第4話 〜離別
「そうそう、こんな夜は酒でも飲むに限るって。お酌してくれよ、アーリア。なぁ?」
いつの間に居たのだろうか、背後からタウラッグほどの背の高い男と、対照的に背の低い男がふらりと現れる。
背の高い方――レイス――はタウラッグと対極的で、長い黒髪を無造作に後ろに縛り、無精髭を顎に蓄えていた。へらへらと笑う顔に締まりはなく、片手にはしっかりと蒸留酒のボトルが握られている。その腕は無駄なく筋肉がついていて、一見戦士かと思えるほどだ(本当は魔術師なのだが)。
背の低い方――カルア――は幼さを残した体つきで、ふわりとしたショートカットが印象的な少年だ。しかしその体さばきから、おのずと盗賊である事が分かる。レイスほど崩れてはいないが、それでも屈託無く笑顔を浮かべ、茶の瞳に知性の光を宿していた。今も場違いに微笑みながら、こちらに近付いてくる。
そんな2人の姿に拍子抜けして、アーリアはぽかんと口を開けてしまっていた。見ると、タウラッグも同じような顔つきになっている。
「お前たち……いつからそこにいた?」
「んっとね、そうだなぁ、アーリアが隣に行ってもいい? って言った辺りかな」
「そうそう。そのまま、ラブシーンに一直線。あわや一線を超えるかという所で天邪鬼な俺たちが入ってきたというわけだ」
「勝手に事実を捏造するなっ!」
「えー? いやだって、もちろんキスから始めるつもりだったんだろ?」
「何の話だっ!? ええい、そのような下賎な言葉を出すのはこの口かっ!? この喉かっ!?」
「レイス、その辺にしておきなって。そろそろ、アーリアが首締めの構えに……って、もう締めてるか」
割と洒落にならない地獄絵図に対して、あははと気楽に笑うカルア。なおも技を極めようとするアーリアに、レイスの悲痛な悲鳴が響き渡る。そんな様子を、タウラッグは嘆息しながら眺めていた。
「……なんというか……お前たちの、そのじゃれ合いはなんとかならぬのか? 毎度毎度、頭痛がして堪らぬ」
「まぁ、それは自分の運を嘆いて諦める事だね。人はコレを、腐れ縁って言うんだ」カルアはクスリと笑ったかと思うと――その顔から、おどけたような色が消え去る。無言で歩み寄る彼の瞳は大人びていて、強い意志を秘めていた。
「タウラッグと別れるのは、仕方ないと思ってる。そりゃあ、王様が亡くなったんだもの、無理も無いよ。妖魔たちと戦いたいなら、止めはしない。それは、タウラッグの決めた道だから、僕たちは止められない」
「カル! お前、自分が何を言っているのか分かっているのか!?」
思わず、アーリアは振り返った。だが、彼はその剣幕にも動じない。
「僕だって、タウラッグが死ぬのは嫌だ。短かったけど、ずっと一緒にいた仲間だもの。だけど、だからといって彼の考えまで縛り付ける事はできない。そうだろ?」
「しかし――」
「笑ってとは言わないけど。せめて……仲間として、送ってあげようよ。アーリア」
「そういうこった。コイツは頑固者だからなぁ、一度決めたらテコでも動かんだろうよ」
「……レイス」
「俺からも言わせてくれ。せめてもの餞ってヤツだ」
大柄な魔術師はニヤリと笑うと、握っていた酒瓶をアーリアに押し付ける。刹那――
唐突に放たれた右ストレートが、タウラッグの顔へと深くめり込んだ。
不意打ちを受けて、タウラッグは派手に手すりへと叩きつけられる。それをしばし呆然と眺めていたアーリアだったが、我に返った瞬間には、すでに叫んでいた。
「レイス!? こっ……馬鹿者が! 一体何を……!」
「馬鹿者はどっちだ、ああ? タウラッグ」
なおも叫ぼうとして、アーリアは言葉を失った。レイスの様子が明らかにおかしい。ふざけた調子が完全に消え、ただ静かな顔でタウラッグを見下ろしている。その黒い瞳からは、何の表情も読み取れなかった。
彼はゆっくりと膝をつくと、その太い腕で騎士の胸倉を掴む。被害者であるはずのタウラッグはされるがまま、レイスの顔をぼんやりと見つめていた。口の端には血が滲んでいる。この魔術師は本気で殴ったのだろう。
「まるで死神みたいな顔になりやがって。全ての不幸を背負ったみたいな顔しやがって。……最後までお前さんは大馬鹿野郎だよ、畜生」
罵倒するような言葉を吐いておきながら、レイスにはまるで覇気が無い。その不可思議な様子をじっと見ていたアーリアだったが、ようやく彼女は気付いた。
(そうか……レイス、カル、お前たち……)
怒りの言葉ではないのだ。怒りに任せて言うには、余りにも――悲しみが強すぎる。
彼はそれまでじっとタウラッグを見据えていたが、ゆっくりとその手を下ろした。そして立ち上がり、呟く。
「生きて帰って来い。死んだりしたら、ただじゃ済まさんぞ」
「…………」
騎士の沈黙は、果たしてイエスかノーか。それすらも、アーリアには分からない。しかしレイスのこの一撃だけが、彼らの思いの全てなのだろう。それだけは、分かった。だからこそ、彼女は言わずにいられなかった。
よろめきながら立ち上がるタウラッグに向い合い、アーリアは真っ直ぐに彼の顔を見据える。
「タウラッグ、お前が苦しむのも分かる。私が苦しんだようにな。だが――私たちはセリアとスフィア、そして賢王の命を背負ってこれからも生きていくのだ。お前一人の命ではない……それを忘れるな」言葉を紡ぎ終えると、彼女は聖印を手に祈りを捧げる。簡単な祈りだが、何よりも思いを込めた祈りだった。「戦神マイリーよ、旅立つ彼の者に祝福を」
「……明日の朝、私は旅立つ。そこで別れる事になるだろう」
淡々とした言葉を放ち、タウラッグはそのまま宿の中へと入っていく。それを3人は、黙って見守る事しかできない。しかし最後にすれ違ったアーリアは、何かを聞いた気がした。
――すまない。
聞き違いかもしれない。思い過ごしかもしれない。けれどそのたった一言は、冷たい氷が溶けていくように、暖かく感じられる。
再び静寂が訪れ月光の照らされる中、穏やかな波の音だけが彼らを包み込んでいた。