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大家族  作者: ひらたまひろ
第2部『手書きの物語』
13/26

第7章『軍学生』

(1956年〜1957年)


 軍学校は厳しかった。銃剣の使い方、刀の使い方、戦車の扱い方、等々(などなど)。一から全て叩き込まれるのだが、それがまた難しい。教師も非常に厳しく、暴力を振るわれることも多々あった。何人も辞める人がいる中で、渉と信之はその日々を耐え、なんだかんだで入学から一年半ほどが経っていた。

 一九五七年 九月十四日

 ソ連の占領する日本民主主義国(東日本)がアメリカの占領する日本共和国(西日本)に日本統一を掲げて宣戦布告。直後、国境を越えて東北より関東に向けて東日本軍が侵攻を開始。東京に滞在していたソ連兵による攻撃も開始されて、日本は戦場と化した。

「皆よく聞け!」

 全校集会で校長から告げられたのは、

「アメリカより軍学生の出兵が命令された」ということであった。戦地の割り振りは学級ごと。信之と渉は同じ学級だったため、同じ戦場へと行くことになった。

「出兵は三日後。それまでに、絶対に既婚者は子供を残すよう努めよ。未婚者は婚約を取り付けるか許可を取って子供を残せ。くれぐれも急に襲うことのないように」

 校長からそう告げられ、学校は解散になった。帰り際に、珍しく信之が渉に話しかけてきた。

「お前とはあんまり関わったこと無いが、中学から一緒だったな。よろしく」

 渉は少し驚いたが、

「よろしく」と返した。そして、ふと気になった事を訊いた。

「そういえば、お嬢様は元気か?」

 お嬢様とは凛のことである。

さいか? ああ、一応は。だが、ここ一年くらい俺の母親にいじめじみたことをされていてな。姑問題と云うやつだが、俺が母親を止めても辞めなくて少々困っている」

 渉は正直驚いた。あの信之が困っている。そんなことあるはずがないと思っていた。しかし、その顔は深刻なもので、嘘を云っているようには思えなかった。

「その理由ってのは分かってるのか?」

 渉の質問に、ああと返事をして信之が話し出す。

「妻はな、俺との間に子供ができないんだ。結婚してから一年半、どれだけクタクタになるまでやったってできたことがない。もうあれは子を残せない体質なのだと思うしかない。しかしそれが母親の反感を買ったみたいで、妻をけなし出したのだ」

「お嬢様も災難だな……」

「全くだ。だんだんとやつれてしまって、体調も崩しがちでな。そんな妻を側で支えられないのが心残りなのだよ」

「そうか。それは……」

 渉はここで言葉に詰まった。なんと声を掛けたら良いのだろう。大変だなだとなにかあまりに無責任であり、頑張れよもどこか違う気がする。瞬時に思い浮かぶ適語が無く、渉はそのまま何も云わなかった。

「ああ、なんで死ぬ前提で話してるんだろうな、俺は」

 信之がそう云って笑った。

「そうだな。お前が死なずに帰って、戦争が終わった後にお嬢様を側で支えてやればいいんだ」

 渉がそう云って、信之の笑顔に応えた。

「とにかく、これからよろしくな」

 信之がそう云ったので、

「ああ」とだけ渉は返した。

「それじゃあ帰る」と信之が云ったので、二人はそれっきり会話をしなかった。

「あいつと同じ戦場、か。統だったらなんと云っただろうか」

 渉はそう呟いて、自分も家への帰路へ着いた。戦争に行けと云われたとき、渉は恐ろしさを覚えなかった。だが、今になってあと三日後には戦地へ行かなくてはならないということに何か恐怖を思い始めた。これから三日間、学校へは行かないで家族や友人に挨拶、もとい別れを告げる事をしなくてはならない。そう考えた途端、この道を歩くのも最後なのではないだろうかと思い、もし最後なのであればと考え、それは自分の命が無いことを指していると気づいた途端、やはりまた恐怖に苛まれるのだった。そしてふと、学校に何か置いてきてはいないだろうかと不安になり記憶を辿った。すると、机の中に本を忘れたことに気がついた。

(読みかけのまま死ぬのも嫌なことだ。読み切ろう)

 渉はそう思って、今来た道を引き返して学校へ向かった。

 渉が本を回収して家に帰って来ると、そこには既に統がいた。何やら本を読んでいるようだった。

「よお」

 軽く挨拶をすると、統も、

「よお」と返した。渉は統の前に座った。

「珍しいな。お前が着替えないまま俺の前に座るとは」

 統はそう云って、読んでいた本に詩織を挟んで閉じた。

「統。俺は……」

 そう渉が云いかけた瞬間に、

「ちょっと待った。当ててやる」と統がニヤッと笑いながら云った。

「いやいい。そういう馬鹿をやっていられるほど、楽観的な問題でない」

 渉がその統の提案を蹴った。渉はこの時も内心穏やかでなかった。不安と恐怖にまみれて、気を抜いたら溺れてしまいそうな程であった。

「そんな時だからこそじゃないか」

 統がそう云って、机に置いてあった急須きゅうすから湯呑みにお茶を淹れた。そして手に持ってちょこっと飲んだ。

「お前、戦争行くんだろ」

 湯呑みを置きながら、統が渉に云った。

「そうだが……」

 渉は統を見ながらそう云った。統は湯呑みを見ながら、やっぱりかと呟いた。

「なんで知っている?」

 渉がそう訊くと、

「さっき凛と信之が話しているのを聞いた」と云った。

「盗み聞きとはたちが悪い」

 渉がそう云ってから、ふと気がついた。

「信之と凛を見かけたのか?」

「ああ」

 渉の質問に、統が抑揚のない返事をした。

「いつ、どこで見た?」

 渉が統に訊くと、統は、

「下校中、三井の館でだ」と答えた。そして統が、

「横を通った時に、たまたま聞いたんだよ。盗み聞きではない」と云った。

「盗み聞きは冗談だ。本気にすんな」

 渉がそう云って、一つ湯呑みを取るように統に手で指図した。統は不満そうな顔をした後、なんだかんだで湯呑みを用意した。そしてお茶まで淹れて渉に差し出した。渉は礼を云ってから茶を啜り、その後自分の横の畳の上に置いた。

「俺はな、信之と同じ場所に配属されることになった」

「あいつと……」

 統が顔を顰める。それを見て渉が笑う。

「ま、その反応をすると思っていたさ」

 渉はそう云って話を続ける。

「正直不安ではある。あいつと一緒なのは嫌だなとも思う。だが、あいつだって良いところがあった」

 そして統に尋ねた。

「凛の姿を見たのだろう? 変わった様子はあったか?」

「凛は……」

 統がそう云って上を向いた。直後に渉を見て、

「少し痩せたように思えた」と云った。

「それに関してさ」

 と渉が云って、

「信之曰く、凛は今、姑問題の中にいるらしい。そして信之はそれを心配して、母親に辞めるよう云っているようなんだ。それでも収まらないらしくてな、信之は戦争に行くのに凛を側で支えられないのが心配だとこぼしていた」と云った。

「そんなの、口先だけなんじゃないのか?」

 統がそう云い、お茶を飲んだ。そして、

「そもそも原因が分からん。姑問題には原因があるだろう? まあ凛のことだ。自分より優れていることを嫉妬されたかもしれないな」と云った。

「原因も聞いたぞ」

 渉がそう云うと、統が貫くような視線で渉を見た。

「なんだ」

 低い声でそう原因を催促する。

「子供ができないんだとよ」

 渉がそう答えると、統が首を二、三回縦に軽く振った。目は上を向き、何か理解したといわんばかりの顔である。

「どうした?」

 渉が訊くと、

「いや、なんでも」と答えた。そしてニヤッと不審な笑みを浮かべた。渉はため息を吐いて、

「まあいい。とにかく、俺は三日後に戦地へ行く。分かっといてくれ」と云った。統はそれには何も答えず、未だに何やら笑っていた。それはとても気味悪く、渉はその部屋を去りたいと心から思ったのだった。

 だから渉は実際に部屋を出た。廊下でたまたま母に出会う。

「珍しい。まだ制服だなんて」

 母が渉を見てそう云った。

「かあさん」

 渉はそう云って、

「居間に、姉さんたちと佳沙かさ姉妹しまい(蔵本家の中で佳沙里と佳沙芽をまとめて指す呼び名)を集めてくれやしませんか?」と頼んだ。母は、いいわよと云って姉妹たちを集めて回った。

 数分後、居間には蔵本の家の者が全員集まった。机の上には大東亜戦争で亡くなった父と二人の兄の写真も置いてある。

 渉は長方形の机の短い辺に一人で座る。向かって左の長い辺に、佳澄、佳苗。向かって右の長い辺に佳沙里、佳沙芽。正面に母が座っている。一番上の姉はもう嫁いでいるのでいない。女五人に向けて、渉は重い口を開いた。

「云いにくいんだが」

 そう前置きをして、渉は目を瞑ってスウッと息を吸った。一同に緊張が走った。

 渉はハアと息を一旦吐いて、そして目を開けた。

「俺は、三日後に戦争へ行くことになった」

 全員に聞こえる最小限の声で渉が云う。その言葉は、全員が予想していたものだった。だが、それでもやはり、この家の者は大東亜戦争で男を全員亡くしている。戦争に送り出すのはとても辛いことだった。

 誰かの啜り泣く声が聞こえた。それは姉二人だった。

「渉……あなたも、お兄ちゃんと……」

 そう云ったのは佳澄だった。佳澄は戦前に兄との関わりが一番強い姉であった。勉強を教わったり、遊んだり。佳澄の幼い記憶にはいつも兄がいた。それは佳苗も同じ。だが、佳苗の場合はあまりに幼すぎて記憶も曖昧ではあるが。

「どうして、どうして私たちは、あなたまで失わないといけないの?」

 佳澄がそう云うと、母が云った。

「縁起の悪いことを云わない。渉はまだ死んでいないのよ。生きて帰ってくる。そう思いましょう」

 母は絶対に涙を見せなかった。泣き乱れる二人の姉を宥めていた。

「お兄ちゃん。お人形作ってあげる」

 そう云ったのは佳沙里だった。

「ありがとう。お前は裁縫が得意だもんな」

 渉がそう云うと、佳沙里はえへへと嬉しそうに笑った。しかし、その目には涙が溜まっていた。

「ねえ、お兄ちゃん」

 そう聞こえた途端、渉はひっくり返った。正面から佳沙芽が抱きついてきたのだ。

「久しぶりに抱っこして」

「えぇ……」

 十五歳にしては小柄な佳沙芽であるが、それでも十五歳である。

「恥ずかしくないのか?」

 渉が訊くと、

「そりゃ、恥ずかしいよ。でもね、やってほしいの。やってもらわないまま送り出したら、後悔するかもしれないから」という答えが返ってきた。

「メェばっかりズルい! あたしも!」

 そう云って、佳沙里も渉に抱きついた。双子だからもちろん佳沙里も小柄だが、二人ともなるとそれは重い。(メェとは佳沙芽のことだ。佳沙里しか使っていないが。ちなみに、佳沙芽は佳沙里のことをリィと呼ぶ)

「ああ、もう! 重い、重い。しっかりやってやるから、さっさと上からどけ!」

 渉がそう云うと、二人は渉の上からどいた。そしてまずは佳沙芽を抱いた。佳沙芽は暖かかった。女の子特有の柔らかさがあって、渉は心地よさを感じた。

 次に佳沙里。基本的に佳沙芽と変わらないが、胸が佳沙芽より少し大きいためか更に女の子という感じがした。しかし体温は佳沙芽より低く、佳沙芽を抱いたあとだと心なしか冷たいと思ってしまう。ぬくぬく暖まりたいなら佳沙里を抱くより佳沙芽を抱いた方がいいのだろうかと変なことが頭を過ぎる。抱くことなんて、今後無いかもしれないのに。

「渉。それ終わったらこっち来て」

 そう云ったのは佳苗だった。

「お兄ちゃん、カナねえのとこ行っていいよ」

 佳沙里がそう云ったため、渉は佳沙里から離れた。そして佳苗の所へ行くと、佳苗が渉を強引に引き寄せた。渉は佳苗の胸に埋もれた。

「わたる、今日何食べたい? 明日でもいいや。今日と明日は渉の好きな物を作るね。だから遠慮無く云ってね。お姉ちゃん、頑張るから」

 その声は震えていた。泣いているのだと渉は分かった。

「なんでもいいって云ったら怒る?」

 渉がそう云うと、

「そりゃ、一番ダメな返事だよ」と云った。しかし渉は実際なんでも良かった。それもそのはず。

「三姉の作る料理はなんでも好き。俺の好きな物は、三姉の料理全部だよ」

 渉がそう答えた。佳苗はもうこらえられなかった。声に出して泣いた。もう、何も気にせずに泣いた。ギュッと渉を抱きしめて、渉は息ができなくて苦しかった。

「佳苗、それじゃ渉が戦争に行く前に死んじゃうわ。私に代わりなさい」

 そう云って、これまた強引に渉を奪って抱きしめた佳澄。

「戦場では頭使いなさいよ? 生き残るために動きなさい。絶対に帰ってくるの。約束して? 誰かを盾にしたっていい。誰かを見殺しにしたっていい。だからあなたは、生きてここに戻ってくることを約束して?」

 佳澄は渉にそう告げた。帰ってこられる保証が無いことを分かっている。佳澄はそれでも帰って来いと云った。

「約束、か。いいよ、しよう。帰ってきてやる。だから姉さんも、みんなも約束して。この戦争で死なないって。家族全員、この面子めんつで集まるって。そう約束して。何年かかるか分からない。でもその約束を果たすんだ。そうしよう?」

 渉がそう訊くと、皆涙ながらに頷いた。そしてここに、蔵本家の約束が生まれたのだった。

 その日の夜、渉は佳沙里と佳沙芽に一緒に寝てくれと頼まれた。双子に挟まれながら一晩を過ごしたが、二人の目的は寝ることで無く話すことであった。そのため眠れないまま朝を迎えた。だが、それは彼女たちもそうで、三人揃って朝からフラフラしていた。

「もう、二人とも渉を振り回しちゃ可哀想でしょ? それに人形どうするの? 寝不足のまま作ったら、針指に刺すわよ? もっかい寝てきなさい」

 佳澄が双子二人にそう注意すると、二人ははーいと返事をして睡眠を取りに自室へ戻った。

「それで渉。あなたは寝ている暇は無いわよ? どうせ、戦争行く前に子供を残せ、みたいなこと云われたんでしょ? 相手いるの?」

 佳澄が皿を洗いながらそう云った。

「いないよ、そんな人」

 不貞腐れたように渉が答えると、

「ダメじゃない! ちゃんと探しに行くこと! いいね?」と云われる。

「家族で誰かに頼むのは……」

 と渉が云った瞬間、

「バカ、あなた本気で云ってるの?」と冷たい視線を向けられた。

「いや、半分くらい……」

 そう答えたら、

「じゃああんた、もし頼もうと思ったら頼めるの? 私や佳苗、佳沙里や佳沙芽に、子供作らせてください! って頭を下げられるの?」と訊かれる。

「佳沙里か佳沙芽になら、まあ……」

 そんな渉の答えを聞いて、

「あの二人とならできるって云うのね。そう。じゃあ今から行ってきなさい。僕の子供を産んでください、と頭下げてきなさい。性行為させてください、と頼んで来なさい。きっと現実が分かりますから」と佳澄が云った。それを横で佳苗が聞いていて、

「あの二人、もし本当にやるとなったら耐えられるかしら?」と云った。

「そんな?」

 そう佳澄が訊くと、

「最初は壊れるかと思うくらい痛いよ。十八の時にそう思ったから、十五の二人の場合は考えただけで気の毒だわ」と云った。そして最後に、

「お姉ちゃんも早く経験できるといいね」と笑顔で答えた。佳苗には彼氏がいる。佳澄は未だかつて彼氏がいたことがない。

「煽りが酷いわね、佳苗」

 佳澄はそう云って、ため息を吐きながら皿を洗った。

「あ、それで渉」

 佳苗が渉を呼んだ。渉が佳苗を見た。

「女の子も事情があるから、簡単に襲っちゃダメよ? それにあの二人、身体が小さい分負担が大きいわ。だからやめといた方がいい。誰か探してきなさいな」

「でも、俺にそんな知り合いが……」

「いないって云うの?」

 渉の言葉を遮って佳苗が云った。渉が頷くと、佳苗がため息混じりに、

「瑠璃ちゃんがいるじゃない」と云った。

 渉は瑠璃の元へ行ってみることにした。


 瑠璃の家に着いた。いつかのようにゴンゴンと扉を叩いた。すると中から鍵が空き、顔を出したのは瑠璃本人だった。

「渉!」

 瑠璃はそう云って、いつも大きな目をそれ以上に大きく見開いた。

「よお」

 渉はそうとだけ云った。

「まあとにかく、上がって。片付いていないけど、その辺は目を瞑って」

 瑠璃がそう云って渉を上げた。渉は瑠璃の家に上がった。

 家の中は相変わらず片付いていた。しかし、家には瑠璃以外の人の気配を感じない。

「他に誰かいるのか?」

 渉が訊くと、

「夜まであたし一人よ」と答えた。

「そうか」

 渉はそう云って、

「なあ」と瑠璃に話しかけた。

「なぁに?」

 瑠璃はそう返して、渉からの言葉を待った。渉は目を閉じて深呼吸をした。そしてしばらくして目を開けて、

「俺、明後日から戦争へ行くことになった」と告げた。

「へ?」

 瑠璃は素っ頓狂な声を上げて、

「あたしの聞き間違い、かな?」と首を傾げた。そして、もう一度云うように頼んだ。渉は同じようにもう一回云った。すると瑠璃の顔が険しくなった。

「戦争、行くんだ……」

「ああ」

「そっか……」

 瑠璃はどこか寂しそうに俯いてそう云った。

「それで、瑠璃」

 そんな瑠璃に渉が話しかけた。瑠璃は顔を上げて渉を見た。

「一つ、お願いがあるんだ」

 渉がそう告げると、

「奇遇ね。あたしもよ」と瑠璃が云った。

「どっちが先に云う?」

 瑠璃がそう訊いた。渉は信念が揺るがないうちに云っておきたかったため、瑠璃に先がいいと云った。そしてこう告げる。

「俺との間に、子供を作ってください」

 その言葉に、瑠璃は顔を赤くして恥ずかしそうに俯いた。

「えっと、その」

 瑠璃がそう云って、少しだけ体をよじらせた。そして、

「うー……」と少し唸ったあと、目をギュッと閉じて、意を決したかのように脱衣を始めた。それは許可の合図であって、そして、渉の気が変わらないようにするためであった。

 長い茶髪の髪までほどき、完全に裸になってから渉に這い寄り、

「好きにしていいよ。でもその代わり、あたしのお願い、ちゃんと守ってよ?」と云った。

「お願いが分からないのだが」

 渉がそう訊くと、

「それは……終わってから話す」と云った。渉は卑怯じゃないかと思ったが、渉自身もう欲を抑えられなさそうだったがためにその条件を呑んだ。


 終わった後、瑠璃が渉に云った。

「あたしの約束、それはね、あたしを貰ってってこと。だから、その。結婚してくださいっ!」

 瑠璃は頭を下げた。

「結婚、か」

 渉はそう云って、少し黙り込んだ。

 渉は条件を呑んだ。ここで逃げるのは卑怯である。卑怯と云うより嘘つきである。

「……まあ、条件だったしな」

 渉はそう云って、瑠璃の手を取った。

「いいよ、しよう。お前を嫁にしてやる」

 瑠璃の顔がパァッと明るくなった。しかし、渉はそこで条件をつけた。

「ただ、俺が帰ってきてからな。俺はこの戦争で死ぬつもりはない。だからそう約束してくれ。生きて帰ってきて、家族との再会の後にお前と結婚する。それでどうだ?」

「うん」

 瑠璃はそれを承諾した。そして、でもねと付け足した。

「約束破ったら、許さないからね?」

 そう云って微笑んだ。

「ああ」

 渉もそれに釣られて微笑んだ。そして二人は笑い合った。約束を取り付けた一時間後、渉は瑠璃の家を後にした。


 九月十七日。ついにその日が来た。

「行くのか」

 統がそう問うと、渉はああとだけ云った。

「渉、生きて帰ってね」

「ご飯、ちゃんと作って待ってるから」

「お人形が私たちだからね? 失くさないでよ?」

「またギュって抱いて欲しいな。待ってる」

 姉や妹からの言葉を聞いた後、母が云う。

「約束は約束よ? 全力を尽くしなさい」

「はい」

 渉はそう返事をして、

「それじゃ、行ってきます」と云った。

「いってらっしゃい」

 家族に見守られ、蔵本渉は家を後にした。

 そして、この瞬間が蔵本家が全員揃った最後であった。

『全員が揃って再会する』

 その約束が果たされることは、悲しいことに無かったのだった。

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