冷たい花 8
* * *
崩れたエントランスに戻ってきたものの、そこにメロヴィスとテイルの姿は無く、代わりに異形のモノが聳えていた。
……一体何なんだ、これは。
生い茂る木々の葉のような、けれどそれぞれが歪な形をした大小様々な大量の鏡。その鏡に映るのは、様々な表情や年齢のリダと、恐らく彼女を取り巻く人々の姿。
それらを支えているのは、木の幹のような赤黒い支柱だった。ちょうど柳の樹のようにも見えた、夏の涼風は全く似合いそうになく、赤黒い幹の前には、同色の枝に両腕を絡め取られて吊るされているリダの姿があった。彼女は美しい容姿と真っ赤な髪はそのままに、蒼い硝子のような身体に変貌していた。
「う……ぁ」
彼女は苦しそうに呻きながら、ぐったりと項垂れていた。
自然と視界に入ってくる大きな鏡に映し出されたリダは、今よりも髪の短いテイルと一緒に何か紙を覗き込みながら、首を傾げていた。
『何、それ?』
『城下でやってる武闘大会の予選結果。私の部隊に剣士が欲しくてな』
『何言ってるの。まだちゃんと休まないと駄目だよ』
『確かに身体は少し重いけど、大丈夫だよ。……ん?』
『どうしたんだ?』
『書き間違いだろうけど、十二歳の少年剣士がぶっちぎりで大会予選を突破してる。そいつと当たった軍の猛者が全滅だ』
『十二歳? 凄いね。軍人に勝つなんてかなりの腕なんじゃない?』
『……あ、駄目だ』
『何で?』
『この子、魔導力ゼロで魔術が全く使えないそうだ。人より低いくらいならともかく、ゼロじゃどうしようもない』
『ゼロ? それも珍しいね』
その鏡に意識を向ければ、会話すら聞こえてきた。武闘大会の予選をぶっちぎりで突破した魔導力ゼロの少年剣士というのは、過去の俺に心当たりがありすぎる。リダの部隊なんて死んでも御免だが、武闘大会はライムの両親が亡くなる前のことだったし、当時の俺なら諸手を上げて飛び込んだだろう。こればかりは魔導力ゼロでよかった。
ただ、リダとテイルの会話にしては口調がおかしい。よく見てみると、テイルだと思ったのはどうやらテイルによく似た男のようだった。彼はテイルと違って、黒の短髪に茶色い目をしていた。もしかして、彼が混沌系統魔術で生まれたというテイルの複製なのだろうか。
その隣の鏡には、やはり黒の短髪だが、黒い目をした男とリダが映っていた。
『リダ、捕まったって聞いたけど……もう体は大丈夫ですか?』
『ん、あぁ……ちょっとドジ踏んだ。でも、何も無かった。レイグが助けてくれたから』
『いくらレイヴンの人身売買の手掛かりを掴んだからって、単身で乗り込むなんてどうかしてますよ。何で団長に相談しなかったんですか?』
『別に乗り込んだわけじゃない。……私の部下が、そいつらに家族を人質に取られたんだ。それで一服盛られた。気付いたら薄暗い部屋で縛られてた。何か注射を打たれたのは覚えているんだけど、あとはぼうっとして思い出せない』
『なっ……!?』
『心配ない、それだけだ。今は何ともない。……ただ、部下とその家族は殺された。団長に頼んで色々探ってもらったけど、何も出て来なかった。私をミドール城へ連れ帰った後でレイグがその場所の近辺を捜索したんだが、こちらも何もなし。……部下を無駄死にさせてしまった』
『そう……。でも、リダが無事で良かった』
『大丈夫だから、そんなに怖い顔するな。それより、今度レイグを紹介するよ。まだ会ってないだろう? おまえにそっくりなんだ。きっとびっくりする』
会話はそこで終わった。レイヴンの人身売買というのは、確かレイヴンとの戦争のきっかけだ。一体、あそこに映し出されているのは何なのだろう。
更に別の鏡には、ランプに照らされたテーブルに向かい合って、カードゲームをしているリダの姿もあった。相手はテイルのようだ。
『テイル、どうしよう。何かおかしい気がするんだ。大切なことを忘れている気がする』
『大切なこと?』
『そう。……よくわからないんだけど、最近、心の中にずっとあったはずの温かい何かが、ポッカリと無くなってしまったような気がするんだ』
『…………』
『私、このままレイグを好きになっていってもいいのかな。今ならまだ、引き返せる気もするんだ……』
『大丈夫。忘れてしまうくらいのものなら、きっとそんなに大事なものでもない。自分の気持ちに、正直になればいいんです。……レイグに「好きだ」って、言われたんでしょう? 貴女も彼に惹かれてる。何なら、氣術で心を読みましょうか?』
『馬鹿、読むな。仲間内でそれをしないのが、おまえのポリシーとやらじゃなかったのか?』
そうか……きっとこれ、リダの過去――他人が勝手に覗いてはいけないものだ。彼女が自分で話そうともしていないことを、こんな形で知っていいはずが無い。
混乱しながら視線を動かした俺の目に、今度は満天の星空が飛び込んでくる。
草の上に寝転がるのは、リダと黒髪の青年。意識せずともそれがテイルとレイグのどちらなのか気になって、会話が耳に響いてくる。
『流れ星に願いをかけると叶うって……よく言うだろ?』
『信じてるのか?』
『あんな綺麗な星が消える瞬間だ。何か起きそうじゃないか』
『願い事を?』
『間に合わなかった』
『願うなら、何を願うつもりだったんだ?』
『愛する人が、どうか幸せであるように』
『そんな願いは、星にかけるものじゃない』
リダは笑って、青年の横顔をじっと見つめた。彼は茶色の目をしていた。
『レイグ、私と手を繋いで。それから、唇を重ねて……』
リダはレイグの手を取り、そっと彼に唇を重ねた。
あぁ……やっぱりリダの恋人はレイグで、レイグはテイルを元に生まれた特殊生体で――テイルがレイグを殺したんだ。
『ほら、叶った。……幸せには、十分だろう?』
信じられない程に優しい表情を浮かべたリダが、目を見開いたレイグに笑いかける。
その時、呆然と鏡を見つめる俺の視界を、ふわりと塞ぐものがあった。