第5章『中学3年生・上』
(1955年)
瑠璃と凛の関係は、あの日以降大きく崩れた。側から見たらそれほど大きく変わりはなかったが、二人の内にあった事情は大きく乱れていた。恋のライバルなんて云い方をすると格好がついて聞こえるが、実際にはそんな格好良いものではない。確かに争いはやんわりとしているが、実質お互いのボロの洗い出しだ。簡単に云えば、ただの蹴落とし合いである。
統が一緒にいる時にしか二人は話さない。そして二人きりの時は無言。たまに横目で見やる時はあるが、それもそれだけ。会話なんて一切無いのだった。
そうして時は巡った。一同は三年生になった。新しい組では、統と信之、凛と渉、八重と瑠璃というように綺麗に組が分かれた。信之と統が一緒の組になったことにより、凛は思うように統へのアプローチをかけることができなくなった。学級分けでのアドバンテージは瑠璃に傾いたように思えた。
瑠璃と凛のいざこざの原因を知らない人がいる。当の本人である統と、凛の婚約者である信之はもちろんだが、古くから瑠璃を取り巻いていた渉と八重も、今まで一切その争いに関与してこなかったのだ。
「瑠璃。お前お嬢様と仲良かったのに、去年のいつぞやからあんまり親しく無くなったよな」
ある日の下校中、渉が瑠璃にそう話しかけた。この日は瑠璃と渉、そして八重の三人で下校をしていた。
「確かに。今まで『凛ちゃんが〜、凛ちゃんが〜』てよく聞いたけど、ある時を境に云わなくなったよね」
八重もそれに同意をする。そして八重が訊く。
「何があったの?」
瑠璃は悩んだ。ここで素直に統への恋心を打ち明けるべきか、それとも打ち明けずに隠して怪しまれるか。そして瑠璃は考えた。もし二人が、去年の自分と同じように原因を探って泥に落ち、自分と仲が悪くなってしまったら。それはなんとしても避けたい結果であった。特に渉と仲が悪くなるのは避けたい。渉の家に居候しているのが統である。もし渉がこの裏事情を探り、凛に同じように訊き、あの忌々しい笑顔に堕ちてしまったら。瑠璃はそう考えてゾッとした。そうなった場合、渉は間違いなく凛と統の恋の応援へと走るだろう。男という生き物は愚かだ。表面上の罠にどんどん引っかかって、いとも容易く釣られてしまうのだ。擬似餌を使うまでもなく、ただ針を垂らすだけで食いつく奴もいる。それが凛なら尚更であって……
そこまで考えれば、選択肢は一択だった。
「実は……」
瑠璃は二人に、去年に起きた統を巡っての動乱を伝えた。
「へえ、お前が統を……」
意外そうな声を上げたのはもちろん渉だ。
「なによ、あたしが恋しちゃダメって云うの?」
瑠璃が口を尖らせて渉に訊く。いやそうは云ってないと渉は云ったが、それ以降に言葉を紡ぐことは無かった。
「でも、凛ちゃんも統くんをねぇ……」
八重がそう云って、
「手強いわね」と云った。
「そうなのよ……」
瑠璃はそう云って俯いた。
「ま、統のことだ。お嬢様に恋することは無いと思うぜ?」
渉がそう云ったものだから、瑠璃と八重は渉を見た。
「どうしてそう云い切れるの?」
八重がそう訊くと、
「統は信之が大っ嫌いだからだ」と渉が答えた。そしてこう付け足す。
「そもそもとして、関わることすらも嫌っている。同じ空間にいることだって嫌なんだろうよ。昨日も下校中、悪口ばっか叩いてやがった。だから云ってやったんだ。『陰口叩くくらいだったら面と向かって云ってこい』てな。そしたら『そんな度胸は無い』て云ってた。だから信之が溺愛する凛を奪うなんてことは統にはできない。それにもし凛自身から告白されたとしても、信之と関わるのが嫌だから振るだろうよ」
その補足は筋が通っていた。
「確かに凛ちゃんを選ぶとなると、必然的に三井くんとのリスクを孕むことになるのね」
八重が頷きながらそう云う。
「それじゃあ勝機は……」
瑠璃が嬉しそうに笑いながら渉に云う。すると渉は頷いて、
「まあ、あるだろうな」と云った。八重と瑠璃は表情を明るくした。
だがしかし、事態は思ったように上手くは進まないのがお決まりである。その翌日のことだった。凛が下校中に以前と同様、統に接触をしたのだった。
「いつも信之さんが迷惑をかけているんじゃないかって心配なのです」
凛がそう統に話しかける。
「全くだ」
と統は思慮のない返しをした。
「そう真っ直ぐに云われると少々傷つきます……」
凛はそう云って小さくなった。統は、それでは信之とやっていることが変わらないと思い、
「すまなかった」と謝った。信之を見て統は分かっていた。信之は謝れない男なのである。信之と違う者になりたいのであれば、謝ることが大事なのだ。
「ふふっ」
それを聞いて、凛は微笑んだ。そして可愛い笑みを浮かべて、
「許しません」と答えた。統は凍りついた。一気に背筋が冷えて身震いがした。顔が強張り、なんだか鼓動が激しくなった。普段冷静な統が珍しく焦った瞬間だった。
「ふふっ」
また凛が同じように笑う。そして、
「冗談です」と云ってのけた。統の鼓動は収まって、段々と背筋の冷えもなくなった。
「焦った……」
深呼吸をして、統は凛に云った。
「私が石井さんを嫌うことがあるはず無いじゃないですか」
凛がそう云って統の顔を見た。見ながら、
「ですが、仮に信之さんが謝ったとしても、きっと私は心から許さないでしょう。石井さんだから許すんですよ?」と悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
「どうしてだ?」
統は訊いた。すると凛は、一瞬俯いて顔を赤くした。そして顔を上げて云った。
「あなたのことが、好きだからです」
統は無になった。思考が停止する。そんな統に凛が迫る。
「わたし、好きなんです。信之さんなんかより、石井さんと結婚したいんです。恋愛ができない身だと分かっていても、わたしは恋愛をしてしまったんです。これは罪です。罪なんです。でも、でも。わたしはそれでもあなたが好きなんです。だから、だから……! わたしとお付き合いしてくださいっ!」
気付くと、凛は統の右腕をガシッと掴み、小さな体で抱擁していた。統の腕に凛の小さな胸が当たる。統はもう訳が分からなかった。
「離れて、くれないか……?」
統がそう訊くと、
「答えを云ってくれたら離れます」と凛が返す。統は無意識的に悩んだ。しかし、悩んでいることに気がついて、あることに気づく。
(俺は佐倉に情があるのか……? それも、信之と対決してもいいと思えるほどの価値を見出しているのか……?)
現在統が悩んでいるのは、付き合って信之の反感を買って正面から戦うか、振って凛を悲しませるかという選択であった。信之とは絶対に関わりたくない統であれば、凛になんの感情も抱いていないのなら振るの即決なのであった。しかし、面と向かって信之と戦えると思える、つまりは信之から凛を奪いたいと少しでも思っているから悩むのだ。
(いったい俺はどうしてしまったのだ?)
統はただひたすらに悩み続けた。凛はその時間、ずっと統の腕にしがみついていた。
どれくらい経っただろうか。統がゆっくりと口を開いた。
「なあ、佐倉。付き合う場合、信之はどうするんだ?」
「それなんですよね……」
統の質問に、凛は少し唸った。そして、
「正直に云うと、結婚を断ることはできません。親は家柄でしか見てませんし。ですので、信之さんの許可を取ってからお付き合いする必要が出てきます」
「許可……」
「許可というよりは、お願いに近いかもしれません」
「……」
統は御免だった。あの信之に、頭を下げて凛が欲しいとは云えないのだった。信之の性格上、そんなことを云ったら面倒なことになるのは火を見るよりも明らかだった。それに統は、もし付き合うのなら正面から戦う気でいたため、平和的にお願いやら許可を取り付ける気はさらさらないのであった。
「すまん、佐倉。信之に頭を下げるのは断固として嫌だ。だから……」
そこまで云って、統は言葉を呑んだ。完全に振るのはなにか惜しいと思ったからだ。
「だから?」
凛が催促をするように訊いてくる。それを見て統は、
「いや」と云って、
「もう少し、考える時間をくれ」と答えたのだった。
「分かりました」
凛はそう云って、ようやく統の腕から離れたのだった。
この日から、統は凛と付き合うかどうか、つまり信之と対決、頭を下げてまでして凛を取りたいと思えるかの逡巡が始まるのだった。この頃の彼には、瑠璃という存在は頭の片隅にも無かったであろう。渉の予想は外れたのだった。これは、渉が思っていた以上に統の信之への嫌悪が無かったというわけではない。信之への嫌悪は全く以て変わっていない。こうなった原因は、凛に対する統の想いを考慮していたかどうかだったのだ。渉に対して、凛のことを一切口にしない統の想いだなんて、渉には予想しようもないのであった。
そしてもう一つ、彼らの知らないところで事態は大きく変化を迎えるのだった。
それから一週間ほどが経った。その日、学校にアメリカ占領下の政府から通達が入る。
『アメリカの支配地域にある学校は、普通教育制度を改訂する。女子の義務教育期間を小学校までとし、中学校、高等学校および大学を男子校とする。教育方針は軍人養成を中心に行うものとし、対ソ連戦に向けた特化型授業に切り替える』
そんなものであった。
この時、米ソの対立は熾烈を極めていた。いつ戦争になってもおかしくないほどにまで両者が牽制をし、軍事演習を頻繁に行い、原子爆弾などの新型兵器の研究も次々に進んでいた。
また、当時四国を占領していた中華民国は、長引いていた中華人民共和国との戦争が不利になり、台湾と四国に亡命する人が急増していた。
九州を占領するイギリスも、アフリカ大陸をはじめとした各地の植民地での独立運動の激化によって九州の覇権をアメリカに譲って日本から退いた。その結果、西日本を中心に統治していた民主主義陣営は勢力を弱め、北海道と東北を占領するソ連が力をつけてきたのである。
アメリカは、ソ連との戦いは回避不可能と考えていた。
その際に、両国によって分割統治されている日本が戦場になることは容易に想像がついた。だからこそ、現地に住む日本人を鍛え上げて、強い軍隊を作り上げようと決めたのだった。
瑠璃、凛、八重は学校を去った。女子が去るとき、ある教師が云った。
「女児のみなさん。世間での女への認識は、これから出産マシンにしか思われなくなります。辛い現実かもしれないけども、それを受け止めて、早く嫁に行き多くの子供を生みましょう」
その教師は大東亜戦争を経験していて、戦時下での女性の認識を思い出してそう語ったのだった。アメリカは男女の結婚年齢を今回引き下げた。女子は小学校を卒業した満十二歳に、男子は中学校を卒業した満十五歳に。どちらもそれぞれの義務教育が終わった瞬間からになった。
女児が通わなくなった中学は荒れた。軍事教育もなされ、物の破損や暴力沙汰も多くなった。治安の悪化は目に見えるほど明らかで、統と渉は毎日のように行われる指導集会にうんざりしていた。授業をするにも儘ならず、アメリカ占領下の東京府は、学校を当面は昼までとすることを決める程であった。
そして、学校に行くことが楽しみだとは云えなくなり、楽しみは家に帰ってから待っているというような日々へと変化した。
家に帰ると、姉や妹が待っている。それに混ざって、瑠璃と八重もいる。そんな生活が最近の日課になりつつある。
なぜ二人が入り浸っているのか。それはもちろん、瑠璃が統に近づくためにやっていることであり、八重はそれについてきているという認識を誰もがしていた。
しかし、その認識が誤解だったことに全員が気付くのは、これからまた数ヶ月が経った後のことである。
ある秋の日にその事件は起こった。いつも通り、統と渉が学校に出かけた一時間ほど後、八重と瑠璃が蔵本家にやってきた。二人はいつも応接間を借りていた。八重は勉強を二番目の姉(佳澄という)から教わり、瑠璃は料理や掃除などを渉の三番目の姉(佳苗という)から教わる。それが日課であった。この日も例外でなく、二人はそれぞれをそれぞれから教わっていた。
お昼ご飯の時、昼食を食べながら佳苗が瑠璃に訊いた。
「瑠璃ちゃんって、統が好きなんだっけ?」
瑠璃は咽せた。危うく茶碗を落としそうになる。
「そうですけど、唐突すぎませんか?」
瑠璃がそう答えると、佳澄が笑った。
「統ねえ。あの子も可哀想なものよね。幼い頃に家族を失って、私たちみたいな人を家族だと思って生きなきゃいけなくて」
「お姉ちゃん、云ってることと顔が釣り合っていないわよ?」
佳苗がそう云うと、
「私はいつも笑ってるのが取り柄なのよ」と佳澄が云う。
「また根も葉もないことを。一番感情の杞憂が激しいくせに」
佳苗はそう云って、お茶を啜った。そんな佳苗を横目に見ながら、佳澄は瑠璃と八重に云った。
「でも、可哀想なのは二人も同じ」
そして八重を見て、
「あなた、いつまで黙っているつもりなの? 一つ云わせてもらうけどね、そのまま事を為すのは卑怯よ?」
と云った。そう云われた八重は俯いた。
「あの……なんのことですか?」
瑠璃は分からなかった。すると佳苗が、
「気付いていないなんて、瑠璃ちゃんは恋の病に侵されちゃってるのね」と云った。
「それってどう云う……」
そう云った瞬間、八重が俯いたまま呟いた。
「周りが見えなくなっているってことよ」
瑠璃は八重を見た。八重は俯いたまま動かない。
「周りって? あたし見えてるわよ?」
「いいや、見えてない。見えてないと云うより、分かっていない」
横から口を挟んだのは佳澄だった。
「分かるって?」
瑠璃がそう訊くと、佳澄はため息を吐いた。そして、
「八重と二人でお話しなさい。佳苗、一緒に食器片付けて」と云って、姉妹揃ってその場を去った。
食卓には、瑠璃と八重だけ残された。
「八重、どう云うこと? あたしが分かっていないって」
瑠璃がそう訊くと、
「統くんのことを好きな人、瑠璃ちゃんは何人知ってる?」と云う。相変わらず俯いていて、全く以って表情は読めない。
「え、あたしと凛ちゃんじゃないの?」
「それ以外は?」
全く同じ調子で八重が訪ねた。
「知らないわよ」
瑠璃がそう答えると、八重がふふっと笑った。
「なによ?」
瑠璃が訊くと、
「全然見えてないなって思って」と八重が云った。そして顔を上げ、
「灯台下暗し、かな」と笑った。その瞬間、戸を開けるガラガラという音がして、二人の男児のただいまという声が響いた。すると八重がサッと立ち上がり、
「じゃあ瑠璃ちゃん、お疲れ様」と云って、食卓から去った。この瞬間、瑠璃は全て分かった。本当の恋のライバルは凛ではなく、八重だったのだと。そして事の重大さに気付き、自分も席を立ち上がって八重を追った。しかし、その時には八重は、統の腕を掴んで強引に二階の統の部屋にまで向かっていた。
「八重っ!」
瑠璃は思いっきり叫んだ。目からは意図せず涙が垂れた。
「瑠璃ちゃん、恨みっこ無しよ。私の取り柄は頭脳しかないの。運動じゃあなたに勝てない。恋愛は勝負よ。負けない分野で仕掛けなくてどうするの? あなたは家事が苦手。それを克服するのが優先と見たみたいだけど、それは負ける選択よ。得意を伸ばさずしてどうしようとしていたの? 恋愛は長期戦じゃない。短期戦よ。それなのに苦手の克服とか云っていたら話にならないわ」
八重は階段の途中で見下ろすように瑠璃に云って、踊り場を折れて消えていった。瑠璃は追う気になれなかった。足に力が入らなかった。自分の愚かさが憎かった。思えば、八重の発言は一つも自分に味方するものではなかった。自分が味方されている気になっていただけだったのだ。
「なんで……なんで、気付かなかったんだろう……」
瑠璃はその場に座り込んだ。そして声を上げて泣いた。そんな瑠璃を、後ろから渉が包み込んだ。
「人は失敗から学ぶんだ。人の考えてることは分からない。想いは声に出さない限り伝えられないんだからな。それに、統が許可を出すと決まったわけじゃない。あいつが八重を振ったのなら、お前にだってチャンスはあるんだ」
「わたる……」
瑠璃は顔をグシャグシャにしながら渉を見た。そして向きを反転して、渉に正面から抱きついた。瑠璃の涙は止まらなかった。ずっとずっと、渉の胸の中で泣き続けた。渉はそんな瑠璃をそっと抱きしめ、ずっとそのまま座っていた。
「恋は人をダメにするわね。見ている方も、患っている方も、みんなみんなダメにする」
佳澄がそう云った。その声は、瑠璃の泣き声に掻き消された。
その頃、統の部屋では。
「統くん。もう知っていると思うけど、私あなたのことが好きなの。だから付き合って」
八重の告白に、統は目を閉じて考えた。八重は真面目な子である。成績優秀で、クリクリした大きな目をしている。顔は普通の女の子であるが、性格は真っ直ぐで悪いとは云えない。そして凛のように婚約者などいなく、付き合うのには本人たちの同意だけで良いのである。
(だが、凛は……)
そう。統には凛という問題も抱えていた。八重と凛。天秤にかけると凛の方に傾く。しかし、取り巻く環境を考えた時に面倒でないのは圧倒的に八重である。なんと云っても、信之がいないのだから。
「統くん」
八重が統を呼んだ。統は片目だけ開けて八重を見た。その八重がこう云う。
「あなたを好きな人は私の知る限り三人いるの。一人目は私。二人目は瑠璃ちゃん。三人目は凛ちゃん。いい? しっかり考えてね。
まず、そうね……。瑠璃ちゃん。あの子は元気だけが取り柄みたいな子でしょ? 勉強、家事はろくすっぽできない。気持ちを察することも疎くて、付き合うなら間違いなく苦労するわ。
次に凛ちゃん。あの子は非の打ち所が無いわ。正直、完璧で敵わない。お金持ちで可愛くて、そしてさらに勉強もできる。財閥の一般教養だとか云ってきっと家事も得意よ。でもね、彼女は完璧でも付き合うのは無理がある。それは三井くん。あなたの大っ嫌いな人よ。あの人が婚約者としていて、凛ちゃんと付き合うにはあの人をなんとかする必要がある。奪える自信があるなら止めないけど、そんな自信が統くんにあるようには私は思えないわ。
その二人を踏まえた上で私。凛ちゃんには全部及ばないけど、それでも瑠璃ちゃんよりはなんでもできると思ってる。可愛さは劣るけどね」
それだけ云って、統をジッと見つめた。そして数秒後に、
「じゃあ訊くね。私と付き合ってくれますか?」と訊いた。統は逃げたかった。誰とも付き合いませんと云いたかった。だからそう云おうと口を開けた時、背後の襖の向こうから、
「統兄ちゃん。振ったら次に何が待ってるか知ってるかしら?」という声がした。それは渉の妹で、現在十三歳の佳沙芽だった。
「佳沙芽ちゃん、いたの?」
八重がそう云うと、佳沙芽は失礼しちゃいますと云って、
「朝からずっといましたよ? 食事は一緒に取ってませんけど」と云った。もう一人の妹で佳沙芽の双子の姉の佳沙里は出かけているようであるが。
「それで佳沙芽。振ったら何があるんだ?」
統がそう訊くと、
「瑠璃姉ちゃんだよ。今度は瑠璃姉ちゃんからも迫られる。そしてそれを振ったらもう一人の子から迫られる。その子も振ったら、今度は女子三人によるさらに激しい取り合いが始まって、また誰かしらに迫られる。負の連鎖なのよ、そういうのって。だからはっきりさせておくべきだと思うわ」
表情は見えないが、その声は、少し面倒と云ったような声に統には聞こえた。
「はっきり、か」
そう云われて、再び目を閉じた。凛、八重、瑠璃を天秤にかけ、傾くままに思考を巡らせた。そして結論が出た。
「八重。いいよ。付き合おう」
その承諾で、統と八重は付き合い始めた。
一年半に渡って続いた、瑠璃と凛の統争奪戦は、八重という第三者の乱入後、その第三者の勝利で幕を閉じた。




