純白の花嫁
「明日が最後の戦いになるだろうな」
遠くに見える自軍の軍営。その明かりを静かに見つめながら、ブランカは呟いた。
「ブランカ、一緒に逃げないか」
傍らに座っていたシュヴァルツが身を乗り出し、ブランカの顔を覗き込む。
「シュヴァルツ。お前は私のことをよく分かっているだろう。私に逃げるという選択はない」
「ああ、分かっているとも。……痛いほどな」
シュヴァルツは目を伏せた。
ブランカは現国王の娘であり、女の身でありながら一軍を任されていた。
兄弟たちが次々に討ち取られ、女であるブランカが前線に立たねばならぬほど、国王軍は劣勢だった。
幼き頃、兄弟を真似て剣を習い始めたとき、父王は難色を示した。
女なのだから、いずれはどこぞの良家へ嫁がせる。そのための教養を身につけろというのが理由だった。
それを跳ね除け、ブランカは兄弟たちに負けまいと剣術に励んだ。
その努力が実を結び、五人の男兄弟のなかでも、王直属の親衛隊に名を連ねていた長兄に匹敵するほどの剣術の使い手となっていた。
それでも、女であるという理由で戦場に立つことはこれまで許されなかった。
しかし、戦局が傾いた途端、あまりにも呆気なくその夢は叶ってしまった。
だが――
「シュヴァルツ。明日の戦い……お前たち反乱軍の勝利で決まりだろう」
シュヴァルツの生家、アイゼンベルク家は代々王家に仕えている大貴族の筆頭だった。
そのアイゼンベルク家が王家に反旗を翻し、今は他の貴族たちを束ねる反乱軍の中核となっている。
――我々は敗れ、シュヴァルツの父が次の王となるだろう。
父王は首を刎ねられ、自分も同じか、よくて幽閉だ。
ならば、戦地で死に絶えたい。
豪華なドレスも装飾品も、女の幸せなどいらぬ。
この一振りの剣さえあればいい。
戦士として潔く散るのが、自分の本望なのだ。
「シュヴァルツ。お前に討たれるならば、それこそ私にとって本望の至りだ」
そのはずなのに――。
彼と共に歩む道を、密かに望む自分もいた。
だが、それは叶うはずもない。
いや、自分が許さない。
「ブランカ。私は君を愛してる……」
息が詰まる。
何度も囁かれた言葉。
それも今宵で終わりだ。
「私もだよ、シュヴァルツ。だから――」
シュヴァルツの頬に手を添える。
「お前の手で終わらせてくれ」
その願いに、シュヴァルツが頷くことはなかった。
「ブランカ様。アイゼンベルク家の長兄が向かっております」
副官が告げた。
「そうか。殿は私が務める。陛下を頼むぞ」
ブランカはマントを翻し、軍営の天幕を出た。
途端に、身体が重い。
明らかに、身につけた鎧のせいではない。
自分を送り出す副官へ振り返る。
「……敵に、情けなど不必要です」
その言葉に、ブランカは息を呑んだ。
――敵。
それはシュヴァルツと密かに愛を語った、自分に向けられた言葉だと悟った。
「……そうだな。お前の言うとおりだよ」
ブランカは気丈にそう言うと、脚に力を込めた。
副官はかつて、自分の剣の師でもあった。
信じていた。
だが、先に裏切ったのは自分だ。
彼を恨むまい。
ブランカは数名の兵を引き連れ、馬を走らせる。
剣を激しく打ち合う音。
鎧の砕ける音。
そのすべてを間近に聞きながら、敵を斬り伏せ、ブランカは真っ直ぐにシュヴァルツのもとへ向かう。
胸に焼けるような痛みを感じた。
吐き気がこみ上げる。
吐き出したのは、赤黒い血だった。
もう長くない。
急がなければ――。
戦いの勝敗など、どうでもよくなっていた。
父王は端から、自分を敵の足止めに使うつもりでしかない。
兄弟にも、母の身分が低いことや女であることを理由に、さんざん馬鹿にされ続けてきた。
……見返したい。
剣を学んだのは、そんな理由からだった。
敵味方が入り乱れるなか、シュヴァルツの姿を認めた。
シュヴァルツもブランカに気づいた。
ブランカは自然と口角を上げる。
本当に、彼に会えてよかった。
唯一、自分の人生を誇りに思えるとしたら、彼に愛されたことだ。
毒が回っている。
視界が霞み、シュヴァルツの輪郭が揺れた。
ブランカは剣を強く握り直し、構える。
シュヴァルツも同じように構えた。
――よかった。
やはり、彼は自分の望みを叶えてくれる。
互いに剣を向ける。
ブランカはそのまま突進した。
その手に、重みが伝わる。
気づけば、ブランカはシュヴァルツの胸に収まっていた。
彼の両腕が、そっと背中に回される。
「なぜだ……」
ブランカは彼の顔を見上げる。
「……私のわがままも、たまには聞いてくれ」
口から一筋の血を流し、シュヴァルツは微笑んだ。
「いいだろう? ブランカ……」
「……お前は……本当に、馬鹿だよ」
剣の柄から手を離し、その頬に触れる。
彼の顔は、もはや霞んで見えなかった。
だが、自分を映してくれていることだけは伝わった。
吐き出した血で染まったブランカの唇は、まるで紅を差したかのようだった。
まるで、花嫁のように。
「綺麗だ……ブランカ」
シュヴァルツは囁く。
自然と、二人の唇は重なった。




