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013:公営カジノ

 王都の街並みに夜の帳が降りた頃。

 石畳の大通りを黒い馬車が走っていく。そして宮殿のように装飾された公営カジノ「ブルノワール」の正門を潜り静かに停車した。

 その様子を王国特務騎士団詰所の2階から副団長セレスは静かに見つめていた。青と白を基調とした騎士服を纏い、彼女の緑の瞳は冷静に来場者を見定めていた。

「・・・ルヴェニュー男爵か」

 2階から見下ろしながらセレスは呟いた。

「最近は、よく姿を見せるようになった。かつては数年も姿を見せなかったというのに・・・。領地経営に忙しかったと耳にはしたが、そもそも男爵は領地持ちだっただろうか?」

 彼女の内に疑問が漂う。

 そして馬車の扉が開かれ、護衛が降りる。黒い外套を纏い、鋭い眼差しで辺りを見回す。

 続いて、馬車からルヴェニュー男爵が降り立った。

 男爵は馬車の中を一瞥し、無言で馬車の中へ手を差し出す。そして、男爵の手を取ったのは、1人の女性。

 深紅のドレスを纏い、紅玉のような唇に白い肌。

 全身から妖艶な色気を滲ませる姿にセレスは眉をひそめた。

「・・・誰だ?」

 男爵に妻子があるとは聞いていた。だが、男爵がエスコートしているその女性には夫人らしさが感じられなかった。

 女性は男爵の腕を優雅に取り、2人はカジノの扉へと近づいて行く。

 扉を潜る前、ルヴェニュー男爵はふと足を止め、背後を振り返った。そして、騎士団詰所の2階、セレスが立つ窓へ、真っ直ぐに視線を投げた。

 一瞬に過ぎなかった視線だが、セレスの背筋に冷たい刃が触れたような戦慄が走った。それは獣に睨まれたときの寒気と同じだった。


 ルヴェニュー男爵はシルビアをエスコートする。後ろに護衛を従え、王国公営カジノの長い回廊を進んでいった。

 厚い絨毯が足音を吸い込み、天井と壁を飾る金装の額縁が、無数の魔石灯の柔らかな光に照らされ、夢幻の宮殿のような景観を描き出していた。

 やがて、2階の貴族専用の特別室と辿り着く。扉の前に居た黒服が何も言わずに一礼し、静かに扉を開けた。室内は魔石灯のシャンデリアの光が包み、まるで宝石箱を開けたような光が男爵たちを包み込んだ。

 ルヴェニュー男爵の姿に気づいた何人かが軽く会釈する。男爵は表情ひとつ変えぬまま、わずかに顎を引いて応じる。笑みもなく、言葉も交えず、男爵は賭けのテーブルの間を静かに巡っていく。

 やがて男爵は部屋の奥のテーブルへと辿り着く。テーブルには、髭をたくわえた白髪の1人の老貴族、バンクス子爵が座っていた。

 ルヴェニュー男爵はバンクス子爵の隣へと座る。

「おお、ルヴェニュー男爵。久しぶりですな」

 バンクス子爵は頬を緩ませ、口角を吊り上げる。

「先日もお会いした気がするがな・・・」

 ルヴェニュー男爵は静かに応じ、ワイングラスを手に取った。

「おっと、これは失敬。歳をとると記憶が曖昧あいまいで困るな・・・」

 バンクス子爵は惚けたように肩を竦めた。その様子にルヴェニュー男爵の口角が僅かにほころぶ。

 華やかな室内でワインがグラスの内で揺れ、香りが漂う。2人は葉巻に火を点け、王都の話題に華を咲かせる。


「ところで男爵、これはご存じかな?近々、王国聖教会の宝物庫に眠る秘宝が、ついに一般公開されるとの話が流れておりますぞ」

「ほう・・・それは興味深い話ですな」

 ルヴェニュー男爵は手にしていたワイングラスを揺らしながら呟いた。

「もちろん、一般の民は遠巻きに眺めるだけですがな。我々のような高貴な身であれば、間近で目にできるらしい。なにしろ王国の秘宝とも言われる品々ですからな」

「王国の秘宝・・・それはまた耳に残る響きだ」

「中でも、聖杯せいはい聖環せいかんと言われる主神セルヴァーナから授かったとされる至宝があるそうですぞ。どちらも、伝説に名を残すほどの力を宿していると噂されていますぞ。それに、古き時代の吸血鬼ドラクルアの名が記された禁書と、彼女が纏っていた装飾具、それに、封印の錫杖なる封印した神具があるそうですぞ」

 ルヴェニュー男爵の眼差しが一瞬だけ揺らいだ。だが、すぐに涼やかな微笑みに戻る。

「聖杯と聖環。世に溢れる話のひとつでしょうな。それに、吸血鬼の封印なども眉唾だと・・・」

「ええ、わたしも信じてはおりません。それでも、一目見てみたいとは思いませんか?聖杯には癒しの奇跡が、聖環には魂を見通す力が宿るとも。まあ、どこまでが真実かは、誰にも分かりませんがな」

「そうですな。真偽はさておき、見るだけならば、害はありますまい」

 ルヴェニュー男爵の口元がわずかに笑みを描いた。

 バンクス子爵は話を続ける。

「先日のオークションには怪盗が現れた。あの一件以来、王国や教会は宝物の警備に神経を尖らせていましてな。今回も盗まれては一大事ですから、警備は前回の倍らしいですぞ」

 バンクス子爵が葉巻を燻らせる。その紫煙はゆっくりと宙に昇り、やがて天井の光と混じり合って消えていった。

「・・・警備ですか。なるほど」

 ルヴェニュー男爵は静かにワイングラスを置き呟いた。そして、男爵の口元には僅かな笑みがあった。


 ルヴェニュー男爵がバンクス子爵と王都の話をしていた頃。

 場内の別の片隅、重厚なカーテンに囲まれた婦人専用のサロンでは、また異なる種類の駆け引きが行われていた。

 芳醇な香りのするワイン、香り立つ紅茶、絢爛な菓子がテーブルに並ぶ。

 魔石灯の柔らかい灯火のもと優雅に座るシルビア・ルヴェニュー男爵夫人。

 深紅のドレスを纏い、繊細な指先でケーキスタンドからチョコレートを取り口に含んだ。ルキの作るチョコレートとは違い、舌にザラりとした感覚が残り、シルビアは目を細め、ワインを口にした。

 その対面に座るのは、キャロライン・フレージュ子爵夫人。葡萄色のドレスを纏い、年齢を重ねてもなお若々しく、品格のある微笑を浮かべていた。

 彼女たちの話題は、男たちが話す秘宝などとは無縁の血筋と後継のことであった。つまりは子供の話。

「クレアも、もうすぐ成人ですのよ」

 キャロラインは陶器のように白い手を口元に添えて軽やかに笑った。

「そろそろ、良いご縁があっても良い頃かと。どなたか、品性と器量を備えた未来ある殿方をご存知ではなくて?」

 キャロラインの声には、冗談めいた軽さがあった。

 シルビアはワイングラスを傾け、芳醇なワインに目を細め、そして、穏やかに話し出した。

「我が家のアーリンは、まだまだ子供ですけれど・・・お転婆が過ぎまして。乗馬や狩猟に夢中で従者たちすら手を焼いておりますのよ」

「まぁ・・・」

 キャロラインは目を細めた。

「それはまた、たくましいお嬢様でいらっしゃる。クレアはどちらかというと内気で、音楽、刺繍が日課でしてね。正反対でございますわね」

 そう言いつつも、キャロラインの心にふと浮かぶのは、正反対ゆえの相性の妙という発想であった。

 シルビアの娘アーリン。王国でも由緒ある血を引く少女。

 キャロラインの娘クレア。今は親の庇護のもとにあるが、やがて社交界に咲く花となるであろう娘。

 貴族の会話とは、ただの世間話ではない。一つひとつの言葉に、意味があり、未来への伏線がある。カジノのサロンという社交場で交わされた話でさえも家同士を結ぶ。


 王都の華やぎの灯りはとうに消え、街は夜の帳に包まれていた。

 王国公営カジノも喧騒と欲望が渦巻いた時が過ぎ、ようやく終焉の時を迎えた。最後まで残っていた貴族たちが、気だるげに出口へと向かっていった。幾台かの馬車が出口に現れ、扉を開けて主の帰りを待っている。

 ルヴェニュー男爵は黒のコートに身を包み、深紅のドレスを纏ったシルビアをエスコートして馬車のステップを踏ませる。

 特務騎士団詰所の2階。窓越しにその様子を見つめる副団長セレス。彼女の瞳は男爵を追い続けていた。

「・・・今日は、何事もなかった」

 彼女は、微かに呟き、小さく息を吐いた。

 ルヴェニュー男爵がカジノを訪れる夜は、興奮し過ぎた者が刃傷沙汰を起こし、あるいは不正の痕跡が残ることもあった。男爵の周囲では、いつも異様な熱気が立ち込めるのだった。

 黒い馬車は、静かにカジノを離れていった。その影が門を出て闇に溶けていくまで、セレスは見つめていた。

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