表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/9

五章 彼女はもういない




「行くぞっ! お~っ!」




 英人は一人意気込むと、決心して道を進んだ。



この曲がり角を曲がれば、萩山女子高等学校がある。

今日は理子に再び依頼のことについて話を聞くことになっているのだが、待ち合わせの時間が過ぎてもなかなか理子がやってこないので、英人は自ら理子の通う高校へと向かったのだった。




隣町とはいえ、女子高で健全な高校男子が人待ちをするにはかなりの勇気を要する。

「女の子と話すのはいーんだけど、やっぱ女子高にいるのは恥ずかしい……」



英人は女子高の門に背中を預けて、深くため息をついた。




「あのー、お兄さん何やってるんですかぁ?」




 ふと気づくと、甘えたような声が隣から聞こえてきた。

そうか、もう下校の時間になったのか。



英人の隣には萩山高校の制服を着た少女が数人群がっていた。

「あ、いや、怪しいものじゃないっす。えーと、一年の敷田理子って子を探してるんだけどー……」



こんなところで不審者と思われて警察にやっかいになるのは御免だと、英人は必死に取り繕った。



「なんだ、彼女持ちかぁ。敷田理子だったら同じクラスなんでぇ、そのうち来ると思いますよ」



そう言って女子生徒たちは親しげに英人に話しかけてきた。



「その制服、どこ高ですか? 何年生? 名前は?」

何人かが口々に言うので、英人は自分が客寄せパンダになったかの気分だったのだが、ふと、ここで情報収集をすることを思いついた。



「俺、隣町の高校だから、知らないのかもね」



英人はにこっと笑ってから、最初に話しかけてきた少女の方を向いた。

髪をくるくる巻いていて、ちょっと舌ったらずな、いかにも女の子らしい子だった。




「俺、藤巻英人。よろしくね。んでさ、ちょっと聞きたい事があるんだけど、いい?」




少女が目を輝かせて頷くので、英人は続けた。



「杉野雪って女の子、この学校にいる?」

「知ってる知ってる。同じクラスだもん」



そのあとに続けて他の少女達が次々と口を開く。



「ユキ、いい子だよね。空気読めるし、可愛いし」

「そうそう、人が嫌がること絶対言わないし」



――そうか、杉野雪ってそういう子だったのか。

英人は『杉野雪』の事は名前と、そして敷田理子から聞いた情報からしか知らなかった。



「ユキちゃんって、学校来てる? もしかしてちょっと学校休みがちとか」

「えー? 全然、それはないよ。皆勤賞。超元気だもん。あー、でも……」

「何?」



少女達は何度か顔を見合わせた後、少し音量を落とした声で続けた。



「ずーっと理子と一緒にいたのに、最近ずっと仲悪いみたい」

「そうそう、ユキって愛想いいから友達多いけど、理子と一緒にいること多かったよね」

「親友って感じ。でも、今日も全然喋ってなかったよね」





『友達を探してほしいんです』




 理子が言った言葉を思い出す。

彼女は『杉野雪』を探して欲しいと言った。



しかし、その杉野雪は学校に通っているし、敷田理子に会っている。




なら理子は誰を探して欲しいんだろう。

まさか理子は嘘をついている?

自分達をからかっているんだろうか。




からかっている……とまではいかないが、この間粋が言っていた「ほんとうのこと」という言葉が心のどこかに引っかかっていた。




 そのうち敷田理子が学校から出てくるのが見え、英人の取り巻きもそれに気づいて去っていった。




「じゃあ、また来てねー」

ハートマークでも飛ばしそうな勢いで手を振りながら、彼女達はそれぞれの家へと帰っていった。








          ○   ○   ○







 『もうひとりの私』―――いや、『ユキ』が、私におかしなことを言い出した。



理子からもらった『しるし』を、私につけろと言うのだ。



こんなのをつけたら、わたしたちを見分けられてしまうではないか。

しかし、ユキは無邪気に笑う。

「大事にしまってるだけじゃ、もったいないよ」と。



そうして私の前髪をピンで留めた。




「すごく似合ってる」




そう笑うユキの心が、分からない。



知られてはいけない、見分けられてはいけない。



そう信じてユキを演じ続けた私は、どうしたらいい?



私の居場所は、もうない。






この『しるし』と共に、死ぬしかない。







          ○   ○   ○






「すみません、学校の当番が長引いて……」



 理子は英人を見るなり、開口一番に謝罪した。



「ぜーんぜんオッケー。それより、今日はあったかいから外で話そうよ」

英人がこの女子高に来る前にちらりと見かけた公園に理子を誘い、二人は温かい日差しの中、人がいない公園に足を踏み入れた。





「私、実はまだ大切な事を言ってないんです」





 突然の理子の言葉に、英人は目を丸くした。

「大切なこと?」



ブランコに乗りながら英人が尋ねると、理子は隣のブランコに腰を下ろし、頷いた。



「私が探して欲しいのは、『スギノ セツ』なんです」

「セツ? ユキじゃなくて?」

「本当の名前は『スギノ ユキ』です。『杉野 雪』というのは『スギノ ユキ』と『スギノ セツ』で共有していた名前です」



英人は考えをめぐらせながらブランコを力いっぱい漕いだ。

さすがに高校生の力となると、ブランコはこれでもかというくらい高く上がった。



「でもさ、どうして理子ちゃんはそのこと知ってるの? 他の子はそんなこと言ってなかったけど」

「雪……いえ、セツが、教えてくれたんです」






――ある日の放課後でした。



その日ユキは体調不良で欠席していたはずだったんです。



でも、彼女は誰もいない夕暮れ時の教室に一人立っていました。

その日私が教室へ戻ったのは単なる偶然で、そこで欠席していたはずの雪に出会ったのも、偶然でした。




「ユキ、今日欠席じゃなかったっけ?」

後ろ姿にそう話しかけても、雪は振り返りませんでした。




「ユキ……だよね?」

もう一度言うと、彼女はやっと振り返りました。でも、その時の彼女は私が見たことが無いほど無表情でした。




「敷田理子……?」




疑問をもつように眉間にシワを寄せた雪は、私の方に少し歩み寄りました。

「今更どうしたの? 私は私でしょ」



冗談を言われたと思って、私は笑い返しました。



「それよりさ、風邪治ったの? 治ったら今度いつものケーキ屋さん行こうよ、今はモンブランが出てるよ、それでねユキ……」




「悪いが私はユキではない」

突然何を言い出したのかと思いました。髪の長さ、顔のパーツ、全てが杉野雪そのものです。

「私はセツだ」

「え、えーっと……」

私は理解に苦しみました。雪はセツとも読むけれど、杉野雪は杉野ユキという読み方でしたから。




「私はあなたに何度も会っている。あなたは私をユキだと思っていたけれど」





 夕日が教室を橙色に染めていました。

今、目の前にいる雪は、いつものような人懐っこい笑顔を向けてはくれません。



まるで別人のようでした。



「本当の私の名前はスギノユキ。でもややこしいからあっちがユキで私はセツということに二人で決めたんだ」

「う……うん、何となく分かった。じゃあ、ユキは何処にいるの?」

「寝てる。風邪を引いたのは本当だから」



そう言ってからセツは俯きました。



「ごめん、ユキと私は入れ替わりで学校に通っていたから、理子のこと、ずっと騙してた」

口調は固いけれど、心から申し訳なさそうな表情をしているこのセツという人は、普通の高校生でした。



 それから私たちは、秘密を共有した事により、前より一層仲良くなりました。

ユキとセツのことを話したり、セツとユキの話をしたり。

毎日が今までよりずっと楽しくなりました。

ユキとご飯を食べに行ったり、セツと本を買いに行ったり。



でもセツは私と二人きりのとき以外は絶対に笑顔を崩しませんでした。




それは、『ユキ』の笑顔でした。




 ユキとセツは、本来の口調はまったく違います。だから彼女らを見分けるのは一見簡単そうに思えました。



でも、私ですらまったくユキとセツを見分ける事は出来ませんでした。



セツは作られた純真な笑顔を私に向け、ユキを演じていたんです。






杉野雪が『二人』であると唯一知っていた私の前ですら、彼女達は「杉野雪」を演じ続けました。







「じゃあ、君の探して欲しいっていう友達って……」



「杉野セツです。彼女は私の憧れでもあり、大切なもうひとりの親友でもありました」

 理子は公園のブランコを漕ぎ始めた。英人はさっきまで全力で漕いでいたので、今は小さく漕いで小休止しているところだった。



「何故か私達は話も合い、『ユキ』が学校に来る日でも放課後にセツと会っておしゃべりをしたりもしました。でも――」

「でも?」

「ある日を境に、セツは姿を消しました。毎日交互に学校に来ていたはずなのに、段々『ユキ』の日が増えて、いつの間にかユキしか来なくなったんです」



暗い表情でブランコを小さく漕ぎ続ける理子の話を聞いた後、英人が小さな疑問を口にした。

「……ちょっと質問があるんだけど、どうしてきみは『セツ』が来なくなったって分かったんだ? だって、彼女達の見分けは誰にもつかなかったんだろ?」

 英人が言うと、理子は漕ぎ始めていたブランコを両足で留めた。

砂埃が軽く舞い、それが静まった頃に少し微笑んで答えた。



「『しるし』をくれたんです、彼女達が。私にだけ分かる『しるし』です。だから私には、ああ、今日はユキだ。今日はセツだ。って分かっていたんです」

「その『しるし』って……?」

理子は人差し指でちょい、と自分の前髪を留めているピンを指差してみせた。



「髪留めです。セツだけ、私のあげたピンをつけていたんです」






 理子と別れ、英人は地理の良く分からない道を歩いていた。

方向だけは理解しているので、なんとなく歩けば着くだろうとふんでいたのだ。




『わたしのこと、頭おかしいって思いました?』




薄く微笑んで自嘲する理子のことを思い出す。

彼女は彼女なりに、こんなことを言っても誰も信じてくれない、と悩んでいたのだろう。



杉野雪が、ユキとセツの二人だったなんて。





 適当に歩いていると、見知った道についた。

なぜ見たことがあるのかと考えていると、要と行った、杉野雪の家への道のりだったことを思い出した。





「それ以上踏み込まないでもらえますか」




突然後ろから声を掛けられ、どきりとした。



すぐに後ろを振り向くと、そこには杉野雪が立っていた。



英人は粋が持っていた資料を見て、杉野雪の顔は知っていたのだ。しかし、彼女は自分のことを知らないはずだ。

驚いてまわりを見渡すが、ひと気の無い住宅街の路地なので、他に誰もいない。

「私のこと、調べてますよね?」



杉野雪はにっこりと笑った。



「理子に何か頼まれてるのは分かってますよ」

あくまでも明るい口調だった。しかし、その言葉には強い意志が込められているのが分かった。




「聞いてますよね? 私の……いえ、私たちのこと」



英人が黙っていると、雪は言葉を続けた。


「理子はセツを探してと言ったかもしれないけど、無駄ですよ」



表情は穏やかなのに、その言葉のひとつひとつが刺さってくる。



「……どうして?」

英人が短く尋ねると、ユキは前髪を右手で払った。




「セツは、もう死んじゃいました」




雪の言葉に、英人はその場で固まってしまった。



雪がゆっくりと歩き出し、立ち尽くす英人の横を通り抜けていく。

「いなくなったものには会えないです。理子は死者を追い求めているんですよ」




杉野雪はその言葉を残し、どこかへ消えていった。






いつの間にか空は曇りだし、灰色の重い雲から綿のような雪がちらちらと降ってきていた。







評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ