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004:馴染みの店

 夕刻の王都アルメリア。

 西区に広がる商店通りは、まだほのかに残る夕日に照らされながらも、徐々によいの気配をまとい始めていた。石畳の通りには、仕事帰りの都民や好奇心旺盛な子どもたちが行き交い、色とりどりの看板が商売人たちの声と共に宙に浮かんでいた。

 そんな喧騒の中、1台の黒い馬車が通りの入り口に滑るように現れ、静かに停止する。光を吸い込むかのような黒い車体。車輪の音すらも抑えられたような馬車は闇そのもののようだった。

 最初に馬車の扉を開けたのは、白い手袋をめた執事。続いて下り立ったのは、女とは思えぬほど冷徹な気配を纏う護衛。緑の髪を後ろで束ね、赤い瞳が鋭く辺りを見回す。視線だけで周囲を黙らせるような視線だった。

 そして、馬車から最後に降り立ったのは、黒のマントを纏い、黒に服に金の刺繍をあしらい、整えられた口ひげをたくわえたルヴェニュー男爵だった。

 その姿を見て、通りの店主たちは一瞬息を呑んだ。

「なんで、お貴族様が、こんなところに・・・」

 そうささやき合う者もいたが、男爵の名を口に出す者はいなかった。


 護衛のシルクを伴い、ルヴェニュー男爵は石畳をゆっくりと歩いていく。

 やがて、通りの中ほどにある一軒。王都でも珍しいチョコレート専門店の前で足を止めた。

『ル・ラパン・ドール』

 金のウサギを象った看板が、夕陽の最後の光を浴びて煌めいていた。店先からはほのかに甘く香ばしい香りが漂い、外界の雑踏とは別世界のような静けさをたたえていた。

 無言のまま、シルクが店の扉に手をかける。小さな鈴の音が、ひときわ澄んだ響きを立てた。そして、ルヴェニュー男爵は扉の向こうへと足を踏み入れていった。

 店内は、香り高い甘味と暗い照明が調和し、異国のサロンを思わせるような優雅な空間を形づくっていた。壁には淡い金のレリーフが施され、棚には整然と一口サイズのチョコレートが並べられている。ミルク、ビター、ハーブを練り込んだもの、練乳の入った白いチョコレート。どれもが宝石のように艶めいていた。

 カウンター奥から姿を現したのは、小柄な体に白いエプロンを身に纏った若き店主ルキ。栗色の髪を後ろで束ねた彼女の瞳は濃い青色。訪れた者の好みを一瞥で見抜く冷静さと温かさを宿していた。

「あ!・・・ルヴェニュー男爵様。お久しゅうございます」

 その声は落ち着いていながら、どこか緊張していた。男爵は静かにカウンターへと近づいていく。

「久しぶりだな。いつものを貰えるかね。喉が苦みを欲しておってな」

かしこまりました。作ったばかりのお品がございます。少し酸味が強くなっておりますが、より香ばしく、深い苦みが残ります」

「ほう。それは良い」

 ルキは手早く小さな銀盆に数粒のチョコレートを並べて男爵へ差し出した。艶を帯びた粒には、一切の装飾もなく、ただ職人の矜持が宿っていた。

 男爵は一粒を摘み、舌の上でゆっくりと溶かす。しばしの沈黙。そして男爵の瞳の奥にわずかに揺れた光。

「この苦味は、心地よい」

「光栄でございます」

「包んでくれ。いつもの分だけで構わぬ」

「畏まりました」

 ルキは奥へと姿を消し、茶色の小箱に丁寧にチョコレートを詰めてゆく。


 ル・ラパン・ドールを出た男爵は再び石畳をゆっくりと歩いていく。そして古びた店の前で足を止めた。

 タバコを扱っている店。店の名は「シガレ」。石と木で築かれたその外観は風雨にさらされ、色褪せた看板と煤けた壁が過去の栄光を物語っていた。扉は厚く重く、開けるたびに低く軋んだ音を鳴らした。

 扉の開く音に、店の奥の椅子で寛いでいた小柄な店主が反応した。短く刈られた灰色の髭と、彫刻のように深く刻まれた皺を持つドワーフ族の男カルロ。彼は手にしたパイプから微かに煙を漂わせながら、立ち上がった。

「おいおい、嘘だろう?・・・アンタかよ」

 カルロの声は低く掠れていたが、どこか懐かしさを感じる驚きだった。

「久しぶりだな、カルロ。元気でいたか?・・・ふむ、だいぶ歳を取ったようだな」

 男爵はわずかに口元を緩める。カルロは笑うでもなく、フッと鼻を鳴らした。

「それはこっちの台詞だ!バニル。お前さん、相変わらず若ぇままだな・・・まったく気味が悪いぜ」

「はは。気味の悪さで言えば、お前の店もな」

「クック。そうだな。それで?いつ起きたんだ?シルビアは?」

 カルロのパイプから静かに煙が立ち上る。店内は薄暗く、壁には様々なパイプと煙草葉が並び、時間が止まったかのようだった。

「シルビアは辺境の館で眠っておる」

 シルビアとはルヴェニュー男爵の妻で同じ吸血鬼だった。男爵は王都の屋敷、妻のシルビアは辺境領の屋敷で永い眠りに着いていた。

 バニルと店主カルロは、若き日に荒事をした旧知の仲であった。カルロは、男爵と妻の正体を知る数少ない者のひとり。だが、それを騒ぐでもなく、お茶を淹れに奥へと消えていった。

 バニルは椅子に身を沈め右手を上げた。隣に立つシルクが無言のまま懐から銀のシガレットケースを取り出し蓋を開ける。中には、丁寧に巻かれた細身の葉巻が数本並んでいた。バニルは一瞥した後、1本を取り上げ唇に挟む。シルクは指先をかすかに振ると、その爪先に赤い炎が灯った。静かな火は葉巻の先端を包み、仄かに煙が立ちのぼった。

 カルロは、手には古びた銀盆に乗せられた湯気立つ茶器を携え、ゆっくりとテーブルへと置いた。

「数日前、『バニー』が出たらしいな。・・・金貨をまるっと持っていったとか」

 カルロは目を細め、バニルに静かに尋ねる。カルロの声には、古き友人への確信が見えいた。

 バニルは、細く息を吐く。葉巻の煙が、淡く天井に昇っていった。

「ほう。『バニー』がなぁ・・・」

 バニルの目元には微笑が浮かんでいた。

 カルロは『フン』と鼻で笑い、椅子に腰を下ろす。かつて王都を騒がせた2人の男。1人は老い、1人は変わらず若い。

 暫くの間、バニルとカルロは、昔の話に華をさかせた。時折、バニルが笑えばカルロも笑った。

 そして、バニルは、重ねられた葉巻の箱から数箱を選び無言で支払いを済ませると、椅子を立った。

「また来よう、カルロ」

「あぁ。今度はもっと楽しい話を用意しておくよ」

 そんなやりとりを最後に、バニルは外気の中へと姿を消した。


 外はすでに薄暮に包まれ、王都の街並みが灰色の帳に沈んでいた。魔石灯に光が灯り、石畳の路地には長い影が伸びていく。

 冷えた空気の中、シーサが静かに馬車の扉を開け、バニルは無言で乗り込んだ。

 馬車は静かに走り出し、街の喧騒が徐々に遠ざかるなか、窓越しに見える風景にバニルは静かに目を細めた。

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