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001:森の館

 エルヴァン王国の王都アルメリアの北、霧の立ち込める森を奥へ奥へと進んだ先に、館はひっそりと姿を現す。

 時を重ねた灰色の石造りの壁は、今なお頑強にそびえ、地を這うように伸びる蔦と、刻まれた古い文様が風雨の歴史を物語っていた。尖塔を模した屋根の輪郭は森の木々と競うように高く、空の灰色と溶け合っている。

 黒鉄の門には複雑な装飾が施されており、誰の目にも明らかに異国の様式を感じさせる。油が差されているのか、軋むことなく開くその門の先には、踏みならされた石畳と枯れ葉を撒く冷たい風が続いていた。

 館の窓はすべて厚手のカーテンに覆われ、外から中をうかがうことはできない。だが、夜になるとその奥に蝋燭の灯が揺れ、誰かが確かに「そこにいる」ことを暗示する。

 玄関扉は重厚な黒檀の一枚板で作られ、中央には見慣れぬ紋章が浮き彫りにされている。それは王都のどの家とも異なる、忘れ去られた古い家系の証だという。

 訪れる者は少ないが、館の主は常に館のどこかにいる。召使いも客人も姿を見せることはほとんどないが、紅茶の香りや暖炉の薪の煙だけが、かすかに人の気配を残していた。

 この森の館は、ただ古びているだけではない。まるで、永い時を生きたまま、今なお何かを待ち続けているような静かな緊張感を漂わせていた。


 夕闇が王都アルメリアの城壁を染め始めたころ、館にかすかな気配の揺らぎが生まれた。館は森の静寂とともに長い昼を眠り、そしてまた、主の目覚めとともに夜を迎える。

 重厚な扉が、軋み一つ立てずに静かに開く。入ってきたのは、黒の燕尾服に身を包んだ1人の執事。銀髪をなでつけ、眼鏡の奥の瞳に一分の曇りもないその男は、館とともに長きにわたり主に仕えてきた執事、シーサであった。

「旦那様。お目覚めの時刻でございます。本日は、いかがお過ごしに?」

 静けさを保ったまま、彼の声だけが柔らかく寝室に満ちた。

「ふむ。おはよう、シーサ」

 寝台の天蓋がわずかに揺れ、その下から現れたのは館の主、バニル・ルヴェニュー男爵。

 黒のナイトローブに身を包み、口元には整えられた口髭、瞳は赤みを帯びた琥珀。30代の貴族然としたその姿からは、とても300年を超える歳月を生きてきたとは思えぬ気品と若々しさが漂っていた。

 彼は、今や血を欲せぬ吸血鬼の末裔。人の血よりもカカオの濃い苦味と葉巻の芳香、そして熟成されたワインに心を傾ける吸血鬼だった。

 そして、彼は永い眠りから先日、目覚め、現代の王都を毎日、散策していた。

「今日は、そうじゃな・・・。久々に、カジノの空気でも味わいたくなった」

「畏まりました。お出掛けの支度を整えさせていただきます」

 シーサが一礼し滑るように退出するのとすれ違いに廊下から足音がふたつ。

 現れたのは、双子のメイド、ハンナとニーナ。蛇の血を引く獣人の娘たちは、冷えた空気すらまとわりつくような艶やかな気配をまとっていた。

 1人は銀のワゴンに湯気を立てるタライを載せ、もう一人は夜会服を丁寧に両手で抱えていた。

「「旦那様。おはようございます」」

 その声に、バニルは微笑を浮かべ、再び応じる。

「ふむ。おはよう、ハンナ、ニーナ。」

 館の奥では、壁にかかる振り子時計が一つ、静かに鐘を鳴らす。窓の外、漆黒の森には風が鳴き、暮れなずむ空には、ひときわ大きな月が顔を出していた。


 重く磨かれた双扉が静かに開かれ、ルヴェニュー男爵は館の中から姿を現した。深紅と黒の織り成す夜会服に、艶のある髪と口ひげ。悠久を生きてきた者にしか纏えぬ重厚な気配があった。

 館の前庭には、濃い深紅のバラが咲き乱れ、冷たい空気の中でも色褪せることなく、整然と並んでいた。咲き乱れるその様は、まるで館そのものの気高さと気品を映し取ったかのようだった。そして、刈り込まれた生垣、磨き抜かれた石畳が館の「美」を物語っていた。

 玄関前には、黒塗りの2頭立ての馬車が静かに待機していた。その車体には、館と同じ紋章、古い家系の印が、誇らしげに刻まれている。御者台には古い型式の銀の魔石灯が吊るされ、微かに揺れる明かりが夜気を照らしていた。

 馬車の扉がシーサの手によって開かれる。中には深紅の絨毯と黒檀の細工が施された座席が並び、壁には金の縁どりが静かに光っていた。ルヴェニュー男爵はその中央の椅子へと、まるで劇の幕が下りるような優雅な動作で腰を下ろす。

「準備は整っております、旦那様。」

 シーサがそう告げると同時に、扉が丁重に閉じられた。

 馬車の中には、彼とともにもう1人の影が座っている。トカゲの血を引く獣人の女性、護衛のシルク。無言のまま、鋭い視線を窓の外へと向けていた。その姿は、鞘に収めた刃のように静かでありながら、動けば迷いなく血を流す者の気配をはらんでいた。武術と変装、擬態を得意とする彼女は、単なる護衛にとどまらない。

 御者台に上がった従者が軽く手綱を打つと、漆黒の馬たちは蹄を鳴らして動き出す。重厚な門がゆっくりと開かれ、馬車は深紅の薔薇に見送られながら、静かに闇の森に入っていった。

 行き先は夜ごと欲望と欺瞞ぎまんが交錯する、王国公営カジノ「ブルノワール」。


 森を抜け王都の石畳の大通りへと馬車が滑り込む頃、空は既に夕闇から群青へと移ろいはじめていた。宵の帳が静かに降りる王都では、魔石灯が青白く瞬き、屋根越しに低く浮かぶ月が、王都の静寂に銀の光を投げかけていた。

 その静けさとは裏腹に、大通りは人の熱気で賑わっていた。灯火に照らされた露店からは香ばしい焼き菓子の匂いが漂い、家路を急ぐ者、密かな目的を胸に彷徨さまよう者たちが、石畳を忙しなく踏み鳴らしていた。

 そんな人波の中を黒い馬車は音もなく進んでいく。その歩みは、王都の喧騒けんそうから切り離された異端の存在のように、静謐せいひつ威厳いげんに満ちていた。

 やがて馬車は、王都の南端にそびえ立つ王国公営カジノ「ブルノワール」の前に辿り着く。

 巨大な石塀に囲まれたその建造物は、夜でも煌々と輝く魔石灯に照らされ、まるで夜の宮殿のように輝いていた。古代建築を模した荘厳な柱とアーチ、窓辺に散らされたガラス装飾は、光と影を生み出し、来訪者に非日常を告げていた。

 カジノの正門には王国特務騎士団の詰所が併設され、鎧に身を包んだ衛士たちが無言のまま見張りに立っていた。彼らの視線は鋭く、誰であろうと素性を疑う目を緩めない。

 馬車に刻まれた家紋が衛士の視界に入るや否や、その警戒はすぐに敬意へと変わった。厚い鉄門が静かに開かれる。馬車は音もなくカジノの奥にある貴族階級のための馬車停留所へと向かって行った。

 馬車の扉が開く。手を掛けたのは執事シーサ。寡黙な彼は言葉の代わりに所作で忠義を語る。先に降り立ったのは護衛シルク。冷たい瞳で周囲の気配を読み取り、黒衣の服の奥には幾本もの刃が潜んでいた。彼女の動きは静かで、獣のように敏捷で、何よりも正確だった。

「異常はありません」

 その言葉を受け、ようやく男爵が馬車より降り立つ。

 その姿を見たカジノの副支配人が、慌てて駆け寄る。名はダニエル・ガイエ。年の割に膨らんだ腹を揺らしながら、無数の金糸で飾られたベストを着込み、頭を下げる仕草には多少の芝居じみた滑稽こっけいさがあった。

「ルヴェニュー男爵様。お久しゅうございます。ようこそ、お越しくださいました」

「ふむ。今宵も世話になるぞ」

 男爵の声は低く、しかし確かに空気を支配する力があった。

「ハッ。畏まりました」

 言葉と共に、カジノの重厚な扉が開かれる。光が溢れ出すその先は、欲望が渦巻いている。副支配人を先頭に男爵とシルクの影が、虚飾の世界へと吸い込まれていった。

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