第4章
「情報が多すぎる……」
読み終わった後、私はそう呟いた。私は頭の中で統さんの情報を整理をする。
本名を石井統という。孤児であり蔵本家に居候。曾祖母である佐倉凛と蔵本(鈴川)瑠璃、そして瑠璃の友人の護近八重から好かれていた。八重から告白があり付き合うものの、自身は凛が好きだったようである。凛からも告白があったが、凛の婚約者の三井信之を嫌っていて返事を保留にしている。信之が戦争に行き、凛が姑問題の最中にあると知って、凛に返事をするために八重を振る。そしてそのまま凛との間に祖母である紀薇を残した。戦争に出てからは、凛に酷似した『さくら』という少女を逃すために逃亡。以後、生死は不明。
曾祖母が残した遺書と異なるように思える点がいくつかあり、少しばかり違和感を覚えた。特に曾祖母は統さんを嫌っていたと思っていたが、それは間違いだったようだ。受け入れられなかったのは曾祖母の昔の性格ゆえということか。
「私の親は……お母さんと統さん……?」
祖母の声が聞こえる。混乱している模様。それもそうだろう。今まで親だと思っていなかった人が親だったのだ。
「戸籍上じゃ三井信之との間の子だとされていた訳だな。それを嫌った義母さんが養子にしたと……」
祖父がそう言う。複雑すぎる。
「おばあちゃんも徹底してるのね。そんなに嫌いだったのかしらね?」
「そうなんだろう」
母と伯父の会話。だが、戦争中の渉と信之の会話を読むに一概に悪い人間では無いのではないかと思ってしまう。確かに最初は少しうざかったが。
「でも、可憐姉さんが言っていたことは分かったわね」
母が言う。
「初恋の人を奪われたって話?」
私がそう訊くと、母はええと頷いた。
「それと、詩織代わりの血塗れの切符。それは佳沙里だかという妹の形見なんだな」
伯父がそう言う。実物が無いからそれがどんな物かは想像上の話になってしまうのだが。
「あとは……そうね。おじいちゃんがおばあちゃんに隠していた統さんとの三つの約束」
「あぁ。確か……」
母の言葉に伯父が返したが、伯父は約束をそう簡単に思い出せない模様。目を瞑って、うーんと唸っている。私が横から言う。
「所在や安否を探らないこと、生死を不明にすること、二度と会わないこと、です」
ああそれだと伯父が言う。
「物忘れひどくなったんじゃないの?」
母が伯父にそう言うと、伯父はそうかもなと少し笑った。
「探すなと書いてあるが、別にもう探しても問題ないよな?」
伯父がそう言う。
「時効ってこと?」
晴海がそう訊くと伯父は頷いた。
「でも、探すって言ってもどうやって……」
母が不安そうに伯父に訊く。伯父はそこまで考えてはいなかったようで、少しだけ唸った。
「それなら、」
晴海がそう切り出した。母と伯父と私が晴海を見た。
「『さくら』て人を探せばいいんじゃないないの?」
晴海がそう言う。
「お前、そう簡単に言うけどな」
伯父が晴海にそう言うが、母は笑いながら、
「そうね。身寄りのない統さんを探すよりは早そうね」
と言った。だが、母は忘れているのではないだろうか。
「さくらさんにも身寄りは無いかもしれないよ?」
私がそう言うと、母は少し硬直した。しかしすぐに、
「佐倉財閥は今でも残っているわ」
と言う。一族が残っているからと言って、それが身寄りとは限らないんだけども……
「義母さんは五人兄弟だったからな」
祖父が言った。いきなり話に割り込んでくるとは。
「今継いでいるのは……」
「お母さんの一つ上のお兄さんの家系よ。東都にいるはず」
祖父に被せるように祖母が言う。
「じゃあ、そこに行けば分かるかもしれないのね」
晴海がそう言う。一同が頷くが、直後に疑問が浮かぶ。
「それで、そこには誰が行くの?」
私の質問に、全員が真顔になった。そしてその顔にはっきりと『行きたくないです』という文字が見える。だが、ただ一人行きたいという顔をした者がいた。それは晴海だった。だが彼女の性格上、それを声に出すことは無く、ただひたすらに周りを窺っているようであった。
「晴海、あなた行きたいでしょ?」
私がそう言うと、晴海は驚いたような顔をした。
「どうして分かったんですか?」
彼女はそう私に訊いた。
「思いっきり顔に書いてあったわよ」
私がそう答えると、小さく「うそ……」とだけ呟いて顔を赤らめて俯く晴海。その仕草は少しばかり可愛げがあった。
「じゃあ晴海は決定でいいか?」
祖父がそう言う。しかし、それは根本的な解決にはなっていない。
「晴海は高校生だから、誰かついて行かなきゃいけないでしょ?」
祖母が言う。その通りなのだ。今度こそ、誰も行きたがらずに黙り込んだ。
そのまま何分経っただろうか。きっと一分も経っていないのだろうけど、私にはそれが非常に長く感じた。
このまま黙っていても埒が明かない。私はそう思った次の瞬間、
「じゃあ、行くよ」
と言っていた。それは啖呵を切ったのとさほど変わらないかもしれない。それほど歯切れが良かったわけではないかもしれないが、この場を丸め込む言葉であったことに間違いはないだろう。
「ほんと? それじゃあお願いね」
祖母にそう言われた瞬間だった。私の心は後悔の念に苛まれた。確認をされると、決意をあらゆる方向から揺さぶられるような感覚に陥る。揺さぶられた結果、胸を張って大丈夫だと言えるものでない限り、必ず不安になり、そしてそれが本当は嫌なことを心の奥底で妥協して決めた判断であった場合、それは後悔へと変わる。しかし今更それを取り消すのもなにか恥ずかしく思え、私は晴海を連れて東都へ行くことを決めたのだった。
東都への出発は、晴海が春休みに入ってすぐの土曜日に決まった。そうなると晴海ももう高校三年生である。早いものだ。他人の子は成長が早いというが、今まさにそれを実感している感じである。だがしかし、自分の子がいないからどれだけ早いのかは分からないのだが。
そうしてその日がやって来た。私は伯父の車に乗って駅まで向かっていた。
「佐倉家の場所は分かっているのか?」
伯父が私にそう訊いた。私はもちろん調べてあるので、分かっているという旨を伝えようとすると、後部座席から晴海の声がした。
「お父さん、昨日あれだけ調べたんだから大丈夫よ」
晴海のその声を聞き、伯父はバックミラー越しに晴海を見やる。
「どうしたんですか?」
「いやなぁ……」
私が問うと、伯父は顔をしかめながら前を向いて運転に戻る。それに気づいた晴海が頰を膨らめて、
「少しは私を信じてよね」
と言った。
「いいや、信じてはいるさ。だからこう心配なんだ」
伯父はそう晴海に返した。
「それって違う意味で信じてない?」
晴海はジト目で伯父を見ながらため息混じりにそう言った。そしてこう言う。
「美佳姉ちゃん、佐倉家までは私が案内しますね。だから私についてくるだけでいいです。絶対に口を出さないでくださいね?」
「え、ええ」
そう返すと、晴海は嬉しそうににっこりと笑った。その笑顔と同時に、運転席から小さなため息が聞こえたのを、私は聞き逃していなかった。晴海のことを信用していないわけではない。それどころか、かなり信用している。だけど、なんだろう。今回ばかりは急激に不安になってきたのだが……
駅に着いて、特急列車で東都の県庁所在地である新宿市へと向かう。
新宿市は、かつての東京市の二十三区をそれぞれ市町村として独立させたうちの一つで、ソ連の都市開発の重要な役目を担った市でもあった。街の中心部には、今から数十年前の高層ビルが林立している。それは、ソ連がアメリカなどに対抗して、当時最先端だった高層ビルの建設を新宿にしたからである。社会主義というだけあり、建築速度は異常だった。だが、その分安全性にやや不安が残るもので、もう既に数棟が倒壊しているのも事実であった。そして何人もの犠牲が出ていることも。
ソ連からしたら、新宿市は最新技術の『研究都市』という位置付けであった。だが『研究都市』などと言うのは聞こえが良すぎる。実際は『実験都市』が正しいのかもしれない。
そんなことを考えながら特急列車に揺られ続けた。窓側に座る晴海は、横でスヤスヤと寝ていた。その可愛い寝顔を見ていたら、私にも睡魔が移ってきた。数秒後には、私は昼下がりの憂鬱な時間に微睡んでいた。
『しんじゅく〜、しんじゅく〜。ご乗車ありがとうございました。終点の新宿でございます。引き続き中央線、神田・東京方面、または中央・総武線、秋葉原・千葉方面と、山手線、埼京線、京王線、小田急線、地下鉄線はお乗り換えです。今度の中央線の東京行きは、ホーム変わりまして7番線より……』
そんな声で目を覚ました。寝起きの私に一気に入り込む大量の情報。頭が痛くなりそうだ。そんな最中、人の波が私の横を動く。その度に電車の車体が揺れて、少しばかり不快な小刻みの揺れに襲われる。横を見ると、晴海はまだ寝ていた。
「晴海、起きて。新宿よ」
「ん、んんーー……」
私が晴海に起きるように促すと、晴海は唸りながら伸びをした。そして眼をゴシゴシ擦りながら、
「しんじゅく?」
と私に問うた。
「そう。降りるわよ」
私がそう言い鞄を掴む。晴海も立ち上がってから鞄を掴んで、私の後を追った。そして私を抜いて、
「今から私が道案内しますっ!」
と、嬉しそうに私に告げた。唐突だと思ったが、車の中での会話を思い出す。
「え、ええ。……よろしく」
少し不安ではあるものの、私はそう言って任せることにした。着いていくだけでいいなら楽なものであるから。
「任せて下さい!」
晴海は笑顔で胸を張ってそう言った。私はその笑顔に苦笑いを返すしかなかった。
国鉄の新宿駅は大きかった。日本中枢都市のひとつである東都の県庁所在地とまでなれば、まあ確かに大きいのは当然であろう。それに、明治維新後から大日本戦争以前までは日本の首都を任されていた場所。今でも人口は2位である。だから小さい駅であるはずは無いのだが……
「あれぇ? ここは中央線で、ここも中央線。あっちも、こっちも。あれぇ?」
晴海はキョロキョロしながら各ホームに続く階段の上に付いている札を見て声を上げる。そう。大きすぎるのもこれまた問題なのだ。
「とりあえず、構内図を見たらどうかしら?」
私が晴海に提案する。晴海はまるで違う言語の言葉を聞いたかのように、
「コーナイズ?」
と反復した。
「そうね、簡単に言うと、駅の中の地図かしら。何番線から何線が出るかとか、どこにお店があるかとか。そういうのが載ってる地図」
私が説明すると、晴海は2、3回頷いて、にっこりと笑いながら、
「ああ、あれですか」
と言った。その言葉はあまりに軽く、そして何か嘘っぽさを感じた。この子は絶対理解していない。私はそう思った。
「しょうがないわ。私が探す」
私がそう言って歩き出そうとすると、
「あ、だめ! 私が案内するんですから!」
と晴海が言う。全く頑固な奴である。
2、3分後。私たちは構内図の前で立ち止まっていた。
「山手線、山手線……」
さっきから晴海が必死に山手線の場所を探している。しかし私はもう既に見つけていた。
「14番線と15番線って書いてあるわよ」
だからそう言った。晴海は少し頬を膨らめて、
「私が全部案内するのに……」
と言った。
「分かったわ。じゃあホームまで連れてってよ」
私がそう言うと、晴海はにっこりと笑って頷いた。どうもその笑顔は信用ならない。微塵も期待しないで、私は晴海を真顔で見つめた。
結果は思った通りであった。私たちは14番線もしくは15番線のホームへ降りるどころか、そのホームすらも見つけられていない。晴海に言われた通り口を出さずについて来たが、それでは一向に辿り着けない。なぜなら晴海は『方向音痴』なのだから。……少し度が過ぎているけれども。
「もう諦めなさい。あなたに任せていたら、新宿駅にいるだけで日が沈むわ。それにあなた、さっきから何度も通り過ぎているわよ? 方向音痴というよりも、このままじゃただの馬鹿よ?」
私が言う。晴海は馬鹿では無い。というか、とても頭が良い。そんなことは知っている。しかし、それは勉強の問題である。この場合は地理的感覚なのだろうか。なんというか、そういうものに関して晴海は著しく弱い。これ以上は時間の無駄であるし、何よりも私が我慢ならない。
「ごめんなさい……」
晴海が落ち込んだ表情で謝った。
「いいの。怒っていないから」
私がそう返すと、晴海は申し訳なさそうに笑った。
「じゃ、行こっか」
そう言って私は回れ右をして、14番線と15番線のある方向に向かって歩き出す。晴海は私の後に黙ってついて来た。
歩き始めて約10分後。私たちは既に山手線の中にいた。
「やっぱり人が多いわね」
「はい。こんなに長い列車が満員になるなんて……」
私と晴海は東都の人の移動の多さに驚いていた。山手線の編成は11両である。しかしその全車両が満員になるほど、春休みの午後でも人の移動があるのだ。松本では考えられない。この時間であれば、せいぜい3両編成の列車が満員になるかならないかだろう。首都は京だというのに、なんだこの都市は。私の中で、東都は下手物のような印象になりつつあった。
上野駅に着いた。ドッと人が降りる。私たちも人の波に流されるかのようにホームに降りる。上野駅は北の玄関口だ。そして同時に大陸への玄関口でもある。上野駅からは夜行列車がたくさん出る。その行き先は様々で、主に『新潟』『青森』『札幌』『釧路』そして『幌水雲』だ。幌水雲とはいったいどこだと言うと、樺太の南西部に位置する都市である。分割統治時代に青森から函館までを結ぶ『青函トンネル』と、稚内から樺太までを結ぶ『樺内トンネル』が開通して、幌水雲への鉄道移動が可能になった。さらに樺太に大陸からシベリア鉄道が延伸してきたため、日本から陸路で大陸まで移動する交通網が確立された。線路規格が違うことから樺太での乗り換えが必須にはなるが、プラットホームが横付けされているリレー方式であるためそんな苦ではない。しかし、そのホームを越えるためには出国および入国審査が必須となるのだが。
「不思議ですよね。ここから列車1本で海外まで行けるって考えると」
「1回乗り換えればヨーロッパよ? それもすごい話よね」
「ですが列車に8泊する必要がありますけどね……」
「そうね。航空機のある今、果たして需要があるのかしら」
「まぁ航空機より安いって言いますし、そこそこあるんじゃないですか?」
私たちはそんな会話を交わしながら、上野駅の改札口から出るのだった。
上野公園口から駅を後にする。しばらく歩いて今宵泊まる宿に向かう。晴海はもう道案内をするとは言わなかった。かなり後悔があるのか、私に対して申し訳ないのか、気まずそうに俯きがちに私の後をつけていた。宿に着いて、フロントでチェックインをする。フロント係の背後にあるホテル名の下に、それなりに大きい文字で書いてある名前が目に入った。それは『佐倉溜』と書いてある。一体あれはなんだろう。少し気になったが、まずは部屋に行くことにした。
「いつまで気にしているの? 別に案内できないくらいで怒ったりしないのに」
部屋に入って荷物を置き、とりあえずひと段落付いたところで私は晴海にそう言った。晴海は苦笑いを浮かべながら、
「分かってます。怒られないことくらい、私だって。でも、なんか申し訳ないんです。ここでケロッとしていられるほど私のメンタルは鋼で無いんですよ」
と言った。
「なるほどね。たしかに晴海は図々しくなれない人だもんね」
私がそう言うと、晴海は少しだけ笑った。
「でも、親戚には図々しくたっていいんじゃないかしら。従姉妹なのよ? 私たち」
その私の言葉に晴海はハッと目を見開いた。大きな瞳で私を数秒見たかと思ったら、また申し訳なさそうに俯いて、
「人によって態度を変えるの、私、嫌なので」
と言って悲しい表情で笑った。私はそれには「ふーん」としか返さなかった。そこまで頑なに変えないのには彼女なりにこだわる理由があるのだと思う。であれば、私はこれ以上踏み込まない。彼女の考え方を否定する権利は私に無いし、私の意見を強制する権利も私に無い。であれば、何も言わない。もうその話については気にするのを辞めることにしよう。私はゆっくりと立ち上がって、玄関の方に向かって歩いた。
「シャワー、先使っていいわよ」
「分かりました」
晴海の返事を聞いた直後、私は靴入れの上に置いてある金属製の鍵を掴んだ。
「どこ行くんですか?」
晴海にそう訊かれ、
「少しビール買ってくるわ」
とだけ答えた。晴海は何も返さなかった。私は誰もいない廊下へ出て、ビールを買いに売店のある2階に向かうのだった。




