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003:伯爵邸

 時は数日前の夜にさかのぼる。


 月は、曇った空にほのかに輝きを放ち、暗く光る白銀の輪のみを垣間見せていた。魔石灯の明かりもその輪郭に溶け、通りは薄暗く、まるで夢と現実のはざまにあるかのような空気を漂わせていた。

 その夜、標的となったのは、王都でも古き血筋の伯爵邸であった。城壁に近く、時の王が建てたとされる一画に佇むその屋敷は、年月の風に晒されながらも威容を保ち、外壁は石で築かれ、南塔には古き鐘が飾られていた。警備は厳重を極め、魔石灯を持った私兵たちが邸内を巡回していた。

 月が一瞬、雲間から顔を覗かせた時、伯爵邸の石塀脇に黒い馬車が音もなく止まった。その姿を誰かが確かに目にした、はずだった。だが、目撃の記憶はもやに隠れ、誰の目にも夜の闇しか映っていなかった。馬車には目くらましの魔術が施され、見ても意識には残らず、気づかれずにすり抜ける。

 馬車の扉が静かに開き、漆黒の影がふたつ、地に降りた。

 黒衣に身を包んだ人影は、仮面で素顔を隠し、ひとたび壁に手をかけると、重力すら味方にするかのように、音もなく石塀を乗り越え、塔の影に紛れるように屋敷へと忍び込んだ。


 闇に溶けるようにして、2人の影は伯爵邸の庭を縫うように静かに進んでいった。

 手入れの行き届いた垣根を横切り、石造りのアーチを潜り抜けた先、館の西側に位置する来客用の部屋へと彼らは近づいた。客人が滞在しない夜の部屋は、夜の影の中に沈んでいた。窓の鍵を静かに開き、2人は音ひとつ立てずに邸内へと忍び込んだ。

 絨毯が敷かれた廊下に出ると、足音は完全に吸われ、2人は金庫室へと通じる地下への階段の前に佇んだ。地下への扉は重厚な鉄製であり、鍵が3重に備えられていた。1人がそっと手を伸ばし、上から順に鍵を解いていく。繊細な動きで鍵は音を立てることなく開かれていった。最後の鍵が静かに外れると、扉が軋むこともなく開き、石造りの階段が闇の中へと開けた。魔石灯でもなければ、光も届かぬ地下の空間。しかし、夜目に優れた2人にとっては、明瞭な世界だった。

 地下室の空気は湿り気を帯び、古い金属と紙の香りが微かに漂う。並ぶ古文書の棚をすり抜け、重厚な鉄の金庫の前に2人は辿り着いた。金庫にはダイヤル錠が施されており、その面には伯爵家の家紋が彫り込まれていた。

 仮面の男がダイヤルに手をかけ、指先で感覚を確かめながらゆっくりと回していく。やがて「カチリ」という音が響き、金庫の扉が静かに開かれた。

 金庫の中には多くの王国金貨。それと、歴史的価値すら持ち得る他国の王家から譲り受けた希少な金貨が収められていた。男が希少金貨を手に取った。

「ふむ。これは、また興味深い刻印だな。これは、コレクションに加えるとしよう」

 男が小さく呟くと、その傍らで身を屈めていた女が静かに応える。

「はい、旦那様」

 その声は冷静にして忠実。女は持参した鞄を開き、金貨を丁寧に鞄に詰め始めた。金貨はすべて鞄に納められ、金庫の中は最初から空であったかのように、冷たく虚ろな空間となった。

 男は金庫の内部に、懐から1枚のカードを取り出す。濃紺のカードで銀のインクで「月夜に跳ねるウサギ」の姿が描かれていた。男はそのカードを、金庫の中央にそっと置いた。男は金庫の扉を両手でそっと閉じ、鍵が再びかけられた。

 2人は闇の階段を上り、来た時と寸分違わぬ手順で廊下を進み、忍び入った来客室の窓へと戻り、外へ出た。月の光すら避けるようにして、庭の一角へ向い身を潜めた。見回りの兵の足音が遠ざかるのを確認したのち、優雅な身のこなしで石壁を乗り越えていく。

 再び馬車が待つ場所へと戻ったとき、誰ひとりとして彼らの存在に気づく者はいなかった。

 馬車の扉が音もなく開かれ2人の影を迎えると、御者の合図もなく、馬車は静かに動き出す。馬車は王都の石畳を踏みしめることなく、夜の帳に溶けていく。


 曇天の朝、重たく湿った空気が王都を包んでいた。朝方に降った小雨が石畳を濡らし、伯爵邸の庭先には薄靄うすもやが漂っていた。

 屋敷の奥、地下へと通じる階段には魔石灯が灯されていた。魔石灯を灯したのは、伯爵家に長く仕える忠実な執事であり、主の財産を管理する役目を担っていた。執事は、この日も金庫の帳簿確認のために早朝から地下へ降り、そして金庫を開けた。重々しい金庫の扉を開けたその瞬間、彼の足元から力が抜けた。

「!!!こ、これは・・・!」

 金庫の中に金貨の煌めきは無かった。代わりにあったのは、1枚のカード。濃紺の地に銀のインクで描かれた「月夜に跳ねるウサギ」

 執事は悪夢を見たかのように後ずさり、そのまま腰を抜かして床に尻もちをついた。震える手でカードを拾い上げ、額の汗を拭う余裕もなく、主の元へと地上への階段を駆け戻った。

「旦那様・・・大変でございます・・・金庫が!」

 報せを受けた伯爵は、金の指輪をめた手で書斎の机を殴りつけ、机の上の物を薙ぎ倒した。燃え上がる怒りが、肥え太った身体を揺らし、足を踏み鳴らす。

「怪盗バニーだと!あのウサギ風情が我が金庫を!我が財を!コレクションを盗んだと言うのかあっ!」

 伯爵の烈火のごとき怒声が館に響き、メイドたちは顔を伏せて身をすくめた。伯爵は尚も暴れ続け、壁の絵画を引き裂き、壺を叩き割った。伯爵の豪奢な部屋は破壊されていった。


 数時間後、執事から連絡を受けた、王国騎士団が伯爵邸へと駆けつけた。

 銀の鎧に身を包んだ騎士たちは、慎重に屋敷の内外を調べ、地下室にも足を踏み入れた。だが、侵入の痕跡は一切見つからなかった。屋敷の鍵は壊されておらず、金庫の鍵も、まるで合鍵を用いたような精密さで開けられていた。

 ただ、残されていたのは1枚のカードだけ。

「何だ!あの賊は?我が屋敷を何かの舞台と勘違いしているな!」

 騎士から報告を受けた伯爵は顔を赤らめ怒鳴り散らし、騎士たちを罵倒した。

「無能どもが!貴様らには多額の税金を使っているのだ!王に報告してくれようぞ!」

 騎士たちは眉をひそめながらも、その言葉に反論することなく、屋敷を後にした。

 伯爵の金貨の行方も、怪盗の正体も闇の中だった。

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