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第3話  〜月夜

この宿には、夜空の見えるベランダがある。波の音が微かに聞こえ、たまに訪れる場所だった。が、今夜は先客がいるらしい。

黒髪を律儀に短く切り揃えた長身の男は、振り向きもせずに呟いた。厳かな、静かな声音だ。

「アーリアか……まだ眠れないか? 無理もないが」

「それはお互い様だろう? タウラッグ。……隣、よいか?」

苦笑交じりに答え、アーリアはその隣へと歩む。彼はやっとこちらに向いて、うむと頷いた。その顔は心なしか青白い。月光に照らされてはいたが、それだけではないだろう。

自分は女にしては身長が高いが、それでもこの男と並ぶと視線を上げなければならない。冒険の時はそれでもさほど気にならなかったが、今夜のような機会は今まで無かったためか、少し躊躇ってしまう。そんな自分が無性に可笑しくなり、アーリアは自嘲した。

「……何が可笑しい?」

「あ……いや、まぁな」

不思議そうに問い掛けてくる彼の声に、慌てて我に返る。そして誤魔化すべく夜空を見上げると、深く吐息した。済んだ空気が心地よい。

「こんな時間、今まであまり無かったと……そう感じたのだ。スフィアやセリアとは、よく喋り合う事も多かったものだが」

「アーリア……」

タウラッグの漆黒の瞳に、悼みを込めた色が浮び上がる。心に傷を受けたのは、自分だけではない。セリアネートはタウラッグといた時間は短くとも、我々の命を共にした仲間であったし、第一スフィアは彼を勇者と呼び仕えた者だったのだから。

思わず、彼女たちが死んだ瞬間の彼の顔を思い出す。厳かな顔は微塵も感じられず、取り乱し、怒りに吼えるタウラッグの叫びは、どんな悪鬼も震えるような代物だった。それ程に、彼の心は痛めつけられたのだろう。

そして、騎士の存在の証でもある主君の突然の死。その余りにも大きな代償は、確実にタウラッグから生気を奪い取っていた。

しばらくの沈黙が両者の間を通り過ぎ、堪りかねてアーリアの方から口を開いた。白々しいほどに笑顔を作り、明るい声を無理矢理搾り出す。

「タウラッグ。貴殿は、これからどうするつもりだ? 私も決めかねているのだ、今後のことをな。冒険者として皆と居てもいいと思っているが。ああ、でも貴殿は他国から推薦を受け――」

しまった、とアーリアは心の中で舌打ちする。主君を失ったタウラッグは、実質騎士の実権を剥奪されたと言っても良い。しかしこの戦争で被害を最小限に留めた彼の功績は注目を浴び、他国から強くアプローチを受けている事をアーリアは知っていた。だからこそ、話題に出してはいけなかったのだ。誓いを立てた主君を変えるという話など、どんな騎士でも笑うまい。

「すまない、タウラッグ。私は――」

「残念だが、私は他国の主君に従うつもりはない。むしろ、旅に出ようと思っている」

謝罪の言葉を口に出しかけたが、彼の言葉がそれを遮った。一見、自分の言葉に怒っているのかと訝る。しかし、どうやらそれは違うようだった。彼の言葉には、どこか――鋭利な刃物のような――冷たさを感じさせる。

騎士はゆっくりとこちらに向いた。鋭い視線がより目立ち、殺気すら漂わす。そのただならぬ気配に、アーリアは思わず息を呑んだ。

「私は――『狩る』つもりだ。妖魔どもを、この手で、根絶やしにするために」

「狩る……だと?」

「そうだ。スフィアを、セリアを、そして我が賢王の命を潰えた罪は大きい。このままでは、私の怒りは収まらぬ。だからこそ、妖魔の住む大陸に渡ろうと思っている」

「無茶を言うな! そんな事をしたら、それこそ――」

心臓が跳ね上がる。明らかに自殺行為だ。しかし、目の前のこの男の死の気配は消えず、むしろより強くなり押し寄せてくる。だというのに、やけに穏やかな声で彼は笑った。

「死ぬ、か? 元より承知だ。一度死んだこの身、死地に赴こうと恐怖は感じぬよ」

「馬鹿者……スフィアやセリアたちの死を無駄にする気か? 早まるのはよせ、タウラッグ……」

必死で声を殺すが、上ずるのを抑えられない。このまま、また仲間が死ぬのは絶対に厭だった。必要あれば、それこそマイリーの信仰も投げ打つかもしれない。

後に残るのは、重たい静寂。彼も彼女も、微動だにしない。夜空の月だけが、そんな2人を煌煌と照らし出している。

しかしそんな沈黙を破ったのは、アーリアでも、タウラッグでもなかった。

「お2人さん、そこら辺にしておきなよ。せっかく月が綺麗なのにさ」

場違いな明るい声に、2人は顔を見合わせた。

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