キクチ物語
✻コロンさま主宰『菊池祭り』の参加作品です。
数多のキクチが寵を競い、犇めく中でも、いずれの時代にも特別に愛でられるキクチはおりますもので……。
日出る国の最高位の貴人に見初められたキクチは、親の官位は低いものの、そんな幸運なキクチの一人だった。
「どうしてあんな冴えないキクチが選ばれるのですか?! 納得がいきませんわ!」
「そのとおりです! 選ばれるのはこの私! このキクチのはずです!」
「皆さま、何を仰っているのですか? 私、このキクチこそがふさわしいに決まっているではありませんか!」
ここは貴人の後宮。
寵愛を競い合うキクチたちは鬼畜のごとくに、あのキクチをどうにかしてその地位から引きずり落とそうか、どう嫌がらせをしてやろうか、と手ぐすねを引いていた。
貴人の寵愛を一身に受けた、冴えないと揶揄されるほどに大人しい気質のキクチの心中は穏やかではない。後宮の不穏な空気は日に日に悪意をもって膨れ上がっていくのを、これでもかというほどに肌で感じていた。
貴人の寵愛を受けることは大変に栄誉なこととされた時代。その一族が賜る恩恵も莫大なものになる。
寵愛を受けられなかったキクチたちの嫉妬心と憎悪に、キクチは穏やかならざる不安な日々を過ごしていた。
そんなある日に、とうとう張り詰めていた均衡を破る不気味な事件が起きてしまった。
澱んでいる沼から引き上げられたような大量の朽木が、寵愛を受けるキクチの部屋の前に投げ捨てられていた。
黒く変色し、腐り、異臭を放つ朽木。
どのキクチの、誰の仕業かは分からない。しかし、ここに確かに捨てられた朽木がある事実。
これは警告なのだろうか。次は……キクチがそうなるだろうという……。
自身に何をされるか分からない恐ろしさに震え上がった。
キクチは己の身を守るために、陰陽師に調伏を願い出ることを決める。
「おそらくはキクチの中にその者がおりまする。どうか……どうか……私をお助けくださいまし……」
陰陽師は言った。
「しかし、皆が皆キクチでは……どのキクチなのか、私には区別がつきませぬ」
「……皆、キクチでごさいますが、あのキクチはキを強く発音をするのでございます。そして、このキクチはクを、そのキクチはチを、それからキク↘️チと音を下げる者や、逆にキク↗️チと上げる者。キ↘️クチやキ↗️クチ、またはキクチ↘️やキクチ↗️。キクッチのように音を詰めたり、詰める場所もキとクの間だったり、チの後ろだったり。ほかにもキィクチのように音の間に小さきィが入ったり、またィが入る場所もさまざまで、ときには小さきュが入ることなどもございまして……」
「もし、もし。暫し待たれよ」
陰陽師は困惑顔で話を遮る。
「も少し解りやすくお願いしたい……」
「ですから……解りやすくご説明をして差し上げているところでございますが……?」
「……それで?」
「はい」
陰陽師は頭を抱えた。
貴族社会のキクチにかんしては、ややこしくて厄介だから気をつけろと上役に言われていたのは、こういうことだったのかと身を持って知る。
「して、まだキクチの種類は続きますかな?」
「はい。まだざっと50種類以上はあるかと……」
「……」
さらに頭を抱えた陰陽師は、ひとつの提案をする。筆に墨を付けて、なにやらさらさらと紙に記していく。
「如何でございますかな。これならば先程の説明よりは少しは解りやすくなったのではないかと……」
書き上がったそれを目の前のキクチに見せる。しばらくはそれを思案するようにじっくりと眺めていたキクチ。ゆっくりと肯くと、にっこりと微笑んだ。
それがこの世に「菊池」「菊地」「木口」「木久知」「喜久池」「紀久地」「希久千」「利口」「鬼久知」などなどのキクチが誕生した理由であるとか、理由でないとか……。
いずれも昔、むかーしのお話にございます。