第7章
上野駅までの私の足取りは非常に軽かった。スキップはしていなかったが、今にもしてしまいそうな程には軽かっただろう。
そこから再び山手線で新宿へ。昼過ぎに新宿を出発する特急列車に乗って、自分の家のある松本にまで向かう。行きと同様、私たちは寝てしまった。とはいえ、特に何かが見たいわけでも無かったので寝てしまっても別に問題はない。起きたのは、松本の1個前の停車駅である塩尻駅を出たあとだった。
松本駅に着くと、すでに伯父はロータリーにいた。私と晴海は車に乗り込んで家に帰った。帰宅後にインターネットを使って調べたのだが、山梨県大月市大月町2-5-2という住所は未だに残っていることが分かった。
翌日、私と姉、母、伯父、晴海は、祖父母の家に集合していた。それは私たちからの報告のためであった。
「まず、分かったことを言うわ」
私はそう言って全員の顔を見渡した。みんな期待の眼差しを向けている。
「1つ目。少女『さくら』の本名は『佐倉奏』という。
2つ目。2人は山梨県の大月市に逃げた。
3つ目。大月の瀬谷壮一郎という者によって保護された。
以上」
私はそれだけ言って、話を終わらせた。
「……え?」
晴海以外の全員は拍子抜けした模様。
「それだけ?」
と姉が私に訊くから、
「それだけ」
と返した。
「だが、言葉数は少ないにせよ、かなり大きな収穫だな」
「ええ、そうね。逃げた場所が分かったんだもの」
伯父と母がそう言う。
「大月の、瀬谷……?」
「関係あるのかしら……」
そう頭を抱えたのは祖父母だった。
「どうかしたの?」
私が訊くと、
「可憐の旦那は『瀬谷』と言うのだが、奴は確か、大月出身だった気がするんだ」
と返ってくる。そうか、見たことがあるわけだ。私は長野の病院のドアの様子を思い出した。そこには『瀬谷可憐』というネームプレートがあったはず。それを見て、可憐さんが結婚していることを察したのだから間違い無い。
「でも、そんなに都合良く関係があるのかしら……」
そう言ったのは晴海だった。
「それは思うわね」
姉がそう言う。そして、
「ねえ、その情報はどうやって仕入れたの?」
と私に訊いた。
「あ、この手紙だよ」
私はそう言って、鞄の中から例のあの手紙を取り出した。一同それをじっくり見た。一通り目を通し終わったのか、伯父がゆっくり口を開いた。
「どんな人生を送ってきたか知りたいから情報をよこせ、か。この様子からすると、瀬谷家と佐倉家に面識は無かったようだな。それで、佐倉家はその返事を書いたのか?」
「いいえ。書いて無いみたい」
「だろうな。書いたらバカだ」
鼻で笑いながら伯父はそう言う。
「なんで?」
晴海がそう訊くと、
「考えてみろ。1959年だぞ? 東都は戦争真っ只中だ。にも関わらず、顔も知らないような相手に家の情報を財閥家が与えると思うか? まず無いだろう。スパイだと勘ぐるだろうからな。それで乗っ取られでもしたら一大事だ」
と返ってくる。
「スパイねぇ……」
私はそう言って、頬を掻いた。
「溜さんが言っていた理由は全く違うものだったのですが」
と言うと、伯父はどんな理由だと私に訊いた。
「記憶を教えて、もし奏ちゃんの記憶が戻ったとしても、それは恐怖でしか無いのではないかという理由です」
「知らない方がいいということか」
伯父はそう言って2、3回頷く。
「まあ理由はどうであれ、さくらさんの記憶蘇生に関して、佐倉家からの支援は無かったってことね」
母がそう言って、お茶取ってくると言い台所に消えていった。
「それで、大月には行くのか?」
祖父にそう訊かれる。
「行きます。幸いにも、この住所は未だに存在することが分かったので、おそらく家主との接触はできると思う」
私が答えると、そうかとだけ返ってくる。
「いつ行くの?」
祖母に訊かれた。
「決めてません。でも、4月の頭頃に行こうかと思います」
私がそう答えたら、
「近いうちに可憐さんが退院するそうよ」
と祖母が言った。それ以上にはなにも言わなかったが、私にはその言葉だけで十分だった。
「分かったわ」
私はそう祖母に伝えた。
3日後。私は1人で祖父母の家をもう一度訪れた。曲がりなりにも25歳である私は運転免許を持っている。だから1人で自動車を運転して訪れることは可能なのだ。
「明日、可憐さんのお見舞いに行ってきます」
私は祖父母にそう伝えた。祖母は頷いたが、祖父はムスッとして私から目線を逸らした。
「実秀さん、いつまで可憐さんを嫌うのですか?」
祖母が祖父にそう訊くと、そんなもんどうでもよかろうと祖父は返した。
「なんでそんなに嫌いなの?」
私がそう訊くと、
「あいつが親父の葬式に来なかったからだ」
という答えが返ってきた。以前可憐さんに会った時の帰り道、車の中で母と伯父から聞いた内容と一致した。
「そうなんだ。なんで?」
「知るか。育ててくれた恩を無視するような奴の心なんて知りたくもないけどな」
祖父はそう言って立ち上がった。
「行くなら勝手にしろ。だが、あまり深く関わるのは勧めない。可憐は俺の妹だが、俺はあいつを信用していない」
そう言い残して、襖を開けて廊下へと姿を消した。
「頑固な人よね。あとは独断が過ぎる人。もしも私があの人の幼馴染で無かったなら、私はあの人を軽蔑していたでしょうね。私、ああいうタイプは嫌いなのよ」
祖母が笑いながら言った。そういえば、祖母と祖父は一緒の環境で育ったのか。それぞれの母親である佐倉凛と鈴川瑠璃は、石井統を巡った争いを繰り広げ、結局それぞれ違う人と結婚した。でも、疎開の時は2人とも一緒で、ここ松本のこの家にやってきたということなのだから。きっとあの後の物語の続きを読めば、どんな生活をしていたのかが分かるだろう。だが、今はそんな余裕はない。あの物語を読むのは体力がいる。なんといっても手書きなために読みにくい。そして、無駄に長い。何か伏線を孕んでいるわけでも無いし、かと言って面白い要素も特に無い。あの時は石井統について知るという目的があったから読めたが、目的無くしてあの物語を読むことはただの苦にしかならないだろう。
でも読み進めれば、きっといつか可憐さんの誕生や祖父母の結婚話、伯父と母の誕生や蔵本瑠璃の死にまで行き着くのだろう。そしてそれが一体どこまで続いているのかは分からない。もしかしたら、姉や私の誕生や伯父の結婚まで書かれているのかもしれない。そしてその物語は、作者である蔵本渉の死によって幕を閉じる。いや、そんなことはない。それにはきっと、蔵本渉の葬儀が書かれ、私たちの生き様が刻まれ、そして佐倉凛の死があり、その遺書に書かれた石井統を探す私たちについて書かれる。つまり、あの物語は今もなお続いている。これからあの物語を担うのは私たちなのだ。それであれば、この石井統を探して想いを伝えるという一連の計画を途中で頓挫させることはあってはならない。もし後世に生きる私たちの子孫が手に取った時、なんでそんなのも特定できないんだとバカにされてはならない。物語なのだから、すっきりと終わらせる必要はあるだろう。
「……バカだなぁ」
私は独りでそう呟いて笑った。曾祖父の葬式以降は、誰かが書かない限り続くはずが無いのに。
「どうしたの、急に」
祖母が私を見た。
「いや、少し考え事」
私がそう答えると、祖母はニッコリと笑った。
「ありがとね、美佳」
「えっ?」
いきなり祖母がそう言ったものだから、私は戸惑いを露わにした。
「こんなに必死になって行動してくれて。全ては私の思いつきだったのに。おかげで色々知ったわ。自分の親のことも、なにもかも」
「そんなこと……」
私はそこまで言ってから、それ以降の言葉を飲み込んだ。その続きを言ってしまうと、それはあまりに無責任な言葉になりかねない。養子だとずっと言われてきたのに、実は母親の直系の子であった。養子にされた理由は、母親が自分の大嫌いな過去を消すため。ただそれだけのために振り回された人生。祖母がどれだけ苦しい思いをしてきたのかは私には分からない。だから、これ以上私からは何も言えないのだ。
「でも、まだ終わっていないわね。あと少し。とりあえず、可憐さんの元に行ってきなさい。直接の関係が無くても、親族である可能性はゼロで無いから」
「うん」
祖母にそう言われて、私は頷いた。まずは明日、可憐さんと接触をしよう。詳しいことはそれからだ。私は自分の心にそう告げた。
翌日。私は車を走らせて長野市へ向かった。4ヶ月ぶりの病院の駐車場に車を停めて、以前と同様に受け付けで大叔母の名前を出して病室まで訪れた。病室は変わっていない。823号室の扉には『瀬谷可憐』という文字が書いてあった。3回ノックをする。「はい」と中から返事があった。
「可憐さん。小出美咲の次女の小出美佳です。御無沙汰してます」
外からそう声を掛けると、
「まあ、美佳ちゃん。お入りなさい」
と中から声がする。私は取手に手をかけ戸を開けた。
「失礼します」
中に入ると、そこには4ヶ月ぶりに見る光景が広がっていた。
「久しぶりね、美佳ちゃん。元気だったかしら?」
「はい。可憐さんの方こそ、元気そうで何よりです」
その私の返答に、大叔母はクスッと笑った。
「元気そうに見えるかしら? 病院のベットで寝ているのに」
「あっ……」
やってしまった。社交辞令が前面に出てしまった。確かに、入院している人に「お元気そうで」はおかしい。迂闊だった。
「まあいいわ。精神的には元気だから」
大叔母はそう言って、ベットの手すりを掴んだ。そしてそのまま体を起こして、ベットの上に座った。
「えっ」
驚いた。そんなに動けるようになっていたとは。
「あはは、驚いた? だいぶ回復したのよ。毎日リハビリしてきたからね。明日退院できるの」
「そうですか。それは良かったです」
近いうちに退院すると聞かされていたが、1週間とか2週間とかの単位だと私は思っていた。だからあまりにすぐだったことに驚きを隠せなかった。
「でも、なんだか名残惜しいわ。こんなところ嫌だってずっと思ってたけど、いざ退院することになると、それなりに愛着があったことに気がつくものね」
大叔母はそう言って部屋を見渡した。
「でも、退院できるのはとっても嬉しいわ」
「おめでとうございます」
「ありがとう」
そんな会話を交わした後、私は本題に入ることにした。
「それで、以前お話しした、石井統という謎の男の捜索計画なのですが」
「凛さんの遺書に載ってた人だっけ?」
「そうです」
「どこまで進んだの?」
大叔母は興味のある眼差しを私に向けた。
「あの後旧家を漁ったら、蔵本渉さんの日記が出てきて、それに『手書きの物語』について書かれていたんです」
そう答える。確かタイトルは『過去の記憶』だったと思った。しかしそんなところまで言う必要は無いだろう。
「手書きの物語?」
「ええ。瑠璃さんが亡くなって1年になるから、何かできることがないかと探して、当時高校生だった可憐さんに聞いたら『小説でも書いたら?』と言われたらしく、小説を書くことにしたらしいんです」
「あら、そんなこと言ったかしら……?」
意見を言った当の本人である大叔母は、それを提案したことを忘れているようであった。
「まあ、そうらしいです。どんな意見でも欲しいから、的な理由だったみたいですよ」
「へえ。やっぱおかしな人ね」
そう言ってクスリと笑った。私は曾祖父については全く知らないので、おかしな人というのが正しいかは全く分からない。だからそれには何も言わなかった。
「とにかく、物語があるみたいだったので漁っていたら、無事に物語を見つける事ができました」
そう私が言ったら、
「おめでとう。それで、何が書かれていたの?」
と訊かれた。
「過去のことがズラッと。石井統という人間は、渉さんとは特に関係が深い人間でした」
「そうなのね。それで、お母さんの好きな人だったのかしら?」
ニヤリと笑いながら大叔母が問う。
「はい。恋争いは凄まじいものでした。あの物語の前半のストーリーは全部それですね」
「そうなのね。ああ、それで、統という人間は結局どうなったの?」
「大日本戦争で謎の少女『さくら』を連れて逃げています。それで、そのさくらの正体とその後の足取りを探りに、先日東都の佐倉家にまで行ってきました」
そう答えたら、
「あら、ずいぶんと張り切るじゃない」
と笑われた。私が、
「まあ、中途半端では終わりたくないので」
と伝えると、
「そうね、あたしも同じだわ。それで、その報告が本題ってわけじゃないんでしょう?」
と大叔母は言って、私に向けて不気味に笑いかけた。
「当たり前です。そこで気になるものを見つけたから来たんです」
「気になるもの、ね」
大叔母はそう言って私を見た。私は鞄から例の手紙を取り出した。
「これです」
そして大叔母に差し出す。大叔母はそれを受け取って、それに目を通した。
しばらくして、私に手紙を返した。
「大月の瀬谷壮一郎。優さんの家と関係があるのかしら」
「優さん?」
「あたしの旦那よ。今はバングラディシュに単身赴任しているわ」
「そうなんですか」
バングラディシュってどこだ? 確かインドの近くだったか。多分ミャンマーとかその辺り。しかし、そんなところに単身赴任とは。一体何をしている人なんだろう。
「優さんの実家は大月よ。でもここに載っている住所とは違う。あとは、私の義理の母親の名前は『瀬谷さくら』というのだけど、関係があるのかしらね?」
「……」
それは『さくら』本人である可能性が高いと思うのだが。
「でも優さんの父親については知らないのよね。優さんも教えてくれないし、お義母さんにも聞き難くて」
「つまり、謎の少女『さくら』の存在は突き止められたって考えていいですか?」
「そうね」
大叔母はフッと笑った。病室の時計の秒針が、カッカッと音を立てるのが分かった。
「あの、可憐さん。私、近いうちに大月へ行こうと思うのですが、ついて来てくれますか?」
「いいわよ。でも、身体はまだまだ不自由だけどね」
「大丈夫です。私が支えますから」
「さすがにそこまでしてもらう必要は無いと思うけど……まあ、いざとなったらよろしくね」
そうして、大月には大叔母と一緒に行くことになった。にしても、さくらが見つかるとは。しかも遠い親戚の中から。今日の収穫はこれくらいでいいだろう。
「ありがとうございました」
私は大叔母にそう告げた。
「いいえ、話せて良かったわ。それじゃまた今度ね」
「はい」
私は病室を出ようとして立ち止まる。そして振り返って、
「退院おめでとうございます」
と言った。大叔母はニッコリ笑って、
「ありがとう」
と私に言った。




