重たくなった衣服が体に纏わりつくが、今はそれすらも楽しくて仕方ない。
「でも、俺は魔導力ゼロなのに、よくあんなことできたな。一体どうやったんだ?」
「特定のものだけに影響を与えるのが、一流の魔導師ってやつだよ。まぁ、クレスの剣は特別だから、思っていた以上の威力が出たけどね。クレスずぶ濡れだし、普通の剣でやったら失敗してたかも」
「特別? 特別って、この大剣のことか?」
俺の使っている大剣の名は、女王の守護者。ディーナから譲り受けたものだが、かつては彼の愛剣だったものだ。だが、特別なんてそんな話は聞いたことが無い。
首を傾げると、ジンが驚いたように目を見開いた。
「えっ、クレス、知らなかったの?」
「何を?」
「その剣、多分ディーナさんが魔力を込めてるよ。もうディーナさんが亡くなってから時間が経ってるのに、まだ力が続いてる。クレスを守ろうとしてるのかな。今回は、俺達の繋ぎ役になってくれたみたいだよ」
「マジで!?」
驚喜の声を上げた俺に、ジンはニッコリ笑って頷く。何だか、心が温かくなったような気がした。
「剣の助けに加えて、俺の魔術にクレスの持つイメージが上手く重なって、凄い威力になったんだ。ただ、その剣じゃないと連携技は使えないかもね。クレスへの負担が大き過ぎる」
「俺にもう少し魔導力があれば、もっと気軽に使えるのにな」
「いや、魔術で重要なのは想像だ。少ない魔力でも、強烈なイメージを乗せればそれだけ強力な術になる。クレスはディーナさんの魔導剣を見てる上に単純だから、中位の〈スプラッシュ〉でも高位の〈ディープインパクト〉並の威力になったんだね」
単純。……貶されたのか褒められたのか分からない。微妙な顔をしていると、ジンがポンと俺の肩を叩いた。
「凄いと思ってるよ。クレスは俺の魔術を使って魔導剣を発動させられることに、何の疑いも持たなかったんだろう。俺の術を剣に乗せて、ディーナさんみたいな魔導剣を使えるって本気で信じたからこそ、あれだけの威力を発揮したんだ」
「それって……?」
「だから、連携技だって。要するに、クレスが『ジンの魔術は凄い』って思いながら気持ち良く剣技を繰り出せば、それだけ威力の大きな魔導剣が完成するんだ。俺の作ったイメージに、クレスのイメージが上乗せされる。もちろん、クレスが受け止められる状態の魔術を紡ぐことと、二人のイメージが大きく違わないことが必須条件だけどね」
じゃぁ、ライムとは無理か。俺があいつの雑な魔術を受け止めたら、この世から消滅しかねない。やっぱりジンは凄い。
「でも、もう少しクレスに合わせないと駄目かな。他の系統だったら、濡れるどころじゃ済まないや」
「これくらい問題無いよ。ライムに比べたら何でもない。あぁっ、もっと使ってみたいなぁ」
はしゃいでいると、ジンが「そのままじゃ風邪引くよ」と笑って、炎系統低位魔術〈ヒート〉と風系統低位魔術〈フライ〉を組み合わせて、濡れた服を乾かしてくれた。
それからしばらく進んでいくと、ようやく前方に特殊生体駆除協会の建物が見えてきた。
煉瓦造りの壁面と、噴水がある手入れの行き届いた前庭に、落ち着いたデザインの黒い大きな門。荘厳すぎるわけでも野暮ったいわけでもない、戦闘集団の組織とは思えない外観。
この辺りはミドール王国の政治経済が大変活発で安定している為、交易や移住を目的とする人の往来が非常に多い。協会の外観は、それに合わせて作られたと言ってもいいのかもしれない。
しかしここから見える大きな門の周辺には、人の気配も無ければ、見張りの戦闘員の姿も無い。巨大な建物は、まるでそこだけ時間が止まったように、しん、と不気味な空気を漂わせていた。
「こんなにひっそりしてる駆除協会は初めてだな」
特殊生体の襲撃を警戒しながら、俺達はそっと前庭の様子を窺った。
見回してみると、煉瓦の壁の上で踊る蔦も、夕陽を浴びる柔らかそうな芝生も、溢れ出る噴水の水も、以前と変わった様子はなかった。ただ、人の気配だけがない。
「何だか……嫌な雰囲気だね」
眉間に皺を寄せて、ジンが呟く。沈みかけの夕日が、まるで燃えているかのように真っ赤だ。
「行こう、クレス」
ジンはサクサクと前庭を進み、正面玄関の茶色い扉に手をかける。扉は半開きの状態になっていた。
ゴゥン……。
恐る恐る扉を押してみると、重たい音を立てて、扉がゆっくりと動いた。
扉の開く音が反響するほどに静かな館内に、やはり人の気配はない。閉じ込められていた冷たい空気が、ひんやりと頬を撫でて消えていくばかりだ。そこには血の臭いも混じっているような気がする。
「なぁ、ジン。これ血の臭いか?」
「そうみたいだね。クレス、いつでも逃げられるように、入口の扉は開けておいて」
「了解」
コツーン……。
滑らかな床を踏むと、冷たい足音が奥の方まで響いていく。
床の上には、引っ繰り返った花瓶やバラバラになった書類等が散らばっていた。窓の外の陽は今にも沈みそうで、何とも不気味な雰囲気が漂っている。
ジンは手探りで入り口付近の電気のスイッチをパチパチと動かしたが、天井のライトはうんともすんとも言わなかった。非常電源で作動する足元照明と受付カウンター上のコンピューターの光だけが、ぼんやりと空間を照らしている。
「駄目だ、電気がやられ――」
「おいっ、何だよこれ!?」
受付カウンターの上。それを目にした瞬間猛烈な吐き気に襲われて、俺は一気に込み上げてきた吐瀉物を床にぶちまけた。
どす黒く変色した大量の血液と、ワケのわからないぐちゃぐちゃの肉片。血で固められているのは、金色の髪の毛。
「フローラ……」
いつも笑顔が眩しかった、受付嬢のフローラ。頭も顔面もばらばらに砕け散っていてわからないが、この髪は恐らく彼女のものだ。
「残ってるのはこれだけか……」
呟いたジンに俺は低く呻き、再度込み上げてきた胃の内容物を吐き出した。カウンターには、粉砕した頭部の一部分しか見当たらなかった。ジンは自分の上着を脱ぐと、そっとそれを覆い隠した。