冷たい花 5
* * *
シャリシャリシャリ……
石の床を大剣の切っ先が擦る音。それを引き摺って、俺は後退するライムへゆっくりと迫った。
「おまえに魔術を教えた義父さんが、おまえの力を抑えてる。おまえの魔術を捻じ曲げている。義父さんが魔術に描き出すイメージは、おまえにとっての妨げでしかない。それなら、そんなイメージは捨ててしまえ。自分のオリジナルで紡いでやろう。――凄いじゃないか。父親の力を使わなくなった途端、テムングスを黙らせる威力と、俺との魔導剣を成功させるほどの安定を生み出すなんて」
「馬鹿のくせによくわかったわね。父さんの作った魔術のイメージが私の力を抑えるものなら、この状況で父さんに教わった魔術なんて使ってられないわ。私だって、一応人並以上のことはしてきたつもりなんだから」
「だろうな。ガキの頃、大魔導師の娘だったおまえを羨んでたことを謝るよ。独創の魔術なんて、余程の鍛錬が無いと発動するわけがない」
「ちなみに、それ以上近付いたら容赦しないわよ。私のとっておきで消し炭にするからね」
ライムは口の端をニヤリと上げたが、視線は必死に逃げ場を探していた。
「逃げ道なら、テムングスが塞いでる」
とうとう彼女を壁際に追い詰めると、俺は引き摺っていた大剣を持ち上げ、彼女の首元へと突き付けた。
「怖いのか?」
「怖いわよ。クレスのくせにわかんないの?」
逆ギレ気味にそう言ったライムの鞭に、炎が奔る。こいつは本当に、魔導剣を使いこなせるようになっているらしい。
「あんたがいなきゃ駄目なんだって、何回言わせる気!? クレスを失うことが、私は一番怖いのよ!」
炎を纏った鞭が唸りを上げて襲いかかってくる。俺は大剣でそれを絡め取った。右腕がバキバキと枯渇音を立てて、更に形状を変化させていく。俺は左手を伸ばし、ライムを自分の方へ引き寄せた。
「!?」
いつか彼女がしたように、今度は俺から唇を重ねた。ライムの身がビクリと竦み、見開かれた青い双眸から、大粒の涙が滲み出す。途端に、彼女の持つ魅力が二倍にも三倍にも膨れ上がった。――俺の欲しいモノが、燃える炎のように大きく揺れている。
「どうした? 俺が好きなんだろ?」
彼女の〝それ〟が大きく動いているのがわかる――もっと、もっと大きく。
「俺の為に死んでよ。俺にソレをちょうだい?」
「生憎、魂は一人一つよ。あんただって、持ってるでしょう!」
口ばかりはあくまでも強気なライム。その頬をポロポロと伝い流れていく涙に、俺はそっとキスを落とした。そうしながら彼女を床へと投げ倒して、右手の大剣を振り上げる。
「大丈夫。一撃で楽にしてやるから」
倒れたまま俺を見上げ、ライムは顔を歪める。しかし、構わず刃を振り下ろした俺の右手を、受け止める者があった。
黒髪のオールバック、青い瞳と蒼の軍服。大して力を入れている様子でも無いのに、彼は片手で軽々と俺の剣を受けている。
彼は笑うと、俺をじっと見つめた。その強い光に射抜かれて、思わず息ができなくなる。
その精悍な顔立ちの青年は、恐らくリィナの求めるアルベルトの姿だ。
「アルベルト……?」
掠れた声で問いを投げかけた時、フッとアルベルトの姿が消えて、俺は呼吸を取り戻した。ゆるゆると下ろした右腕には、ひどい違和感を覚えた。見れば、右手から漆黒に変色した女王の守護者が生えていて、すっかり腕と同化してしまっていた。
「クレス……?」
見上げてくる大きな瞳に、俺は膝を着いた。ゆっくりと身を起こしたライムを、異形と化した両腕で、傷を付けないようにそっと抱き寄せる。
「……何で逃げなかった」
細い肩に顔を埋めながら、俺は腕の中の温かな存在に安堵した。一体俺は、何度惑わされれば気が済むのだろう。ライムは俺の髪を撫で、それから後頭部をペシンと叩いた。
「あんた、特殊生体化すると人格変わりすぎ。どうも高階級らしいっていうのが腹立つわ。あんたなんか、飛びかかってくるだけしか能の無い特殊生体で十分よ」
「……ごめん。意識はあったんだけど」
「じゃぁ、今回過去は見てないのね?」
「あぁ。……でも、代わりにアルベルトが」
「アルベルト?」
眉を寄せたライムに、俺は頷く。
「アルベルトが止めてくれたんだ。……前から俺の中にずっとあったんだ。リィナを大切だと思う気持ち。でも、不思議と違和感は無いんだ。義父さんが俺を生き返らせた時に、アルベルトが手を貸すって言ってたから、そのせいかも」
「……あんた、ヴェネスにも言われたんでしょ。誰かが何とかしてくれると思ったら、無意識のうちにそれに甘えるって。さっきのは私が強い力を使えるようになったのがわかったから、次はアルベルトが止めてくれるから、って理由じゃどうしようもないのよ?」
――違う。
俺はその否定の言葉を発することができず、「ごめん」と曖昧に頷いた。
俺が今自我を失ったのは、ライムの力に頼ろうとしたからではない。
彼女を守ろうとする意志を、一瞬でも失ったからだ。
リィナはライムの力が目覚めるのを待っていたのではないか。父親の力を切り捨てて、彼女が本来の魔導力を最大限に扱えるようになるのを。
何の為に? そこまではわからない。しかし、ライムが今生きているのがリィナの手の内のことなのは間違いないことで、だからこそ王女はクライスの子を――アルベルトと関連している俺だけでなく、ライムも守れとリダに命じたんだ。きっとこの先、俺達は二人で生きることなんてできない。
俺はライムの魔術を目にして、その想像を信じてしまった。