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大家族  作者: ひらたまひろ
第3部『さくらを捜して』
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第6章

「お帰りですか?」

 1階に降りた瞬間、階段の前で廊下の方からやってきた凉とたまたま出会った。さっきと同じように冷たい目で私たちを見て、無愛想な声でそう言った。

「あ、いえ。下で待つように言われました。あと、流さんに挨拶を、とも」

「お兄様に……?」

 凉は不思議そうな顔をして、その後少し視線を泳がせた。

「どうかしたんですか?」

 晴海が凉にそう問うと、凉は俯いて首を振った。そして顔を上げ、私たちに向かって無理したような笑顔を見せた。

「いえ、なんでもありません。兄のところにご案内します」

 そう言って、回れ右をしてそのまま廊下を真っ直ぐ歩いた。私と晴海は彼女の細く小さな背中を追いかけた。

 凉は、1つの高級そうな木製のドアの前で立ち止まった。そのドアの上には『2』という数字が書かれていた。そしてそのドアを3回ノックする。

「はい」

 中から女性的な声がする。もしかして、親と同じく男の娘なのかと勘ぐった。しかし、凉はピタリとその場に硬直したように固まり、2歩ほど後ろに下がって部屋の番号を確認する。そして不思議そうに首を傾げ、直後にまあいいやと呟いた。

「お義姉様ねえさま、お兄様にお客様です」

「凉ちゃんね。まあとりあえず入りなさい」

 その声で凉は戸を開けた。そこにいたのは、長身の綺麗な女性だった。凉がお義姉様と呼んだことから察するに、これが今の佐倉財閥管理人の夫人、菜々なのだろう。彼女は長い茶色の髪を掻き上げて、凉を真っ直ぐ見つめた。

「流さんは外出しましたわよ?」

「えっ……」

 凉は呆気にとられたように硬直した。それを見て夫人は一つため息を吐いた。そして窓の外を眺めながら、

「流さん、なんで言って行かないのかしらね。あんなに心配しておきながら」

 と呟く。瞬間、凉が目を大きく見開く。

「お義姉様っ! お兄様の心配って……!」

 そう言いながら駆け寄っていく。そしてその夫人が立っている近くの、入って正面の机の上を漁り出した。

「凉ちゃん、落ち着きなさい。お客様の前ですよ?」

「うぐっ……」

 夫人にそう一喝されて、凉はしまったという顔をした。

「すみませんね、義妹いもうとがお見苦しいところをお見せしてしまって」

「いいえ、いいんです」

 私は夫人にそう伝えた。それに、さっきまでのロボットのような人間味のない凉より、今の焦って周りの見えなくなっている涼の方が私は好きだった。この子も人間なんだと実感できるからだ。

「ふぅん」

 夫人は私を見てニヤッと笑った。その笑みは、私の胸の内を見透かしたかのような笑みだった。

「あなた、面白いこと考えていたんじゃないかしら?」

 夫人は私に近づいてきた。手には1枚の紙を持っていた。その後ろで、凉が未だに机の上を必死に漁っている。

「私ね、こう見えても人間の心理を読み解くのが大好きなの」

 夫人はそう言って、私の手を取った。なんだなんだ? また変な人が出てきたぞ……

「あなた、さっきまで涼ちゃんのことロボットのような人だと思っていなかった?」

「……っ」

 本当になんだんだろう、この人。年齢は私より1つか2つ上だろう。でも姉よりは歳下に見える。

「ちなみに私の歳は27よ」

「え……」

 驚いた。心を読んでいるのか?

「あぁ、ごめんなさいね、別に心が読めるわけじゃないのよ」

「嘘だっ!」

「嘘じゃないわ」

 そこまで言って、夫人は私に背を向けた。そして笑いながらこう言う。

「だってあなた、全部顔に書いてあるじゃない」

「……」

 嘘、でしょ? 私ってそんなに表情に出ているのか? 横目で晴海を見る。晴海は私の視線に気づいたのか、首を小さく横に振った。そうだよ、出ていない。私は表情に感情を出さないように気をつけているもの。

「言い方が悪かったわ。あなたは表情に出ないわ。でも、表情に出るのを必死に堪えている。だから、微妙に口許が緩んだり眉間にシワが寄ったりする。そういう細かな表情を汲み取れば、心情は少なからず分かるのよ」

 そう言われ、なるほどなと感心する一方、この人は人間じゃないと思い始めた私がいた。ちなみに夫人は、後ろを向いてからずっと手に持った紙をテキパキと折っている。なお、その正面では凉が机の上をまだ漁っている。

「凉ちゃん」

 夫人がそう凉に声を掛けた。凉がハッと顔を上げる。そんな彼女に向かって、1つの紙飛行機を見せた。瞬間、凉の目が大きくなった。そして、

「お義姉様っ!?」

 と叫びながら駆け出した。夫人は再び私たちの方を向いて、手に持った紙飛行機を飛ばした。手から離れた紙飛行機は、真っ直ぐ晴海に向かって飛んできた。

「だめなの! それ取っちゃだめぇ!」

 走りながら、涙目になって凉がそう晴海に叫ぶ。しかし、晴海はそれを手に取った。

「少し落ち着こっか」

 そう言った夫人は、自分のすぐ横を通り過ぎる凉に足を掛けた。凉は思いっきり前に転んだ。

「うわ、痛そ……」

 私は思わずそう呟いた。刹那、最初に凉を見たときの両肘にあった青痣が脳裏を過った。

「……そういうことか」

 私はそう呟いた。そう、きっと凉はこの夫人からこう言った嫌がらせを少なからず受けているのだろう。

「なんだろう、これ」

 晴海がそう言って、手に取った紙飛行機を開こうとする。

「だめっ! だめぇ! やだやだ、ねえ、開かないで! それ、だめぇぇぇ!」

 倒れた状態で凉が泣きながら叫んだ。

「いいわよ、開けて。というか、ぜひ開けて欲しいわね。凉ちゃんのためにも」

 笑いながら夫人が言った。その笑みは、私の目には不気味に映った。

「晴海、開けちゃ……」

 私がそう言った時には、晴海は既に開いていた。そして私の目にも、そこに書かれている文字がはっきりと映った。

「いやぁぁぁぁぁああ!」

 凉が目から大粒の涙を流しながら、天井に向かって叫んだ。

「テスト……?」

「……みたいね。でも……」

 私たちはその紙:テストの解答用紙を見つめてそう言った。そしてそこに書いてあった点数は、100点満点中なんと……

「8点だけど」

「……ええ。見たことがないです」

 晴海がそう言って気まずい顔になった。私たちは黙り込んだ。部屋に響くのは、ヒクヒクとしゃくり泣く凉の声だけだった。

「これが、凉ちゃんが無愛想になったわけ」

 いきなり夫人がそう言った。

「どういう、ことですか……?」

「凉ちゃんはね、昔、お義母様から勉強を教わっていたの。成績優秀で、小学校を首席で卒業したのよ。でもね、お義母様は5年前に亡くなったわ。凉ちゃんは中学2年生だった。1年間立ち直れず、登校拒否になり、家庭教師を雇っても思うように勉強に身が入らなかった。そして何より、勉強机に座るとお義母様を思い出してしまって、決まって泣き出してしまうの。食事も喉を通らず痩せ細り、成長も止まってしまったわ。だからこんなに細くて小柄。さらに笑えなくなって、表情もほとんど変わらなくなった。顔に出るのは、痛み、焦り、恐怖、悲しみ、そして軽蔑。3年生になって登校しても、全く変わり果てた凉ちゃんはその場に馴染めなくなった。なにせよ、表情に出るのはマイナスなことばかり。嫌われて、いじめに遭ったわ。そして勉強についていけなくなって、高校に進学したもののこの有様。もう今年で3年生だというのに……」

 そこまで言って、夫人は晴海を見つめた。

「あなたは凉ちゃんを軽蔑しないわよね?」

「えっ……と」

 いきなり話題を振られて困る晴海。

「根拠は?」

 私は夫人にそう訊いた。

「直感よ。でも信じているわ。私の勘ってね、すごく良く当たるのよ」

「……」

 私はその場に黙った。晴海を見ず、ずっと夫人を見つめていた。

「お願いします。凉ちゃんと友達になって、彼女を救ってくれませんか?」

 夫人がそう言って、晴海に頭を下げた。

「いいで……」

 晴海が微笑んでそう言いかけた瞬間、私はその言葉を遮るように被せた。

「救うって……。そんな自分勝手なこと言ってんじゃないわよ。あなた、凉ちゃんを痛い目に遭わせてるんじゃないの? 一種の暴力を振るってるんじゃないの?」

「ちょっと美佳姉ちゃん!?」

 晴海にそう止められてもお構いなしに私は話を続けた。夫人は困惑したような表情をする。

「何を言っているのかしら……?」

とぼけないで。凉ちゃんの両肘にある青痣はなんなの? あんたがさっきみたいに凉ちゃんをよく転ばせるからできるんじゃないの?」

「あおあざ……?」

 私の言葉に反応したのは、その痣の持ち主の凉だった。そして自分の肘を見て、充血した目で私を見た。

「違います! これは一昨日、階段から落ちたんです! 私はお義姉様に虐められていません! それどころか、よく助けられています」

 無愛想な顔で私に言った。どうやら焦っているわけでは無いようだ。

「私が虐めているように見えたなら謝るわ。それに、あなたの洞察力は凄いのね。私でも痣には気づかなかったのに。一昨日の夜に大きな音がしたのは、凉ちゃんが階段から落ちた音だったのね……」

 違う……のか? 本当に虐められていないのか? 私の心に違和感が漂い始める。そんな私に凉が言った。

「お義姉様は、いつもお兄様から私を助けてくれます」

 ん? なんだ、この違和感。それじゃまるで……

「待ちなさい、凉ちゃん。それじゃまるで、流さんがあなたを虐めているように聞こえるじゃない!」

「事実ですよ? 私はよく成績についてぐちぐち言われます。さらに私を強制的に勉強机に拘束し、無理やりお母様を思い出させます。でも、その時にお義姉様がいると、お兄様はそんなことをしません。私は嫌なんです! 勉強も、お兄様も、この家も! お母様を思い出すモノは全部嫌なんですっ!」

「凉ちゃん……」

 凉は、自分が思っていたことを全部吐き出したようで、目に涙をいっぱい溜めていた。

「……そう。分かったわ、あなたの気持ち」

 夫人はそう凉に伝えた。凉は俯いた。彼女の目から落ちた涙が床を濡らした。

「でもね、」

 夫人はそう続けた。

「流さんだって、あなたを心配しているのよ。あの人は難しい人なの。自分もお義父様みたいに完璧で有りたいと思い続けて、でもその実力は父親には勝らなくて。負けず嫌いがあだになって、少しのことでイライラするようになった。特に凉ちゃんには強く当たるわね。だけど、それはただ自分の怒りの矛先を向けているだけでは無いの。あなたのことを心配しているからこそ、怒れるのよ? 今日だって言っていたわ。このテストを見て、どうやったら凉が勉強に励んでくれるのだろうって。独りぼっちなのがダメなのか、自分の面倒の見方がダメなのか。色々頭を悩ませていたわ。だから、」

 そこまで言って、凉をじっと見つめた。

「嫌いにならないであげて」

 凉は目を見開いて、夫人を見た。しかし直後にまた俯いて、

「……それでも、嫌い」

 とだけ呟くのだった。

「ま、そうよね。人間そう簡単に好きにはなれないはずよ」

 そう言って、凉の頭に手を置いた。

「私、友達になることだったらできますよ?」

 晴海がそう口を開いた。

「ありがとう、晴海ちゃん」

 凉はそう言って、晴海を見つめた。少しだけ口許が緩んでいるように見えた。

 その直後だった。私の背後にある扉が開いて、部屋に誰かが入ってきた。そしてその人物はこう告げた。

「見つけたぞ」

 私と晴海は思わずビクリとして振り返った。そこには、女性のような顔つきをした男性が立っていた。

「どうも、お義父様」

 そう言ったのは夫人だった。

「おう、菜々くん。ご苦労」

 そう。そこにいたのは佐倉溜であった。溜さんはそう言って、足を前に踏み出した。そして私と晴海の前で立ち止まり、1枚の古い手紙を手渡した。

「これ、読んでみてくれたまえ」

 私はその手紙を受け取った。そしてそこに書いてある文字に目を通す。


『拝啓 佐倉湊殿

 突然の文、無礼の極まる所と存じますがお許し下さい。私は山梨県大月に住む瀬谷セタニ壮一郎ソウイチロウと申します。只の一百姓に過ぎません。ですが、少しばかり気になる出来事があったので手紙をお送りいたします。

 本日、十一月十二日に、石井イシイミツルと名乗る青軍兵が『さくら』という少女を連れてやって来たのです。どうやらその少女は、東京上野の佐倉邸の横で倒れていただとか。少女には記憶が無く、果たして自分が誰なのか分からないそうなのです。少女が誰なのか、どんな人生を送ってきたのか、そういうことを知りたいのですが、情報を送っていただけたら幸いです。しばらくは家に留めます。お返事をお待ちしております。

 一九五九年十一月十二日

 山梨県大月市大月町二-五-三

 敬具 瀬谷壮一郎』


 これはつまり、統さんの足取りということか? さくらさんを連れて逃げ出した10月下旬以降、統さんは山梨県の大月に向かって逃げた。そして11月の12日に発見され、佐倉家に手紙が出されている。にしても、瀬谷って苗字、どっかで見たことがある気がする。

「父は、これに対する返事を出さなかった」

 溜さんがそう言った。

「なんでですか?」

 晴海がそう問うと、

「佐倉奏であるという特定はおそらくできていただろう。だが、その返事によって、彼女は恐怖を思い出すかもしれない。それを恐れたのだろう。推測だがな。だが当たっていると考えて良いぞ。父のことは大体知っているからな」

 と返ってくる。

「では、その後の足取りは……」

「残念だが、俺が分かるのはここまでだ。これ以降の足取りを探るなら、大月へ行くのがいいだろうな」

 私の質問にそう返す溜さん。そうか、大月。来るときに通ってきた場所だ。帰りに寄るか? いや、それはあまりにも急か。とりあえず、家に帰って全員と相談をしてからが良いだろう。

「ありがとうございます、助かりました」

 私はそう溜さんに告げて、さらに夫人に一礼をして、凉に微笑みかけて部屋を後にした。

「あ、ありがとうございましたっ!」

 晴海も慌てたように私を追いかけた。

「待って!」

 そんな晴海に声を掛けた人がいた。それはもちろん、凉である。

「あのさ、今度、遊びに行ってもいい?」

 恐る恐るという感じで晴海に声を掛ける凉。

「いいですよ、いつでもどうぞ」

 晴海が笑ってそう答えると、凉は目を細めて恥ずかしそうに俯いた。

「ほぅ?」

 その様子を、横で溜さんが眺めていた。そして私に目線を移して、

「小出さん。これ、持って行ってくれたまえ」

 と、私にさっきの手紙を預けた。

「え、でも……」

「大丈夫。ちゃんといつか取りに行かせるさ。誰に、とは言わないけどな」

 その目は笑っていた。私もすぐに分かった。この手紙を預けるという行為がどんな行動につながるのかが。

「分かりました。ありがとうございます」

 私はそう言って、再び一礼をして屋敷を後にした。

 向かう先は、とりあえず家。そしてその次は、山梨県の大月。確実に近づいてきている。石井統という、謎の男の存在に。

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