冷たい花 4
真っ赤な槍が、轟音と獄炎を纏って振り下ろされる。溶かされた氷が飛沫を上げ、後方へ跳躍した俺達のいた場所で、石が赤く熱を持ち、抉れたように溶けた。
「ライム、大丈夫か!?」
「この熱さって、私のお肌が大丈夫じゃない! 全然近付けないし――近付かなくても〈シールド〉が消えたら一貫の終わりね」
お肌で済めばいいが、〈シールド〉無しに近付いたら、俺はともかく、冗談抜きでライムは骨まで溶け落ちるだろう。ライムは左腕で目元を庇いながら魔術を紡いだ。
「――〈ディープインパクト〉!」
彼女の右腕が振り上がり、足元から噴き上がった水が天井へと渦を巻く。
「喰らえっ!」
放たれた水系統高位魔術〈ディープインパクト〉は、大波となってテムングスへと疾った。しかしテムングスの纏う熱には敵わなかったのか、辺りはたちまち高熱の水蒸気に包まれた。
「――〈ブリザード〉!」
すかさず放たれた氷系統高位魔術〈ブリザード〉が、身を焼き視界を奪う水蒸気を吹き飛ばす。だが、やはり〈ブリザード〉はテムングスへ届く前に溶け消えてしまう。
ただ……テムングスにこそ届かないが、何だかやけにライムの魔術の威力が高くなっている気がする。高位魔術なのに呪文を使っていない上に、展開も速い。
「クレスっ! ボサッとしてないで戦う!」
「あんな熱の塊、そう簡単に踏み込めるわけないだろ!」
ゴゥッ!
身を屈めた頭上を、灼熱の炎を纏った槍が突き抜ける。大剣の刃を槍の柄に滑らせて接近しようとしたが、違和感を覚えて飛び退くと、刃が見事に溶け崩れていた。
「嘘だろ……!?」
目を見開いた俺の体を、不意に防御系統高位魔術〈イクスティン〉の桃色の光が包み込む。
「これでどう!? ルルカ・バーナ・ライム――〈オーシャンクラッシュ〉!」
ライムの声が聞こえた次の瞬間、ブワァッと足元から大量の水が沸いた。水はたちまち水位を増して、俺とテムングスを飲み込んだ。どうやら〈イクスティン〉で俺を守ろうとしたようだが、その甲斐もなく、完全に巻き込まれてしまった。
ゴプンッ……
耳元で空気が途切れた音がした。辺り一面が水に沈んだというのに、テムングスは怯みもせずに槍を振り上げる。
「……っ!」
逃げようとした刹那、強烈な力で俺の体は水底へ叩き付けられた。まるで何かに押し潰されているかのような凄まじい重圧に、指の一本すらも動かせない。一体ライムは何をしたのだ。
混乱していると、内臓が潰れそうな程の圧力が更に加えられた。堪らず溜めた空気を吐き出して、代わりに流れ込んで来た水を飲んで、完全に呼吸が詰まった。
ザザァッ!
息ができずに視界が暗転しかけたところで、俺とテムングスを飲み込んでいた水が弾け、引いていった。身体にかかっていた圧力が消えて、フワリと宙に浮くような気さえする。
「げほっ、げぼっ!」
盛大にむせ返りながら、あまり役に立ちそうにない大剣だけは握って、俺はテムングスの方を見た。今のはさすがに効いただろう。肌を焼くような熱量も、今は感じない。
「!?」
テムングスは膝こそ折っていたが、身に纏っている炎は、勢いこそ衰えても消えないままだった。
「マジかよ……タフすぎだろ」
呟くと、強烈な冷気が俺を包み込んだ。
「ルルカ・バーナ・ライム!」
「うわっ!?」
慌てて飛び退くと、集まった冷気は青白く輝く結晶と化して、すぐに霧散して消えた。
「何するんだよ!?」
先刻の〈オーシャンクラッシュ〉とやらに俺を巻き込んだのは仕方ないとしても、今のは確実に俺だけを狙っていた。
「喧嘩の続きしてる場合じゃ――」
「避けないで! クレス、私を信じて」
抗議すると、ライムが強い声で言った。
「信じてって……何する気なんだよ?」
「テムングスがダウンしてる間に、魔導剣でぶった斬って!」
「魔導剣!? おまえ、それは……」
「ずっとクレスと一緒にいるんだもん。ジンにできて私にできないわけがない!」
「だからその自信は」
どこから出てくるんだ!?
後半を声に出す前に、再び冷気が俺を包み込む。
「クレス、腹括って!」
「怖ぇぇっつーの!」
悲鳴を上げながらも、俺は女王の守護者を構えた。
「ルルカ・バーナ・ライム!」
辺りに強大な魔力が渦巻き、髪や服がバタバタとはためく。俺は刃を水平に構え、切っ先をテムングスへ向ける。
「「氷晶輪舞!」」
掛け声はピッタリ一致。溶けたはずの刃が青白く真っ直ぐに輝き、テムングスに突き立てた一閃に加え、更に三本の氷の剣が俺の一撃に続いた。合わせて四本の刃に貫かれたテムングスから、初めて絶叫が上がる。
「何だ……今の」
驚愕のあまり呆然とした俺の脇を、ライムの容赦無い〈ブリザード〉が駆け抜けていく。よく見れば俺の身体にも薄っすらと氷が張っていたのだが――傷を負ったわけではないし、許容範囲だ。ライムの魔術は、これまでと比べて飛躍的に威力と精度を上げている。恐らく大魔導師と呼ばれた義父にも引けを取らないだろう。
……リィナはこれを計算に入れていたのだろうか。もし入れていたのだとしたら――これだけの力を秘めていたライムを、リィナがここまで生かしておいた理由は何だ。
待っていたのか、こうなるのを。
「ライム、おまえ……」
「げ! 出口塞いじゃった!」
ようやく言葉を紡ごうとした俺を無視して、ライムが頭を抱える。今や分厚い氷に包まれて沈黙しているテムングスは、その巨体で通路をすっかり塞いでしまっていた。
バキッ……!
「!」
すると突如、不穏な音が俺の身体から鳴り響いた。驚いてこちらを振り向いたライムの不安そうな顔が――赤く歪む。
「クレス!?」
「駄目だ……逃げろ、ライム……!」
全身を駆け巡る血液が熱い。心臓が激しく早鐘を打ち、意識が絶望と渇望に染め上げられていく。枯渇音ばかりが耳を叩き、ライムの声が遠く薄れていく。
「早く、早く逃げろ!」
急かす俺に、ライムはその場を動かない。キッと唇を引き結び、彼女は鞭を手にした拳を、ぎゅっと握り締めた。
「逃げないよ」
意識が朦朧とする。頭の中で、バキバキと奇妙な破砕音がノイズのように響いている。
「大丈夫だから! 私の声、聞こえるでしょ!? しっかりして、クレス!」
悲鳴のようなその声が、瞬間、甘美なものへと変わった。怯えるライムの表情に、俺は思わず笑みを零した。
「義父さんの名を棄てたのか? それで魔術の威力が上がるなんて、やっぱりおまえはただの道具だったってことだ」