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大家族  作者: ひらたまひろ
第2部『手書きの物語』
15/26

第9章『東京戦・中』

(1957年)


 凛と統は昼下がりの街を歩いた。統が凛の小さな手を引いて、でも凛が転ばないようにゆっくりと歩幅を合わせながら歩いた。

「結婚なんて、したくなかった」

 凛がふと口を開いた。統は凛に視線を向け、その話を聞いた。

「信之さんと結婚してすぐ、わたしはあの人から子供を作るように迫られました。嫌でした。あんな人との間に子供なんて作りたくないって思いました。そもそもわたしはあの人が嫌い。暴力的で、自分勝手で、わたしに対して気を配ってくれたことは一度も……」

 そこで凛は言葉を呑んだ。そして小さく、

「無いって思いたいです」と云った。

「なんで『思いたい』なんだ?」

 統が訊くと、凛はそこで立ち止まった。統も合わせて立ち止まる。凛は俯いてそこから動かなかった。

「おい」

 十秒くらい経って統がそう呼びかけると、凛は顔を上げた。そして困ったような笑顔を浮かべて、

「自分のことなのに、どうして分からないんでしょうね」と云った。

「人間、自分のことが一番難しいとも云うしな」

 統がそう云って、繋いでいる凛の手を二回ほどクイクイッと軽く引いた。凛は統を見て少しだけ微笑み、またさっきまでと同じように歩き出した。そして同じように話し出した。

「でも、わたしは子供ができなかった。何回挑戦しても、どれだけ痛さに耐えても、わたしに子供はできなかった。この小さな身体のせいなのでしょうかね? この幼い、成長も発達もしない身体のせいなのでしょうかね?」

 そう云って、自分の小さな胸を少しだけ触った。その顔は、なにかを恨むかのように険しく、でもなにか諦めたように悲しい表情をしていた。

「子供ができないから、姑に嫌われているのか?」

 統がそう訊くと、

「そうです」と答えた。そして云った。

「三井家は、とにかく子供を残したいみたいなんです。三男の家であっても、とにかく子供が欲しいみたいなんです。嫁入りしてきた人には、

「子供を産め」

 しか云わないんです。元気な子を何人も産んで、産みすぎて寿命を縮めたお嫁さんもいたそうです。それでもまだ産めと云います。お正月に、信之さんのお兄さんの奥さんに会ったのですが、作っては産んで、作っては産んでの繰り返しだそうです。

「もう、嫌になるくらいよ」

 と笑いながらおっしゃってましたが、嫌になるのは子供ができない方です。あの家の人は、子供ができない女は不良品だという考えをしています。ですからわたしは、完全に不良品なんです……」

「不良品……」

 統はそう反復した。そして今度は統がピタリと止まった。凛は俯いて歩いていたため、統の背中にコツンと当たる。

「凛が、不良品……?」

 いててと頭をさすっている凛は気にせず、統がそう呟く。凛は顔を上げて、

「そうですよ。わたしは不良品なんです」と弱々しく笑いながら云った。それを聞いた瞬間、統はバッと凛に振り返った。正面から凛の顔を統が見る。その時の統の顔は、どう見ても怒り以外のなんでもなかった。

「凛が不良品であるはずがないっ!」

 統はそう云って、凛の肩を掴んだ。そして揺さぶって、

「お前は自分が不良品と思われて悔しくないのか? 不良品と認めて悲しくないのか? そもそも自分が不良品であると心から思ったことがあるか?」と訊いた。

「悔しくないですよ。私なんて不良品としか思えませんもの」

 統の熱量に比べると、凛はあまりにも冷めていた。そう問われても、凛は弱々しい笑みを辞めなかった。そのあまりに冷めた態度に、統の頭も冷やされた。統は一つため息を吐いて、凛の肩から手を離した。

「後で話そう。とりあえず、まずは目的を終わらせてしまおう」

 そう云って、統はまた歩き出した。

「はい」

 凛はそうとだけ云って、統の後を追った。

 買い物は済ませた。一人分の食材がやはり足りないが、

「仕方がないことです。あの家ではそんなこともあるでしょう」と、凛は悲しげに、でも当たり前のことのように云った。統がそれについてなにかを云おうとすると、これに関しては何も云うなといわんばかりの鋭い視線を送り、統に何も云わせなかった。

 二人はその後、特に何をする訳でもなく帰路に着いた。統は三井家まで凛を送り、その後に蔵本家まで帰った。

 しかし、統は目的を果たせなかった。二年越しに告白を受け入れて付き合ってほしいと云う予定だったのに、することが出来なかった。だが、そんなことが可能なのだろうか? 相手は既婚者、つまり人妻であって、それを奪うだなんて可能なのだろうか? 統は最初、渉から凛の置かれた状況を聞いた時、彼女を三井家から解放したいと考えた。あの気味悪い笑みはその考えの為に生まれたものであった。

 解放をする。それは云い変えれば、信之と凛を離婚させるということである。そして凛を三井家から引き離し、好きなように生活させる。統の望むところはそれであった。

(だが、それは浅はかな考えだったか。そもそも俺一人が立ち回ったとて、凛に離婚を迫ることはできない。それよりも現実味があるのは……)

 統は自分の中で妥協点を探った。

 解放。何から?

――三井家から。

 なぜ虐められている?

――子供ができないから。

 この二つから、統は思った。子供が宿ってしまえば凛は虐められずに済む、つまりは解放されると云えるのでは無いだろうか、と。

 では、なぜ子供ができない?

 ……。統はここで行き詰まった。凛は自分の幼い容姿、つまり凛自身の身体に異常があると考えているようである。

――ですからわたしは、完全に不良品なんです――

 凛のその一言が彼の頭を過った。

「……凛が不良品であるはずがない……!」

 統は一人でそう云った。そしてあることに気付く。それは、そう強く思っていたが故のことであった。

「そうか……!」

 また、統が気味悪く笑った。

「試すだけの価値は十分、いや、十二分にありそうだ」


 一方その頃、ソ連はついに市川を堕とした。江戸川を越え、浦安に迫った。渉たちは戦闘準備を強いられた。隊列を組み、盛った土の裏の地に伏して銃を構える。地面は泥で、服がべっとりと汚れた。

 向かってくるソ連兵は五千人。対するこちらは五百人。十倍の数の差がある。

「いいか! 向こうは中戦車を中心とした戦い方をする。我々は軽戦車しか保有していないから不利に思うかもしれない。しかし、ここ浦安は沼地。戦車にとって沼地は戦い難い場所である! 勝てる見込みは十分にある。落ち着いて戦え」

 山本がそう述べた。全員に緊張が走った。

(だがまだ、目視できるわけではない。そう焦らずとも……)

 渉がそう思った瞬間、頭上正面から何かが迫った。それは凄い速さで渉を通り越し、後ろの沼地に落ちて轟音を発して爆発した。

「なんだあれは……!?」

 それは、相手側の中戦車の弾。

「そんなに近くに迫っているのか?」

 渉が正面に目を凝らす。すると、米粒にも満たない大きさの黒いのが動いていた。周りにウニョウニョと動いている粒もある。

「あれが戦車と人なのか……?」

 そう呟いた瞬間、

「……見つかったな。よし、機関銃と軽戦車、弾を込めよ。それ以外の歩兵はとにかく正面に向かって撃て。いいな?」と山本が云う。そして、

「よぅし、軽戦車、主砲、撃ち方始めっ!」と叫ぶと、軽戦車は轟音を立てて正面に弾を放つ。そして向こう側に落ちたように思えた。

「……始まってしまうのか」

 渉の横で信之が云う。

「ああ、そうだな」

 渉がそう云った途端、遙か左側から轟音が聞こえる。それと同時に人の呻き声。弾が落ちたのだ。

「第四師団、怪我人多数! 応急処置!」

 落ちた方からそう云った声が聞こえる。

「ほんとクソ喰らえだ」

 渉はそう云って、正面を見た。すると、ピカリと何かが光る。反射的に身を盛った土に隠した。すると、真上を無数の銃弾が駆け抜けた。

「機関銃が届く位置にまで来たのか」

 信之がそう呟く。

「どうやらな」

 渉が返すと、

「それじゃあ、そろそろ俺たちも撃たねえといけねえってことか」と信之が云った。

「まあ、そういうことだな」

 渉がそう云うと、

「ソ連軍っていう癖に、殆どが日本人なんだよな。俺たちも日本人だ。同じ民族同士で殺し合わなくてはならないなんて、馬鹿馬鹿しく思えないか?」と信之が云った。

「確かにな。だが、俺たちにはアメリカ兵はいないが、向こうにはソ連兵がいるぞ?」

「本土が近いからな」

 信之がそう答えた瞬間、

「歩兵師団、銃を構えよ!」と山本の声がする。

「さあ、始めだ」

 信之がそう云って、銃口を土の上に乗せた。渉も同じように乗せた。

「歩兵師団、撃ち方、始めっ!」

 山本の声で、渉と信之は引き金を引いた。大きな銃声と共に大きな反動があった。放った弾は目に見えずに消える。正面で微かに呻き声が聞こえた。

――人権に例外は存在しないのなら、戦争という場においても人権があるはずなのだ。だから、戦争の時であっても、人を殺すことは極力してはならないものだと俺は思うのだ――

 渉は山本の言葉を思い出した。そして小さくため息を吐いて、

「そんなの無理なことだ」と呟いた。そして正面を向き、また再び引き金を引いた。もう大きな銃声も、大きな反動も、正面からの呻き声も、なにもかも感じなかった。


 浦安での戦闘が開始されて一週間が経った。戦争の影響は一般市民の生活にも及んでいた。既に赤羽戦線は崩壊し、山本の予想通り、ソ連軍は池袋経由で新宿へ向かう新宿部隊と、日暮里経由で上野、東京へ向かう東京部隊の二手に分かれて侵攻をしていた。都心での戦闘は着々と近づいていた。

 その日、統は再び三井家を訪れた。門の前で声を出そうとした時だった。門の裏、家の中から甲高い怒鳴り声が聞こえた。

「ほんとに何もできませんね、あなた! いい加減にしなさいよ! そんなに動いていない癖に倒れるだなんてあり得ないわ! どれだけ貧弱な身体をしているの? ……あなたの場合、貧弱というよりは幼すぎますわね。年齢を偽っているとかなくて? 子供もできないような女、ほんとに要らないのよ。今すぐにでも追い出してもいいのですが、それをしないことに感謝をすることです! そんな悪い女にはさっさと買い物に行ってもらいます! さあ、出て行きなさい!」

 そこで声は収まった。その後、戸の開閉音がして、何かが門にまで迫ってくる音が聞こえた。そして門が開いて出てきたのは、もちろん凛であった。

 しかし、その凛の顔色は青かった。そしてげっそりと痩せ細り、ふらふらとしていた。そんな凛が、統を見つけて消えそうな笑みを浮かべた。

「石井さん……」

 細い声でそう云い、ぺこりと一礼をした。

「よお」

 統がそう声を掛けて凛に近寄った。

「また怒られちゃいました」

 凛がそう云った。少しばかり息が上がっているようだった。

「云い返したのか?」

 統が訊くと、凛がふにゃっと笑った。それは弱々しい笑顔だった。そして以前よりもさらに弱々しい笑顔だった。

「戦争、だんだんと生活にも支障が出てますね」

 凛は統の質問は笑ってやり過ごし、巾着の中のお金を数えながら云った。

「そうなのか?」

 統が訊くと、凛はコクリと頷いた。

「以前はこれだけのお金が有れば、私の分のご飯も作ることができたのに、今ではそれができないんです。物価が高騰してます」

 そう返して、

「計画的に生きないと、私は死んでしまいますね」と云い、反対側の腰に付けた巾着袋の中からパンを取り出した。

「なんだそれ?」

「朝ごはんのパンです」

 統の質問に凛がそう返した。

「なんでそんな物を……」

 統が訊くと、凛が俯いて、小さな声で、

「私が一日の中で満足に食べられるのは朝ごはんしか無いんです」と云った。

「それってどう云う……」

 統が訊いたが、その理由は察していた。凛は、

「分かってるくせに」とムスッと呟いて、

「朝ごはんは私が作ります。ですが、それ以外はお義母さんが作ります。問題です、私の分の料理はあるでしょうか?」と訊く。

「……無いな」

「はい」

 統の答えに肯定して、

「だから私は、自分が作る朝ごはんだけしか食べ物が無いんです。そこでこの巾着に詰め込んで、こうした時にコソコソと食べるのです」と云った。そして、いただきますと小さな声で云い、小さな口と歯でそのパンに噛みつこうとした。

 しかしその時、凛は誰かに見られていることに気がついた。それは、凛よりも背が小さく、ボロボロの服を着て、そしてよだれを垂らして凛のパンを見つめる幼い二人の兄妹きょうだいだった。

「欲しいですか?」

 凛が微笑んで、そう訊いた。するとその子たちはおずおずと頷いた。

「ふふっ」

 凛が笑いながらパンを半分に割った。そして、

「はい、どうぞ」と云いながら、片方を兄に、片方を妹に渡した。兄妹はパンと凛を交互に見つめ、そしてパンにガブっと噛み付いた。すると途端に、幸せそうな笑みを浮かべた。統はその様子を見ていた。兄妹の来ていた服には名札が付いていて、遠目にそれを読む。

『東京府東京市北区赤羽三丁目十八の六、坂本安仁(やすと)

『東京府東京市北区赤羽三丁目十八の六、坂本メイ』

 それを見て、統が二人に訊く。

「戦争で追い出されたのか?」

 すると二人は、統に対して怯えを見せた。

「大丈夫ですよ。石井さんは優しい人です」

 凛がそう云うと、二人は少しだけ安心したように表情を緩める。そして統を見て頷いた。

「……そうか。親はどうした?」

 そう訊くと、

「石井さん」と凛が云う。統が凛を見ると、凛は首を横に振った。それは質問をしてはいけませんと目が語っていた。

「すまなかった。忘れてくれ」

 統が二人にそう云って、

「生きていれば少なからず良いことはあるからな。生きていなさい」と告げた。すると二人は、その場から小走りで去っていった。

「ダメです。傷口に塩を塗っては可哀想でしょう?」

 凛が統を叱った。

「すまない」

 統はそう謝ったが、すぐに凛に訊いた。

「にしても、良かったのか?」

 それはパンのことである。凛は困ったように笑い、

「ええ。しょうがないです」と答えた。

 そのあとで、二人はしばらく並んで歩いた。お店まではまだあと半分くらいの距離があった。

 しかしこの辺りから、凛の様子がおかしいことに統が気付く。息が荒く、ふらふらと歩き、たまに統にぶつかる。顔色もやはり悪く、どこからどう見ても体調不良である。

「お前、大丈夫か?」

 そう訊くと、

「ええ。大丈夫です」とだけ云って笑った。

「一昨日から掃除ばかりで寝られていないのが原因ですので」

 凛がそう云い、足を進めた。しかし、その足はうまく前に出なかった。ふらりと揺れて、凛が倒れそうになる。

「おいっ!」

 統が慌てて凛を支えた。凛は荒く呼吸をしながら、

「すみません……」とだけ謝った。

「お前、凄い熱じゃないか!」

 統は、凛を抱えたことで体温が分かった。それは非常に高く感じた。

「いいえ、それほどでも無いです。だから、大丈夫……」

 そう云って、統の手から抜け出した凛は歩き出した。しかし、数歩歩いて今度は本当に倒れた。

「おいっ!」

 統が近寄って凛を抱える。凛ははぁはぁと荒い息をしながら、その場に目を閉じて倒れていた。体は汗ばんでいる。

「こいつ……」

 統がそう云い、凛を背負って走った。凛は統が持っていた学専校の鞄よりも軽く感じた。

 統が走って向かった先は蔵本家だった。慌てて入ってきた統に佳澄と佳苗は驚いたが、それ以上に後ろに幼い容姿の女の子を背負っていることに驚いた。佳澄が誰かと尋ねるが、統は、

「それよりも布団と冷たい布巾を用意してくれ」と頼んだ。その急いだような統を見て、深刻なんだろうなと悟った佳苗が、布団と布巾を用意した。そして統が抱えた凛の袋を見て、

「お使いの途中なの?」と訊く。統が、

「ああ」と答えると、

「代わりに行くわ」と云って家を出て行った。

 しかし佳澄は、凛を大事そうに抱える統をずっと揶揄った。統はそれを全て聞き流し、延々に流れ続ける凛の汗を拭き取っていた。

 凛を布団に寝かせて一段落ついた時、佳澄が、

「それで、あの子は一体誰なの?」と、さっきと同じ質問をした。

「佐倉……いや、三井凛。佐倉財閥の娘で、三井財閥の三男に嫁いだ奴。俺とは小学校からの知り合い」

「りん……」

 佳澄がそう反復して考えた。そして思い出したようにわざとらしく手を打ち、

「瑠璃ちゃんのライバルね!」と云った。そして悪戯っ子のような笑みを浮かべ、

「人妻なのにいいの?」と云った。それは殆どが冗談のつもりで云った言葉だったのだが、

「そうだなぁ」と統が本気で悩み出すものだから佳澄が慌てて止めた。

「いや、ダメよ? なに本気で悩んでいるのよ。その子結婚しているのでしょう?」

「しかし……」

 統はそう云って引かなかった。佳澄はそこまでかたくなな統を見たことが無かった。

「なに、もしかして……いや、もしかしなくとも、あなた、この子を奪いたいの?」

 佳澄がそう訊くと、

「奪うは違う」と統が云う。そして佳澄に、

「解放をしたい」と云った。佳澄はもう訳が分からなかった。統が一体なにを云っているのか。統はどんな思考を巡らせてそこまで頑なに凛の扱いを悩むのか。それが分からなかった。佳澄は一つため息を吐いて、

「確かに『好きにすればいい』とは云ったけど、人妻を襲おうとしていたとは思っていなかったわ。あなた、とんでもない思考を持っていたのね」

 佳澄がそう云って立ち上がろうとした。すると統は、凛を見ながら呟いた。

「こいつは姑に虐められている。理由は三男との間に子供が出来ないから。だから不良品だと云われて虐められる。だが、こいつが不良品であるはずがない。だから考えたのだ。不良品なのは凛ではなく、三男の信之ではないかと」

「……」

 佳澄は黙ってそれを聞いていた。そして小さくため息を吐き、

「不良品ねぇ」と云いながら立ち上がる。そして部屋の出口まで行き、

「じゃあ確認してみたら? 不良品がどっちなのか。ま、あんたも不良品だったのならまた話は別だけどね」と云った。そして部屋を出て、襖をピシャリと閉めた。部屋には統と凛だけが残された。統が凛を見る。しばらくすると、凛が薄ら目を開けた。

「あれ、わたし……」

 そう云って、数秒後にガバッと起き上がる。

「あぁ、買い物!」

 そう叫んで立ち上がる。しかしふらついて、統に直撃するように倒れた。

「大丈夫だ。三姉が行ってくれてるから」

 統がそう云うと、

「さんねえ?」と凛が返した。

「渉の姉だ」

 統が云うと、蔵本さんの、と凛が云った。そして気付いて云う。

「ではここは……」

「渉の家、もとい俺の仮屋だ」

 統がそう云うと、凛が少し頷いた。そこで統が本題に入る。

「なあ、佐倉」

「ふふ。佐倉は旧姓です。三井は嫌なので凛って呼んでください」

 統の間違いにそう凛が訂正した。

「じゃあ……りん」

「はい、なんですか? ……みつるさん」

 そう凛を名前で呼ぶと、なぜか凛も統を名前で呼んだ。二人は少し顔を赤くして目を逸らした。でもこれでは一向に云いたいことが云えない。統はそう思い、恥ずかしさを押し殺して凛を見た。そして、

「俺は思うんだ。お前に子供ができない理由。それはお前が不良品だからなんじゃなくて、信之が不良品だからなんじゃないかと」と云った。その言葉に凛は驚いた。

「それって……つまり、わたしの身体のせいでは無いって云うのですか?」

「そうだ」

 統がそう返す。すると凛は俯いた。そして、

「じゃあ、わたしにも子供ができるってことですか?」と訊いた。

「多分な。確証を持って、そうだとは云えないが」

 統がそう云うと、

「でも、信之さんがそういう人なのであれば、根本的な解決にはならないんじゃ無いですか?」と凛が訊く。

「確かにな」

 統がそう答え、しかし、と続けた。

「それは信之との子作りをする場合だ。妊娠するだけなら簡単だ」

 そう云って、両手で凛の肩を持った。凛は逃げずに、まっすぐ統を見た。

「俺はお前が好きだ。だからお前を助けたい。お前が虐められているなら救いたい。その原因は子供ができないことにあるんだろう? だったら俺がやってやる。お前との間に子を残してやる。お前が不良品でないことを証明してやる」

「みつるさん……」

 凛はそう云って、統を見つめた。その凛の目は潤んでいた。

「ほんとに、わたしを救ってくれるんですか?」

「ああ」

「ほんとに、証明してくれるんですか?」

「ああ」

 その答えにクスリと笑い、

「じゃあ最後」と云って、統の耳元で囁くように訊いた。

「二年前の返事、教えてください」

「そんなの、云うまでもなかろう」

 統はそう答えて、凛の服に手をかけながら、

「今日だけ付き合ってやるよ」と云った。凛は顔を赤くして、でも嬉しそうに、

「こちらこそお願いします」とだけ云ってゆっくりと目を閉じ、後は統に全てを委ねた。

 二人は昼間の淀んだ空気の中、お互いにじわじわと溶け、混ざり合っていった。

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