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011:再会

 辺境の館を出た黒い馬車は、幾つもの村や街を巡り、雨に打たれ、砂埃にまみれ、走り続けた。旅路は1カ月にも及び、ようやく王都の北に広がる深い森の館へとたどり着いた。

 馬車が森の影を縫い、館への小径を進むと、黒鉄の門が、彼女の帰りを迎え入れるかのように静かに開いた。深紅のバラが咲き乱れる庭を、馬車は静かに抜け、重厚な石造りの館の前に停車した。

 館の扉が開かれ、姿を現したのは、銀髪を撫でつけ、黒の燕尾服を纏った執事シーサ。

 シーサは馬車の扉に歩み寄り、扉を開け、恭しく一礼し、静かな声で言葉を紡いだ。

「奥様。お久しゅうございます」

 馬車の中から、艶やかな深紅のドレスに身を包んだシルビアが、優雅に降り立つ。その姿は、深紅のバラのように鮮烈で、あたりを漂う森の冷気さえ、彼女を避けるかのようであった。

「シーサ。お変わりなくて?」

 微笑みながら応えるシルビアの声は、まるで久遠くおんの時を漂う音のように、静かに館の庭へと響いた。

 そして、シルビアは顔を上げ、館の前へと視線を移す。そこに佇んでいたのは、黒のマントを羽織ったルヴェニュー男爵であった。彼の背後には、メイドが2人、沈黙の中に立っていた。

 男爵は、薄く微笑みながら前に進み出た。

「シルビア。久しぶりだな」

 低く落ち着いたその声に、シルビアもまた優雅に微笑み返した。

「えぇ。バニー」

 シルビアは夫のルベニュー男爵を愛称のバニーと呼ぶ。2人の深い絆が感じられる。


 館の扉をくぐり、シルビアは館の静寂の中へと足を踏み入れ、館の自室へと入った。

 旅装の深紅のドレスは、メイドのローザとミレーヌの手によって、手際よく脱がされ柔らかな絹が床にすべり落ちる音だけが、広い部屋に微かに響いた。そしてシルビアの白磁のような肌を包んだのは、より鮮やかな、深紅のドレスだった。胸元にあしらわれた薔薇の刺繍が、夜の貴婦人にふさわしい妖しさを添えていた。

 着替えを終えたシルビアは、館の奥にある応接室へと向う。壁には絵画と燭台が並び、深紅の絨毯が足音を呑み込んでいった。

 応接室では、かすかな香が漂う空間の中心で重厚な椅子にもたれ、ルヴェニュー男爵が静かに葉巻をくゆらせていた。紫煙は天井へとゆっくりと昇り、広い室内に夢幻のもやを作り出していた。

「バニー。お変わりなくて?」

 シルビアは柔らかな微笑を浮かべ、ルヴェニュー男爵に声をかける。その声は甘やかでありながらも、労りの気配を孕んでいた。

 男爵は灰皿に葉巻の灰を落としながら短く応えた。

「ふむ。特に変わりはないな。・・・そうだ、お前のために、この館に風呂を作った。あとで入るといい」

「あら、嬉しいわ」

 シルビアの琥珀色の瞳が、艶やかに光を宿す。シルビアは男爵に近づきながら、甘く誘うように言葉を紡ぐ。

「あなたも、一緒に入りましょうよ」

 誘う声は、まるで夜露に濡れた薔薇の花弁のように甘美であった。男爵はそんなシルビアに微笑を返し、静かに葉巻を燻らせた。


 絨毯が敷かれた廊下を6つの影がゆっくりと進んでいった。黒と深紅に彩られた一団を導くのは、ルヴェニュー男爵。その隣を、白磁の肌を持つシルビアが、優雅な足取りで寄り添う。それぞれに従うメイドたち、ハンナとニーナ、ローザとミレーヌは、慎ましく主たちの後ろに控えていた。

 廊下の先の扉を開くと、微かに湯気が漏れ出した。そこは、大理石と銀細工で飾られた浴室で、神殿のような荘厳さを湛えた空間だった。

 メイドたちは、何の言葉もなく、慣れた手つきで男爵とシルビアの衣を脱がせる。絹の衣擦れと、宝飾の留め金が外れる微かな音が室内に響いた。白い肌と逞しい体が、徐々に輪郭を現していく。

 2人は黒い風呂椅子に腰掛け、メイドたちの手によって丹念にその身を清められた。掌が泡立つ石鹸と共に肩から指先へと優しく滑り、時に水音をたてながら、メイドの奉仕の手が動いていく。シルビアの長い黒髪に、湯が注がれるたび、周囲には甘美な気配が満ちていた。やがて、洗い清められた2人は、広い湯舟へと身を沈める。

 湯船は、熱を湛え、柔らかく身体を包み込んだ。

「ふむ。良い湯だ」

 男爵は目を細め、低く満足げに呟いた。湯気の向こう、シルビアが微笑み囁く。

「バニー。ありがとう。とても素敵なお風呂だわ」

 そう言いながら、シルビアは湯の中で男爵へと手を伸ばした。湯に揺れる手が、男爵の下腹部にそっと、大きくなったモノに触れる。

「あら、バニー?これは?どうされたのかしら?」

 その声は甘く、艶やかに濡れていた。男爵は片眉をあげ、静かに笑む。

「おまえの変わらぬ美貌を目にしたからな・・・」

 その言葉に、シルビアの頬がほのかに朱色に染まる。微笑みながら目を伏せたシルビアは、一輪の華のようだった。

「あら・・・やだわ。フフフ」

 2人は言葉少なに湯に身を委ね、互いの存在を確かめるかのように寄り添っていた。

 暫くすると、シルビアは静かに立ち上がり、男爵の手を取った。濡れた肌が光を受け艶めき、シルビアは男爵を浴室奥に据え付けられたマッサージ用のベッドへと導いていく。そして男爵はシルビアに促されるまま、ベッドへ横たわった。

 シルビアの白磁の指先が、そっと男爵の頬を撫で、柔らかな唇が男爵の唇へと重ねられ、甘やかな空気が浴室を満たした。シルビアは滑らかな動作で男爵の上に跨り、その細くしなやかな体を彼に預ける。静かに、激しく、確かな情熱をもって、2人の間に甘美な交わりが始まった。

「アァ・・・」

 シルビアの喉から吐息が零れ、浴室の壁に木霊こだまする。その声は秘めた祈りのように、儚く、甘美に広がった。

 浴室の隅に控えていたメイドたちの頬は朱に染まり、舌で唇を湿らせながら、目を細て、その光景を見つめていた。


 湯上りの2人は、香油の香りを宿し、黒と深紅の服を纏い、食堂へと歩を進めた。

 食堂は高い天井にシャンデリアが煌めき、壁には古の戦場を描いたタペストリーが掛けられていた。大きなテーブルには、銀の食器が並べられ、メイドたちが待機していた。

 男爵とシルビアが椅子に腰を下ろすと、ハンナとローザがグラスにワインを注いだ。ルビーのような深い赤がワイングラスを満たし、豊潤な香りが食堂に漂った。

 シルビアはそっとワイングラスを傾け、ワインを一口、含んだ。

「あら?これは、美味しいわ」

 シルビアは、琥珀色の瞳を細め、感嘆の吐息を漏らす。

「先日、献上されたものだ。贈った者は取るに足らぬ小物だったが、ワインは上等でな・・・」

 男爵は、高利貸しワイルドを思い出したように肩をすくめた。

 やがて、鉄皿の上に盛られたステーキが運ばれてきた。芳ばしい香りが立ちのぼりる。シルビアの皿には、表面を軽く炙っただけのレアステーキが載り、男爵の皿には、血の気をわずかに残したミディアムレアのステーキが載っていた。

 シルビアはナイフを滑らせ、滴る肉汁に目を細めた。

「私の好みを、ちゃんと覚えていてくださったのね。とても美味しいわ」

 言葉と共に微笑むその顔には、柔らかな光が浮かんでいた。


 豪華な晩餐が終了し、食堂にはワインと葉巻の芳香が漂っていた。シルビアはワイングラスをそっとテーブルに置き、男爵の指へと視線を落とした。男爵の指には、細工の細やかな銀の指輪が静かに光っていた。

「あら?バニー。その指輪は?」

 シルビアは首を微かに傾げ、懐かしむように微笑んだ。

「ずっと昔に見たことがあるような気がするわ」

 男爵は葉巻を燻らせながら、指輪を指先で弄びながら応えた。

「ふむ。先日、都で開かれたオークションに出ておってな。人の手には余る代物。故に我が手に収めた。お前のためにも、いくつか良いものを手に入れておいた。コレクション室に並べてある。好きに選ぶとよい」

 シルビアは静かに笑みを深め、男爵を見つめた。

「ありがとう。バニー」

 永い時を隔て、再び巡り逢った2人の距離は静かに溶けていく。

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