冷たい花 9
「勝手に人の過去を覗くなんて、感心できませんね」
振り返ると、俺の後ろにテイルが立っていた。
「テイル!? 無事だったのか!」
「えぇ、ちょっと吹っ飛ばされて。瓦礫に埋もれてました」
彼は土埃で汚れた服を払うと、しげしげと俺を見た。
「……凄い格好ですね。特殊生体の資料でも見たことが無いですよ、今のクレスは」
「後ろ姿で攻撃されなくてよかったよ」
「あれ、気付きませんでした?」
テイルは両の指を向かい合わせにして目の高さに持ち上げると、ゆっくりと腕を左右に引いた。よく見ると、彼の指の間には薄っすらと銀色に光る糸が張られている。
「妙な動きがあれば、すぐに斬るつもりでした」
ゾッとして身を竦ませた俺に、テイルは悪戯っぽく笑う。それから、リダへと視線を向けた。
「リダを一人にしたのは間違いだったようですね」
「あれは……?」
「十九階級特殊生体ヘル。あれそのものが、リダですよ」
「なっ……!?」
思わず絶句して、俺は不気味に聳え立つ、大量の鏡を茂らせた樹木を見つめた。あれが……リダだって?
混乱する俺に、テイルはあくまでも冷静に説明した。
「ヘルは、あぁして捕らえた者の記憶を鏡に映し出して、壊してしまうんです。どうもリダが遭遇したのはセンジュだったようで――クレスとライムがここから落ちた後、センジュがリダを連れて現れたんです。あれはリダの中にいる特殊生体が、リダ自身の魂を食い破ろうとしているんですかね……。あのままだと、もう長くないでしょうね」
「長くないって……あの鏡、壊れたらどうなるんだ?」
「記憶を失う、だけで済めばいいですけどね。あいつは性質の悪い事に、壊す記憶と残す記憶を選定するんです。例えリダでもそんなことをされたら――きっと死にたくなるんでしょうね」
テイルは言って、小さく息を吐いた。
俺はリダの過去を見てしまわないよう、努めてテイルに意識を向けながら尋ねた。
「テイル、どうすればリダを助けられる?」
「――クレスは何もしなくていい」
テイルはやんわりと俺の肩を掴み、しかし有無を言わせぬ様子で俺を後ろへ追いやった。驚いて目を見開いた俺に、テイルは優しく微笑んだ。だが、彼の瞳の奥がなぜか物悲しい。嫌な予感がした。
「テイル……何する気だ? 今のおまえ、絶対変だ!」
「変? 変なのはクレスの顔でしょう?」
テイルは悪戯っぽくそう言って、クスクスと笑う。
「茶化してんじゃねぇ!」
声を荒げると、テイルは驚いたように眉を上げた。
「クレス、何をムキになっているんですか?」
「ムキにもなる! おまえから嫌な予感がプンプンしてる! 俺の顔よりわかりやすいぞ」
するとテイルは僅かに目を見開いてから、小さく笑った。
「それは、大変だ」
「……なぁ、テイル。頼むよ。おまえが倒れた時、リダは物凄くおまえのことを心配してたんだ」
テイルは首を傾げると、血で汚れた長い髪を掻き上げた。
「僕の心配なんて、リダがするわけないでしょう」
その言葉に、ざわ、と肌が粟立った。既にテイルは身を翻し、リダに向かって駆け出している。
「テイル! やめろ!」
彼の背を追いながら、俺は叫んだ。その時、一際大きな鏡が目に留まった。
真っ暗な部屋の中、床に座り込んで銃を自分に向けているリダと、部屋に飛び込んできた傷だらけのテイル。
『リダ! 何やってるんですか!?』
『……っ!?』
テイルがリダへ飛びかかり、彼女の手から銃を奪おうとする。
『離せ!』
『何を血迷ってるんです! レイグはそんなこと望んでない! 彼は最期まで貴女の幸せを願って死んだんですよ! 裏切ってどうするんです!』
『うるさい!』
ガゥンッ!
リダの叫び声と共に、銃口が火を噴いた。
『ぐっ……!』
テイルの右肩から血が滲み出し、彼は肩を抑えながら後ろへよろめいた。
『テイル!?』
『……掠っただけ』
ガシャンッ、と重い音を立てて銃が床へと落ちる。
『どうして……』
リダは俯き、唇を噛んだ。
『どうしておまえじゃなかったんだ!』
テイルの黒い目が大きく見開かれ、その表情が凍り付く。痛みではないものに、彼の体が震えていた。肩を押さえる指の隙間から、ポタポタと血の滴が流れ落ちる。
『どうして僕じゃなかった? ……そんなの僕が聞きたい』
テイルは震え出した体を抑えるようにぎゅっと拳を握り締めると、そのまま部屋を出て行った。静かにドアが閉まる音に、リダがハッとしたように顔を上げる。
『違う……テイル、待って! 違うんだ!』
慌てたように部屋を飛び出したリダは、テイルの背を必死で呼び止めた。
『テイル、違うんだ! 今のは……!』
泣きそうな顔で叫ぶリダに、振り返ったテイルは悲しそうに微笑んだ。
『いいんです。事実ですから』
『テイル!』
テイルはリダの声を聴くまいとするように、もう振り返りもせず走り去っていく。リダは追いかけようとして、しかしうまく力が入らなかったのか、縺れた足に躓いて転んだ。
『違う、やめて……そんな意味じゃないんだ……!』
床に倒れ込んだリダは、頭を抱えて震えながら蹲る。
……あの二人が妙にギクシャクしたような関係なのは、そういうことなのか。
あの状況で「どうしておまえじゃなかったんだ」なんて、おまえが死ねばよかったと言われたも同然だ。例えリダが本当にそういう意味で言ったのでは無いのだとしても、テイルはそう受け取っただろう。
パキィッ!
その大きな鏡の脇で、不意に別の鏡に亀裂が走った。そこには白いワンピースを着たリダが、嫌そうながらもケーキの蝋燭を吹き消している姿が映っていた。周りには、楽しそうに笑う王宮騎士達がいる。――きっとヘルは、ああいう幸せな思い出を壊してしまうのだろう。
テイルは鏡に走った亀裂を見上げて顔を歪めると、幹の中へ取り込まれたリダへと手を伸ばした。
「リダ、しっかりして!」
彼の細い指が、赤黒い幹に飲み込まれているリダの体を掴んだ。
「ねぇ、あれってもしかして、リダがあまりに抵抗するから、肉体のヘルが魂のリダを食べようとしてるって話?」
突然後ろから声が聞こえて振り返ると、そこには真っ青な顔のライムがいた。
「ライム! おまえ大丈夫なのか!?」
「きっとクレスは見てるだけなんだろうと思って、這ってきたわよ。案の定ね」
ライムが小馬鹿にしたように、ふんと鼻を鳴らす。
「愚かな特殊生体もいるものね。自分自身の魂を、そうと気付かず壊そうとするなんて」
「……あぁ」
「それじゃ、クレス。私をリダのところへ連れて行って」
「何する気だ?」
「リィナに教わったあんたを助ける方法、ここでリダに使うの。あんたが私の思う人間なら、後悔はしないはずよ」
「リィナに吹き込まれたの間違いだろ。……そんなの、大丈夫なのか?」
「えぇ、大丈夫」
ライムは自信あり気にニヤッと笑うと、問答無用で俺の背中にしがみついた。