冷たい花 6
「どうしたの、クレス? いつも以上に様子がおかしいけど」
「何でもない。本当に、ごめん」
「凹んでる場合じゃないでしょ。さっさと行くわよ」
俺に剣を向けられたことなど気にする様子もなく、ライムが笑った。
俺は立ち上がりながらも、自らの考えに俯いた。
「……。あのねぇ、あんたの考えなんてお見通しよ!」
すると、不意にライムが快活な声で言った。驚いて彼女を見ると、ライムはすっくと立ち上がって腰に手を当てた。
「私はあんたと違うんだから、リィナなんかにやられないわよ。仮に今の状況がリィナの思い通りで、私の力を何かに利用しようとしているのだとしても――返り討ちにしてやるから、芋でも洗って待ってなさいって話」
「芋……?」
「あんたが思い当たる事なら、私だってとっくに考えてるわよ。まぁ、ただ……リダとテイルが残ってるのはどうしてかっていうのはわかんないけど。ここまで来ても、まだあの二人が生き残った理由が見えてこないのよね」
ライムは首を捻ったが、間もなくその表情がピシリと凍り付いた。理由を尋ねずともわかる。彼女の視線の先からは、強烈な熱気が、存在を誇示するかのように勢いを増して放たれ始めていたのだ。
「喋ってる場合じゃなかったわね。私達ってこういうとこ、本当に馬鹿だわ」
「首を洗うような場面でおまえが芋を洗うなら、間違い無く馬鹿だろうよ」
振り返ると、テムングスを包んでいた氷はすっかり溶け消え、炎に包まれた巨体がゆっくりと立ち上がっていた。
「クレス、できるだけここから離れて」
「えっ?」
「私のとっておき。でも、多分クレスにも大ダメージ」
「さっきの〈オーシャンクラッシュ〉より上があるのか?」
「〈オーシャンクラッシュ〉は水系統最高位だけど、私、海で溺れたことも無いし、増して深海なんて行ったことないのよね。水は私の属性でも無いし、威力はイマイチ」
「でも、氷の世界に閉じ込められた経験も無いだろ?」
てっきり氷系統最高位を使うのかと思ったが、ライムは口の端を上げて答えた。
「爆炎を噴く火山と溶岩なら、間近で体験したことあるの」
「は?」
「修得当時はこっちが消し炭になりかけたけど――任せて。テムングスを超える炎を紡いでみせる」
「じゃぁ、そいつでキメてくれ。さもなきゃ黄泉路を散歩するハメになるぞ」
「了解っ。あ、クレス、一応さっきと同じく〈イクスティン〉で守るけど――まぁ、死んだらごめん!」
ライムが言うなり、俺は脱兎の如く逃げ出した。ライムの「死んだらごめん」は、絶対洒落にならない。本当に消し炭にされる前にこの場を離れなくては。
「さぁ、行くわよ! ルルカ・バーナ・ライム――」
ゴゥッ!
辺りの空気が気色を変える。それだけで俺の体のあちこちが引き裂かれ、勢い良く血が噴き出した。
「まだ魔力集めただけだろ!? 滅茶苦茶だっ!」
悲鳴を上げた刹那、目の前に真っ赤な風が吹き荒れた。
「〈ブラックボルケーノ〉!」
「っ!?」
轟音と共に辺りに満ちた魔力が激しく明滅したかと思うと、漆黒の炎が龍の如く渦を巻き、舐めるように天井へと燃え広がった。あまりの熱風に息が詰まり、蹲ることしかできない俺の頭上から、今度は灼熱の岩石が降り注いでくる。それどころか……。
バキィィィイイイッ!
床や壁に巨大な亀裂が走り、黒い炎に舐められながら、次々と足場の石が弾け飛んで行く。下は――まだ海水の引き切らない牢屋だ!
「やばい、落ち……!」
足場を失い、宙に放り出されたその時、俺の右腕がライムの鞭に絡み取られた。
「大丈夫? ちょっと室内向きの魔術じゃ無かったわね」
辛うじて残った足場から身を乗り出して、煤けた顔でライムが笑う。
辺りの八割の床は崩壊して、足元の暗闇へと吸い込まれていく。瓦礫が次々と音を立てて水底へ沈んでいった。
ビシィッ……!
と、その時、不穏な音が頭上から鳴り響いた。
「ライム、今、物凄く不穏な音が……」
「そうね……待ってて、すぐ引き上げる」
しかし直後にライムは大きく顔を引き攣らせ、
「おえぇぇぇぇっ!」
あろうことか、俺の上で吐きやがった。
「ぎゃぁぁぁあああっ!」
降り注いでくるゲロの雨。俺は悲鳴を上げて避けようとしたが、俺の体はライムの鞭一本に支えられていて、ライムの足場も崩落の一歩手前。先刻の〈ブラックボルケーノ〉を乗り切った俺の防御力もかなりのもののようだが、だからと言って進んで氷の海へ落ちようとは思えない。どう考えても、無闇に暴れるのは得策ではない。
ないが――……あぁぁ。
「覚えてろよ……」
頭からライムのゲロを浴びながら、俺は項垂れた。
「うっ……うぅぅぇええ……」
ライムは女とは思えない声を漏らしながら、危なっかしい力の入れ具合で、何とか俺を引き上げた。
「うわっ、クレスゲロ臭っ」
「……誰のせいだよ」
辛うじて残った足場の上に蹲りながら、ライムは真っ青な顔でニヤリと笑う。
「燃え散らしてやったわよ。直撃」
「お疲れ。サイコーだ」
俺は顔を拭きながら、暗い闇の底に視線を移した。
出入り口の扉は吹き飛んでしまって見る影もない。そちらの方向の足場までは、魔術で飛ばなくてもジャンプすれば何とか届きそうだが――
「おうぇぇええええっ!」
……ライムは動けそうにないし、しばらくここで彼女の回復を待つしかないだろう。
俺は溜め息をつき、チラリとライムを見遣った。
「なぁ……おまえ、俺がこんなでもあんなこと――好きだとか言うのか?」
「さっきは自分からキスしたくせに」
「あれは……俺の意思じゃない。本当に悪かったよ。ごめん」
そう言うと、ライムはのそのそと身を起こし、ぐっと俺の方に身を乗り出してきた。
「じゃぁ、今度はクレスの意思でしてよ」
「!」




