怖がり少女と遊ぶモノ(前編)
『こたろー。こたろー。かわいーね。よちよち』
幼い手で、黒い体を、優しく撫でる。
ちらりと見えた細い手首には、小さい火傷があった。
『こたろー。こたろー。だーいすき。こたろー』
幼い手は、毎日、毎日、飽きもせずに、黒い体を優しく撫でる。
ちらりと見える手首はどんどん細くなり、小さい火傷は会う度に増えていった。
『こたろー。こたろー』
幼い手はそれでも黒い体を優しく撫でてくれた。
灯は家のリビングにいた。炬燵に入りこみ、惰眠を貪っているのだ。至福の時である。それはそれは幸せそうに寝ていた。
“もしもし かめよ かめさんよー”
そんな灯の横にあるスマホが振動して鳴り響く。女子高生のとは思えない着信音のチョイスである。灯はそれを子守唄にして起きずに寝続ける。
音が一旦止まるが、再度、けたたましく鳴り始めた。ようやく、灯は薄く目を開ける。寝ぼけた様子で、スマホを手に取る。灯の友人からの着信だった。
「はいはいー」灯が電話に出る。
『バカリ、いま何してんの?』
「うんー?寝てたー」
『暇なんでしょ?』
「いや、暇じゃない。寝続けるよ」
『暇なんじゃん。今から遊ぼうよ』
「だからうたた寝するから暇じゃないんだって」
『…はぁ。じゃあ、今日はいいよ。またねバカ』
プー プー プーと、電話が切れた。罵られた気がするけど、まあいいや。灯はそう思った。自慢じゃないが、灯はO型なのだ。「まぁいいや」は灯のよく言う言葉であり、O型の常套句とも言える。なかなかダメな人間のような気がするが、しょうがないO型なのだから。
灯は眠かった。目を閉じて、その状態でスマホを炬燵の上に置こうとした。スマホを炬燵の上におき、手を引っ込めようとした時だった。
冷たい、しかし、人の手のようなモノが、灯の手首を強く掴んだ。
灯は、ヒッと息を吸いこんだ。そして、心臓をばくばくさせながら、目をゆっくり開けた。“嗤う男”が、寝転ぶ灯を上から覗き込んでいた。
「ぎゃあああああああ!」
灯は叫ぶ。
「ぎゃあああああああ!」
絶え間無く叫び続ける。
「ぎゃあああああああ!」
とにかく叫び続けた。兄がバタバタと居間に駆けつけた。
「何があった!…って、お前かよ。トイレ行ったんじゃなかったのか?」
兄が、灯の顔を覗き込む男に、親しげに話しかけた。灯は叫ぶのを辞めて、首を傾げた。
「だれ?」
「俺の大学の友達。お前が寝てた時に家に来たんだよ」
「あはは、ごめんねー。ちょっと驚かせようと思っただけなんだ。そしたら欧米のホラー映画バリのリアクションが帰ってきて感動したよー。めちゃくちゃ面白かったー。お兄ちゃんの友達の成史って言います。なり君でもふみ君でもいいよー!てか、ずっと男子校だったし、知り合いにJKいないから久々にJKみたわー。JKの図鑑に君を登録!なんつって」
ゆるい雰囲気の兄の友人が笑いながら、そう言った。
「…お兄ちゃん、なんかこの人、ダメな人だね」
灯は兄に言った。
「ああ、こいつはダメな奴だ」
兄はそう返した。
「え?ひどくない?兄妹そろってひどくない?」
兄の友人を無視して、灯は何かに思いついたように笑顔で言った。
「あ、なるほど。これが類友って奴か。勉強になったぁ」
灯は何故か、兄に頭を叩かれた。
「ひとつ賢くなった妹ちゃんに、これをやろう」
兄の友人は、紙袋から大きな壺を取り出して、炬燵の上にドンッと置いた。
「なんだ、この得体の知れない壺は。持って帰れよ」
兄が嫌そうな顔をして言う。
「いいから、いいから。遅れたクリスマスプレゼントだと思って!俺をサンタさんだと思って、ね!メリークリスマス!あ、おっと、家のワンちゃんの散歩をしないといけない時間だ。それじゃあ、お邪魔しましたー」
慌ただしく、兄の友人は壺を置いて、去って行った。
「あの人、ダメな人だけじゃなくて、バカな人だ」灯が呟いた。
「お前にバカだと見破られるなんて、あいつは相当バカなんだな」
兄は、友人に壺を返しに行くと言って、家から出て行った。灯は、すっかり目が覚めてしまい、テレビを見ることにした。
カリカリカリカリカリカリ
庭へとつながる居間の掃き出し窓から、音が聞こえた。そちらのほうを見ると、尻尾が2つにわかれた黒猫が窓を爪で引っ掻いていた。灯は立ち上がり、窓を開けた。外の冷たい風と共に、黒猫がするっと入ってきた。寒かったので、灯はすぐに窓を閉めた。黒猫が炬燵の中に入り込む。灯も座り、炬燵に足を突っ込んだ。何故か、炬燵の中で、足を猫パンチされた。
「小娘、わしの陣地に入ってくるのではない」
炬燵の中から、そんな声が聞こえてきた。誰の声かというと黒猫の声だ。
この黒猫は、喋れる。名前はコタローというらしいのだが、あとは灯はよく知らない。最初は、喋ったことに非常に驚いた。最初は自分が特別な存在だから猫としゃべれるのかと思った。しかし、家族とも会話しているのを見て自分だけではないと気付いた。そして、この黒猫はネコマタと言う種類で、さらにネコマタはしゃべれるということを学んだ。世の中には灯の知らないことがあまりにも多すぎる。
ある日、このコタローは突然灯の家に来て居つくようになった。ふらりといなくなることもあるが、また今みたいに帰ってくる。
「炬燵はみんなのもの。コタローさんのものだけじゃないよー」
灯がそう言うと、プスッと音が聞こえた。コタローが鼻で笑った時に聞こえる音だ。
「こんな寒いのに、一体どこ行ってたの?」
灯が言うと、コタローは黙り込んだ。コタローは答えたくないことには答えない。それは、いつものことだった。返事がないので灯は気にしないで、テレビを見始めた。
「あー、今日は鍋がいいなぁ。晩御飯なんだろうなぁー」
テレビ番組で美味しそうな鍋を食べているアナウンサーを見て、灯が呟いた。
コタローがのっそりと炬燵から出てきた。そして、灯の隣に香箱座り(前足を折りたたんで丸く座ること)をした。コタローは灯を見て、ゆっくりと口を開いた。
「小娘に、頼みたいことがある」
「なにー?」灯はテレビを見ながら答える。
「公園の亀達から聞いたのだ。小娘は、とある爺を救ったのだと」
灯はカッと目を見開き、勢いよくコタローを見た。そして、コタローの脇を掴んで、持ち上げた。灯とコタローの顔が、ぐっと近づく。灯は、じっとコタローの金色の瞳を見つめて言った。灯の鼻息でコタローのひげが揺れる。
「コタローさん、カメと話せるの!?」
「なんだ!離せ、小娘!」
「ねえ、カメと話せるの!?」
「離さんか!」
「カメと――」
シャー!
威嚇の鳴き声を出したコタローの鋭い爪が、灯の顔面を襲った。
「ひどいよぉ、コタローさん。乙女の顔に」
灯は、鼻に絆創膏を付けていた。コタローに鼻を引っ掻かれたのだ。これで、破けたランニングシャツと、半ズボンを着て、下駄をはいて、「てやんでい」といいながら、指で鼻をこすれば、完璧に昔ながらのガキ大将だ。
しかし、何故か、灯は手鏡で自分の顔を見ながら「あれ?なかなかいいかも・・・」と何故か満足気な顔をしている。美的センスが壊滅的だ。
「小娘が悪い。それで、頼みを聞いてくれるのか?」
「私のできることなら、いいよ!ただし――」
プスッと音が聞こえた。コタローさんが鼻で笑った音だ。
「見返りを求めるのか。なんだ?小娘よ」
何故か、灯は顔を赤くして、もじもじとした。
「亀と話したいから、通訳して欲しいなぁ…なんて!」
「……いいだろう」
コタローさんの声は、どことなく残念そうなものだった。
「この家?」
灯はコタローと、古びた家屋の前にいた。
「そうだ」
コタローは尻尾をゆっくり揺らして答える。
「こんなところにその子がいるの?」
「わからん。だが、手がかりは絶対にある」
コタローは、家屋を見上げて、答えた。コタローの頼みとは、手首に火傷の跡がある小さな女の子を探して欲しいというものだった。家は知っているのだが、なかなか会うことができないらしい。
「勝手に入ったら、怒られそうだけど、大丈夫なの?」
「大丈夫だ」
そう言い、コタローは家屋の敷地内に入って行った。
「ま、待ってよ。コタローさん!」
古びた家屋は、ミシミシと木の軋む音が聞こえ、いまにも崩れそうに灯は見えた。家屋というよりは、廃屋に近い。まるで人は住んでいないかのような雰囲気である。
恐ろしい。恐ろしいが、亀と話したい。唾をゴクンと飲み込み、灯はコタローの後を追った。
玄関から入ると、玄関にコタローが座って待っていた。
「遅いぞ、小娘」
コタローはそう言うと、玄関から続く廊下を歩き始める。灯はコタローの後をついていく。
暗い。昼間なのに、その家の中は、異様に暗かった。灯は、恐怖に耐え切れなくなってきた。
こういう時には、あの歌だ。
「人にー ひかりをー 灯すのだ!
世界にー ひかりをー 灯すのだ!」
いきなり歌い始めた灯に驚いて、コタローはビクッと黒い身体を大きく震わせて毛を逆立てた。
廊下に灯の上手とはいいがたい歌声が響く。灯は拳を振りながら歌う。
その姿は戦時中に自らを鼓舞する兵士さながらだ。この歌は、小さい頃に灯が自分で作ったテーマソングであり、自身を慰める時に歌うものだ。
「怖いー ことなんてー なーいのだ!
灯ちゃんがー 来たらー
だいじょーぶ!ヘイ!
光れ!輝け!灯れ!
最強のー灯ちゃんー!」
歌い終わった後に、それは起きた。
廊下の突き当たりにある階段。
裸足の白い小さな足が、その階段をパタパタと駆け上っていくのが見えた。
「まて!」
それを見たコタローは素早く身体を動かし、二階へと姿を消した。1人残された灯も、慌て追いかけようとする。
くいっ
まるで引き留めるように、後ろから、灯のスカートを誰かが掴んだ。
灯は、息をとめた。
そして、ゆっくりと振り向いた。
そこには裸足の小さな女の子が、灯のスカートを掴んで、立っていた。ざんばらな、おかっぱ頭の女の子。前髪が長くて顔は見えないが、その口唇は青い。真冬に関わらず、裸足で、ところどころ破けたワンピースを一枚着ているだけだ。
あまり人間味のないその少女を見て、灯は恐怖で意識を失いそうになるが、手首には小さい火傷の跡がいくつもあることに気付いて持ちこたえる。おそらくコタローが探していた少女だ。
「え、えっと、お嬢ちゃん?」
灯が、女の子に声をかけた。
そうすると、少女が口角を上げた。そして歌い始めた。
『おにさん、こちら。てのなるほうへ』
女の子は灯に背を向けて、走り始める。女の子は玄関の方へ駆けて行き、外に出て行ってしまった。
「え、ちょっと!待って!コタローさん!コタローさん!いたよ、女の子!」
灯は二階へ向けて叫ぶが、物音すらせず、コタローは降りてくる気配がない。開けっぱなしの玄関のドアから出て行った女の子の背中がどんどん遠ざかって行くのが見える。
女の子を見失いたくない灯は、女の子を追いかけることにした。離れているのに何故か女の子の歌う声が聞こえる。
『おにさん、こちら。てのなるほうへ』
「灯?」
友人の家から帰ってきた灯の兄は、暖かさの残る炬燵と灯がいないことに気付いて、首を傾げた。
to be continued