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怖がり少女と握手するモノ

 

 彼はいつも、そこで待っていた。あの子が気がかりで、その場から離れることが出来なかった。あの子との大事な思い出の場所なのだ。

 そこで待っていなくても、あの子に会いにいこうとすれば、会いに行ける。しかし、彼は、どうしてもそこであの子を待ちたかった。あの子が、もし、この思い出の場所に来たら。

 笑って、あちらへ行こう。そう思っていた。

 どのくらいの月日が経ったのだろうか。まだ、あの子は来ない。

 彼は待ち続ける。



 マラソン大会が無事に終わった。灯は、クラスメイトとの打ち上げという名のただのカラオケの集まりに参加し、その帰り道を歩いていた。

 夜はまだ寒い。冬の冷たい空気に灯は身体を震わせながら歩く。

 灯がはぁと白い息を吐いた。灯のクラスメイトは仲が良いのはいいが、うるさい人が多いため元気がとりえの灯でも少し疲れるのだ。


 道路には誰もいない。


 灯は住宅街を歩いてたはずなのに、ぼうっと歩いていたら、見知らぬ道にいた。あたりを見渡しても、真っ暗で何も見えない。大きな白い満月が、灯と道だけを照らしている。

 異様な雰囲気に灯は、身震いをした。

 そして、抱えていたある物を強く抱きしめた。特大サイズの亀のぬいぐるみだ。マラソン大会で5位の人が貰える景品だ。

 灯は、練習したがもちろん入賞なんか出来なかった。入賞した友人に譲ってもらったのだ。ちなみにその友人は亀のぬいぐるみなんて誰得?とか言っていた。灯得である。


 灯は亀を抱きしめながら、とりあえず直進することにした。


 カーン

 カーン


 灯の後ろから、何かを鳴らしたような高い音が聞こえた。

 聞いたことがある音だ。


 カーン

 カーン


 また聞こえた。


 カーン

 カーン


 灯は音が何か分かった。“火の用心”といいながら、鳴らす拍子木の音である。


 カーン

 カーン


 その音は、徐々に灯のほうに近づいてきている。


 カーン

 カーン


 灯は見たことはないが、田舎などでは消防団員が夜警で拍子木を鳴らして、『火の用心』と言うのは知っている。しかし、灯の後ろから近づいて来ているやつは何も言わない。

そこまで考えた灯は急に恐ろしくなった。マラソン大会で疲労している足に鞭打ち、音から逃げるように走り出す。しばらく走っていたら、道の先に、ぽうっと光が見えた。


 人だ!

 そう思った(あかり)は、その光のほうに近づく。


 カーン

 カーン


 拍子木の音は、灯の真後ろにまで聞こえきた。灯はもつれそうになる足を叱咤し、その光まで全力疾走する。

 その光に近づくと、提灯も持っている着物の男性がいた。灯は何も考えず、とっさにその着物の男性の背後に隠れて、背中の着物を掴んだ。


 カーン

 カーン


 かなり近づいてきた拍子木の音。姿は見えない。

 なぜか少しの間、音は止んだ。

 また鳴ったかと思ったら、徐々に遠のき、やがて聞こえなくなった。


 なんだか分からなかったが、灯はほっと安心し、息をつく。


「送り拍子木か。珍しいな」

 男性は、そう呟いた。


 灯は男性の着物を掴んだまま、身長の高い男性を見上げた。

 男性は、振り返り、灯を見下ろしてにこっと微笑んだ。


「迷子だね?」

 まだ心臓がバクバクしている灯は素直に頷いた。


「送ってあげるよ」

 優しくそう言う男性に、灯はなんの不信も抱かずについていった。

 静かな夜の道を男性と2人で歩く。男性が何も喋らないので、灯もただついて行くのに専念した。


「このまま、まっすぐ歩けば、元の道に戻るよ。気をつけてね」

 男性が止まり、そう言った。


「はい。ありがとうございます」

 灯は、笑顔でお礼を言った。


「どういたしまして。じゃあ、またね」

「うん、またね!」

 着物の男性に手を振り、灯は言われたまま、まっすぐ歩く。

 気がついたら、住宅街に戻っていた。男性がいたはずの所を振りかえっても、そこには誰もいなかった。


「灯」

 名前を呼ばれ、声の方を見る灯。心配して迎えにきた兄だった。


「迷子になっちゃった」

 灯がそういうと兄は呆れた顔をした。


「あとさ、火の用心の木のやつをカンカン鳴らしながら、追いかけてくる変な人がいてね。逃げてたら、提灯をもって着物着た男の人がいて、ここまで送ってくれたの」

 兄は、灯の両頬を両手でつかみ、ひっぱった。


()ひはひほぉ(いたいよぉ)

「このバカ。知らない人についていくなって言ってるだろ」

 頬を痛いぐらいにひっぱられている灯は、口答えせずに、必死に頷いた。兄はため息をつき、灯の抱いている特大サイズの亀のぬいぐるみを持った。

 そして、灯の手をつかみ歩きはじめる。


「それにしても、この無駄に馬鹿でかい、気持ち悪い亀はなんだ?」

「気持ち悪い!?」

「気持ち悪いだろ、これ」

「気持ち悪くない!ばか!」

「は?お前がばかだ」

「ぐっ」

 そんな会話をしながら、2人はゆっくり歩いて帰った。



 灯と兄が帰宅すると、いつも帰りが遅い父親が先に帰っていた。

 母の手料理の夕食を皆で食べているときに、今日の話をした。


「今日、迷子になってね。知らない道歩いてたら、後ろから火の用心でよく鳴らす木のやつをカンカン鳴らしながら、追いかけてくる変な人がいたんだよ。怖かったー」

 灯はへらへら笑いながら話す。

「へぇ、送り拍子木だな。それは」

 父が珍しく知識を披露した。

「送り拍子木って?」

 兄が聞く。

「“火の用心”て言って拍子木を打ちながら夜警をする人達がいるでしょ。その人達が、拍子木を打ち終えたはずなのに、拍子木の音が同じような調子で後ろから聞こえてくるの。けど、背後を振り向いても誰もいない。そんなおちゃめないたずらをする奴よ。たぶん悪い奴ではないわ」

 母は父に上回る知識を披露する。

「へぇー、いたずらっ子かぁ。けど、怖かったよ。着物の人に助けてもらったから良かったけど」

「そうそう、灯が迷子になったときに提灯をもった着物の男が助けてくれたらしい。誰か心当たりある?」

 兄が灯の話を補足して、そう言った。


「提灯をもった着物の男・・・まさかな」

「あはは、そんなまさか」

 父と母は、顔を見合わせて、ひきつった笑みを見せた。そして黙り込んだ。

 その様子をみた兄は、眉をしかめる。

 灯は話し終わったら満足したのか、そんな父母の話を聞いておらず、テレビを見始めた。なぜなら灯はO型だからだ。自分の話は聞いて欲しいくせに、人の話は半分しか聞かない。しょうがないO型だから。



 翌日、特大サイズの亀のぬいぐるみを持ち、灯は小池の森公園にいた。亀が大量繁殖している池がある公園だ。

 何故来たかと言うと、この公園でよくいるおじいさんに会いたかったからだ。幼い頃からの知り合いで、灯が亀好きなのを知っている彼にこの亀のぬいぐるみを見せたくて訪れた。

 灯は池にいる亀の数を数えていた。何故かはわからないが、数え終わるタイミングで必ずそのおじいさんが現れるからだ。


「あれ、35匹しかいない。一匹どこ行ったんだろう?」

 灯は首を傾げて、池を見て、あと1匹を必死に探す。この池には36匹の亀がいる。36匹いることを確認しないとおじいさんは現れないのだ。


「もー。いない。どこだろう?」


「こんにちは。君も何か探してるのかな?」

 そんな灯にいきなり声をかけた人がいた。

 灯は振り返り、その人物を見る。

 細身で優しそうな、眼鏡をかけた大人の男性だった。


「亀を探してるの」

「亀?池の?」

「うん。36匹いるんだけど、今日は35匹しかいなくて」

 きょとんとした男性は、次に微笑んだ。


「そうなんだ・・・。僕が小さい頃も、数えてたんだよ。僕以外もいたんだね、数える子」

「へー、お兄さんも数えてたの?」

「うん、奇遇だね。僕の記憶では、35匹だったんだ。一匹増えたのかな」

「へぇー!お兄さんの時代は35匹だったんだ。面白い!」

「あはは、面白いね」

「お兄さんは、何を探してたの?」

 灯がそう言うと、男性は目を見開く。


「なんで探しものしてるってわかったの?」

「え、だって君()何か探してるの?って聞いてきたから」

 自分の言動を思い出したのか、男性は苦笑した。

「まあ、探しものだね。人探し、みたいなものかな。本当は、ここに来たくなかったんだ。思い出の場所だけど、僕には嫌な場所でもあるから」

 男性は笑顔を消して、暗い表情で語った。

「けど、いつまでも、引きずってたら、おじいちゃんが報われないって、嫁さんに怒られてさ。背中を押されてやっと来たんだ」

「そうなんだ。じゃあ、その人探しってそのおじいちゃん?」

「あはは、そういうことになるかなぁ。僕は本当におじいちゃんっ子でね。両親が忙しいかわりに、いつもおじいちゃんが、ママチャリに僕を乗せて、どこでも連れて行ってくれたんだ。

 電車が見たいって言ったら、線路沿いを自転車で走行したし、公園に行きたいって言うと必ず、ここに連れてって、一緒に遊んでくれた。

 ここで、おじいちゃんが作ったおにぎりを食べて、2人でよく亀を数えてたんだ」

「あーそういうことか。そのおじいちゃんのこと私、知ってるよ。おじいちゃんの名前は利明(としあき)でしょ」

「え?」

「そして、あなたの名前は弘明(ひろあき)でしょ?」


「なんで、それを――」

 男性は、弘明という名前で、その名前を当てた灯を見て驚いている。

「いじめられっ子のヒロでしょ。あなたのおじいちゃんと私はこの公園の友達なんだよ。私、じぃじって呼んでるの。いつもじぃじがいじめっ子からヒロを助けてあげてたって、よく言った」

「君は何故――」知ってるのか、と弘明は言葉を続けようとしたが、灯が話を続けるので黙った。

「ええと、ヒロは泣き虫だけど激しめの高い高いをしたら泣きやむとか。ヒロは電車が好きで線路沿いを自転車で走るとすごく喜ぶとか。ヒロは寂しがりやでいつもじぃじの手を掴んでじぃじに甘えてたとか」

 弘明は驚きで何も言えず、ただ灯を見つめた。

「あ、じぃじが、よく言ってる言葉があったよ。さすがに何回も言うから覚えちゃった。聞く?」

 弘明は黙り込み、そして口を開いた。


「教えてくれないか、その言葉を」

「あ、けど、きっともうすぐ来るから直接聞けばいいか」

「いや――君から聞きたい」

 弘明の言葉に灯は首を傾げる。

 けど真剣な表情の弘明をみて、灯はお爺さんがよく言う言葉を言った。

 彼は、灯の言葉を聞き終わったら、静かに涙をこぼした。



 弘明(ひろあき)は、4人家族だった。

 両親と、一人っ子の弘明、そして祖父の4人だ。医師として働く両親は忙しく、弘明の世話をするのはいつも穏やかな祖父だった。

 保育園の送迎、運動会、遠足、保育参観も必ず祖父がいてくれた。イクメンならぬイクジイだねと保育園の先生に言われたほどだった。

 しかしその言葉は過言ではなく、親と過ごす時間より祖父と過ごす時間のほうが長かった。

 保育園が休みの日でも遊んでくれた。何かを教えてくれるのもほとんど、祖父だった。

 そして、泣き虫な弘明が泣いていると、祖父がいつも慰める役割をしてくれていた。

「ひろ、何があった?」

 祖父は弘明の涙を手で拭いとりながら、尋ねた。弘明は泣きながら説明した。

「あ、あのね、ぼくはみんなよりちっちゃいから、ヘンなんだって。だからね、ヘンなやつはなかまにいれないって!じぃじ、ぼくってヘンなの?」

 祖父は穏やかに微笑み、日に焼けた、しわくちゃの大きな手のひらで、弘明の髪をくしゃくしゃにして撫でた。

「ひろ、この前、なんで紫陽花には赤や青や紫の色があるのかと聞いてきたね。その時じぃじはなんて言ったか覚えているか?」

「うん、つちがちがうと、いろがかわるんでしょ?」

「そうだ。えらいぞ、よく覚えてた。紫陽花は土の内容が変わると色も変わる。ひろ、お前の友達は皆同じところから産まれて、同じところで住んでいるのか?」

「ううん。みんな、パパとママはちがうひとだし、すんでるところもちがうよ」

「うんうん、そうだ。紫陽花と一緒なんだよ、人は。紫陽花は場所によって、赤、青、紫、と色を変える。

 それとおなじで、パパやママ、住んでるところはみんな違う。おおきい子もいるし、ひろみたいにちいさい子もいる。紫陽花のどの色が好きなのかじぃじが聞いたら、ひろは全部きれいだから選べないと言ったね?」

「うん、全部きれいだった!」

「そう、紫陽花は、どんな色でも綺麗だっただろう?おおきい子もちいさい子も確かに周りとは違うかもしれない。だけど、みんな、紫陽花と一緒で、絶対いいところがあるはずだ。みんなはまだ、ひろのいいところがあることに気づいていないだけなんだ。ただ、おじいちゃんはずっと一緒にいるからひろのいいところをいっぱい知ってるよ」

「ほんとう?ぼくのいいところってなに?」

 祖父は、目尻にしわをいくつも作り、笑った。

「ひろが大きくなったら……そうだな、ひろが結婚したら教えてあげるよ。ハハっそれまで生きられるかな?ひろ、みんなに変だと言われて泣く前に、こんな風に考えてごらん。

 ひろの小さいところも、紫陽花の色が違うのと同じで変ではない。だろう?」

 泣き止んだ弘明はこくんと頷いた。

 そして、夕焼けに染まった道を祖父と手をつなぎ、帰った。

 かさついた、でも大きい、日に焼けた大きな手。

 優しい眼差しと、しわがたくさんある目尻。

 低くて、静かな声。

 弘明は、そんな祖父が大好きだった。母よりも、父よりも、ほかの誰よりも大好きだった。小さい頃の思い出は、ほとんど祖父とのものだった。


 そんな大好きな祖父との別れは、いきなりだった。それは、弘明が原因だった。

 弘明が7歳になった頃だった。日曜日に、祖父と一緒に、いつも自転車で行く小池の森公園にいた。弘明は、駄菓子屋でもらったキラキラのスーパーボールを地面に叩きつけて、バウンドさせて遊んでいた。

 スーパーボールを地面に強く叩きつけた。そうすると、スーパーボールは勢い良くバウンドして、弘明のそばから離れてしまった。

 弘明は、祖父のそばから離れて、スーパーボールを追いかけた。

 スーパーボールは、公園の外の道路まで転がってしまった。

 弘明は追いかけるために、道路に勢い良く飛び出した。


「ひろ!!」

 祖父の叫び声。そして、車のタイヤのすれた音が聞こえた。

 温かいものに抱きしめられる。

 ドンッという強い音と、振動。

 温かいものが、弘明を巻き込んで倒れる。


 倒れた弘明は、少しの間、意識を失ってしまったが、色んな音が聞こえたので目を開いた。

 温かいものは祖父だった。なぜわかったかというと、弘明のことを抱きしめている手が見慣れた手だからだ。


 女性の悲鳴が聞こえ、ガードレールにつっこんだ車が煙をあげている。


 じぃじ?


 弘明は血だらけの祖父の服をギュッと掴み、その顔を見る。

 祖父はうっすら目を開けていた。

 弘明は祖父の大好きなしわくちゃの日に焼けた、大きな手をつかむ。

 祖父は、かすかに口角を上げたような気がした。


 祖父はかすかに口を開いた。しかし、何も言わず、いや言えなかったのかもしれない、口を閉じた。

 そして、弘明の小さい手を弱々しく握り、祖父は、弘明を見つめながら、ゆっくり目を閉じた。

 握った手の力が緩まる。

 弘明は、身に起こったことの訳がわからず、祖父の手をただただ握り返した。

「じぃじ?」祖父を呼んでも返事がない。

 大人に話しかけられたりしたが、弘明はただぼうっと祖父を見てた。

 しばらくして救急車が来て、祖父と引き離された。救急車に乗ってからは記憶がない。


 数時間後、泣いてる父と母に、おじいちゃんに会いに行くと言われ、暗い部屋に入った。

 横たわり、顔に白い布をかけている祖父がいた。

 弘明は、白い布をとり、祖父を起こそうとする。大好きなしわくちゃの日に焼けた大きな手を握り、祖父に声をかけるが、起きない。

 何度も何度も呼びかけるが、変わらなかった。母が弘明を抱きしめて言った。

「おじいちゃんは天国に行ったの」

「じゃあ、ぼくもてんごくにいく」

 弘明がそう言っても両親は、悲しそうに首を横に振るだけだった。



「事故らしいわよ」

「お孫さんが道路に飛び出したみたいで、それを守って亡くなったんですって」


 葬儀で、そんなふうにヒソヒソと話している女性たちの会話が弘明の耳に入った。


 じぃじは、ぼくのせいで

 てんごくにいかないといけなくなったんだ。

 弘明はそう思った。


 白い箱に入ってしまった祖父をどこか連れて行く大人たち。

 ついていくと、ぼうっと、祖父の入った箱は炎に包まれた。

 弘明は、その炎を呆然と眺めた。

 出てきた骨はすごく白かったことを覚えている。


 家に帰ると、おかえり、と言ってくれた祖父がいない。祖父の作ってくれる、形がいびつなおにぎりも、もう食べれない。

 2人で炬燵(こたつ)に入り、みかんを食べながら、年末年始の番組をみた。祖父のお手製の年越しそばを食べた。

 それも、祖父がいなくなった今、ずっと一人だ。

 あの穏やかで大好きな祖父を自分のせいで亡くしてしまった。

 弘明はふさぎ込むようになった。


 祖父は弘明のことを恨んでいるのではないか。やり残したことがあるのではないか。孝行もしてやれなかった。不幸な人生の終わり方をさせてしまった。全て、自分のせいである。


 弘明は、祖父との思い出の公園に行けなくなった。あそこに行くと、祖父の最後を思い出してしまうからだ。


 そんなふさぎ込む弘明を健気に支えてくれる一人の女性が現れた。彼女は、性格が祖父によく似てた。穏やかで、賢くて、弘明の背中を押してくれる、そんな優しい女性だ。

 彼女がいつもそばにいてくれて、弘明は彼女を愛した。弘明が27歳になった時に、籍を入れた。そして、彼女のお腹に子供が宿った。

 日が経つにつれ大きくなる彼女のお腹をみて、弘明は初めて、祖父のことを話した。

 彼女はその話を聞くと、泣きながら弘明を叱りつけた。


「ひろ君がそんなんだと、おじいちゃんはずっと天国で心配してるよ。

 もしかしたら、ひろ君が心配すぎて、思い出の公園にまだいるかもしれないよ。

 あなたの大事な思い出の場所なら私も行ってみたいし、行ってみよう」


 そう喝を入れられた。

 そして、20年ぶりに公園にきたのだ。

 あの事故のあった、そして、祖父とよく来た思い出の公園、小池の森公園である。

 勇気を出して行ってみたら、祖父の最後を思い出して気分が沈み込むと思っていたが、祖父と楽しく過ごした思い出のほうが上回り、ノスタルジックな気持ちになっていた。


 亀がいる池に、でかい亀のぬいぐるみを抱いた少女がいた。その後ろ姿が、池を眺める祖父の姿になんとなく似ていたため、つい声をかけたのだ。

 そうして話していくうちに、少女が祖父を知っている、と言い始めた。


 そんなはずはなかった。

 少女は明らかに弘明より10歳以上は年下だ。祖父が死んだ頃に、まだ女の子は産まれてきてないだろう。しかし、話を聞くと、弘明が他人には話したことのない祖父との思い出を話していた。

 まるで本当に、死んだ祖父と会って話しているようであった。


 そんな彼女は、祖父がよく言う言葉を覚えていると言った。

 弘明への恨みか。あるいは残りの人生の悔いか。

 そう思った弘明は、それを聞くか、悩んだ。

 しかし、弘明は、妊娠している嫁の叱咤激励を思い出して、聞く決意をする。


 その言葉を紡ぐ女の子の優しい笑顔は、祖父のような笑顔だった。

 弘明は涙を零した。



 灯は、いきなり子供のように泣きはじめたヒロに驚く。どうしようかとオロオロしていると、一人の妊婦がゆっくり歩いてきた。


「ひろ君、おじいちゃんに会えたの?」

 妊婦は弘明の背中を撫でる。弘明は何も言わずに頷き、妊婦は穏やかに笑った。

 彼の嫁なのだろう。

 灯が妊婦の大きいお腹をみて、すごいなぁと感心してたら、妊婦がその視線に気づいて、お腹をさすり、笑った。


「この子ね、もうすぐ産まれるの。はやく出たいって、元気よく動くのよ」

「へぇー!」

 灯が目をキラキラさせて、妊婦のお腹をじっと見る。


「さわってみる?」

「え、いいんですか?」

 灯が聞くと、妊婦が笑いながら頷く。

 灯は、そっと妊婦のお腹を触る。お腹は少し張っていて、灯が触ると少しぐにょんと動いた。


「あ、動いた。この子、触るときに偶然動くのは、珍しいんだけど」

 妊婦がそう言って、灯は嬉しくなり、お腹を撫でた。

 そして、お腹を見つめながら、灯は口を開き、言葉を紡いだ。


『君は男の子だね。赤ん坊や。元気に産まれてきなさい』

 妊婦が目を見開き、そして、目を大げさにパチパチ(まば)たいた。そして灯をじっとみる。

 灯は、見つめてくる妊婦に、首を傾げた。


 しばらくして涙が落ち着いた弘明と妊婦は、しばらく池を見てぼうっとしていたが、日が暮れると2人仲良く帰っていった。


 灯は、こりずにまた亀を数え始めた。


「33、34、35、36!あれ、全員いた!よかったぁ」

 灯は手を叩いて、喜ぶ。


「灯のお嬢ちゃん。こんばんは」

 気配なく灯の隣に立っていたおじいさんが灯に声をかけた。


「わっ、びっくりしたー!じぃじ、こんばんは」

 いつも、このおじいさんの怖い登場には慣れずに、灯は心臓をばくばくさせる。

 祖父や祖母を知らない灯は、このおじいさんが友人でありつつ、祖父のような存在だった。親しみを込めて、じぃじと灯は呼んでいる。

 彼は灯が抱いている亀のぬいぐるみをみて、微笑んだ。


「可愛いぬいぐるみさんだね」

 その言葉を聞いて、灯はパァッと満面の笑みを浮かべた。


「可愛いでしょ!昨日の夜、お兄ちゃんに馬鹿にされたの。じぃじならきっと可愛いって言ってくれるんじゃないかと思ってきたの」

「そうか。可愛いぬいぐるみだと思うよ」

 2人は微笑み合う。


「さっき、ヒロがじぃじに会いにきたよ」

 その灯の言葉を聞いて、彼は目を細めて、笑みを深めるだけで何も言わない。

 目尻のしわが、彼を優しく見せた。


「ヒロのお嫁さんも後から来たよ。お腹に赤ちゃんがいたの。さっき帰ったから、追いかけたら、会えるよ。私が探してこようか?」

 灯がそう言うと、彼は首を横に振る。


「いいんだ。灯のお嬢ちゃんとひろが話しているのを実はこっそり見てたんだよ」

「そうなの?声かけてくれたら、よかったのに。私、お嫁さんのお腹触ったんだよ。そうしたら、ちょうどその時、赤ちゃんも動いたの」

「うん、そうだね。元気が良さそうな男の子だった。灯のお嬢ちゃんのおかげで彼にも挨拶が出来たよ。ありがとう」

「いえいえー」

 よく意味がわからなかった時に、適当に笑って返事をする。これは灯の悪い癖だ。


「じぃじ、曾孫が産まれるの、楽しみだね」

「そうだね、楽しみだ」

「またヒロが休みの時に来るってよ。もしかしたら、次は赤ちゃんを抱っこして来るかも。じぃじ、いつもみたいに、ここにいればヒロたちに会えるよ」

 灯がそう言うと、彼は首を横に振った。


「灯のお嬢ちゃん、私はね、もうここには来ないよ」

「え?なんで?」

「遠くにいる、婆さんに会いに行かないといけなくなったんだ」

「え、お婆ちゃん、遠くにいるの?」

「そうなんだ。ずっと一人で待たせてしまった」

「そっか…。じゃあ、さみしくないように、早く行ってあげないとだね」

「ああ、灯のお嬢ちゃん。今まで、本当にありがとう。君のおかげでひろを待っている間、私は寂しくなかったんだ。全部、君のおかげだ。言葉も伝えられたのも、ひろの息子に触れることができたのも君のおかげだ。本当にありがとう。君は私の2人目の孫娘のようなものだった。君も幸せになれるように願ってるよ」

 彼は、しわくちゃな日に焼けた、灯より少し大きい手で、灯の手を掴んだ。

 その手は、どことなく温かかった。

 灯は、その手を握り返す。


「じぃじ、私もじぃじに会えてよかったよ。元気でね、お婆ちゃんと仲良くね」

 灯がそう言うと、彼は微笑んだ。


 ざぁっと風が強く吹く。

 枯れた木の葉が飛んできて、灯は、目をつぶった。次に、目を開くと、そこに彼はいなかった。

 灯は、自分の頬が濡れていることに気づいた。


 私、泣いてる。

 無自覚に泣いてた灯は、泣いてたことに気付いたら一気に悲しくなり、亀のぬいぐるみに顔を埋めて、静かに泣いた。





「あの子の笑顔が、祖父の笑顔に見えたんだ」

 弘明はそう呟いた。

「わたしも、お腹撫でてもらった時に、一瞬おじいちゃんの顔に見えた」

 彼女もそう言った。2人は何かを考えるように黙りこみ、静かに歩く。

 弘明は、女の子が紡いだ言葉を思い出す。


『私には弘明という孫がいる。

 泣き虫で寂しがりやで甘えん坊の小さくて幼い男の子だ。内気やら、静かすぎるやら、周りはなんやかんや言うが、自慢の孫だ。弘明は、私の長い、難しい話を最後までちゃんと聞くことができるすごい子どもだ。こんな素直で忍耐強い子供は他にいない。こんなおじいさんの話を真面目に聞いて慕ってくれる。最高の孫だ。私の大好きな孫だ。

 私は、そんな孫を守ることが出来た。それは、自分の人生の中で、1番誇らしいことだった。

 弘明に幸せなって欲しい。そうすれば、安心してあちらにいける。

 私の大事な大好きな孫。

 幸せになれ』

 弘明は、その言葉をかみしめる。

 そして、隣にいる幸せ―――身重の妻の小さい手を握る。妻は、嬉しそうに、優しく笑い、握り返す。

 夫婦は、夕焼けに染まる町並みを、ゆっくりと2人で歩いた。



「ここにいたのか」

 そんな声に灯は、顔をあげた。

 兄だった。

 泣いている灯を見て、兄はギョッとする。


「なにがあった!?」

「―――じぃじが、遠くに行っちゃった。お婆ちゃんのところに行くんだって」

 灯がじぃじと呼ぶおじいさんのことは、兄は知っており、会ったこともある。


「そうか、やっと行けたのか・・・」

 瞳に涙を浮かべている灯を見つめる兄。


「灯、実はな」

 兄は真剣な顔つきで灯に言葉をかける。

「昨日は馬鹿にしたが、その亀、よく見たら可愛いな」

「でしょ!」

 灯は、パァッと満面の笑みを浮かべて、元気良く食い気味に言った。

 灯の笑顔に兄は安心したように息を吐き、笑い返した。



 その頃、灯の家では。


「やばいぞ、母さん」

「どうしたの、お父さん」

 電話をしていた父が、青ざめて母に声をかけた。


「実家から、冬に帰って来い、と命令が・・・」

 その言葉に、母は、顔をひきつらせた。

 『そうそう、灯が迷子になったときに提灯をもった着物の男が助けてくれたらしい。誰か心当たりある?』

 ええ、ありますとも。

 考えたくもなかったけど。


「灯―――あの子、会っちゃダメな奴に会ったのね」


「ただいまー」亀のぬいぐるみを抱えて、能天気に笑いながら帰ってきた灯と、兄。

 それを見て、父と母は、ため息をついた。


 そんな灯が拍子木を鳴らして追いかけてくるいたずらっ子とじぃじにびびったそんな2日間の話であった。



to be continued

送り拍子木:灯の母によるとおちゃめないたずらっ子。拍子木を打ち鳴らして後ろからついてくるが、見られそうになると恥ずかしくて消えてしまう妖怪である。着物の男性に何故か怯えて逃げたらしい。


だれかのメモ:小池の森公園、老人の地縛霊。意思疎通は取れるが、一回接触したらそれ以降、姿を表さなくなった。こちらの意図に気付いたのか。不明である。

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― 新着の感想 ―
[一言] ああまた涙腺に来ますなぁコレ ここ最近ネット小説読んで泣くのこの作品しかないですよ   じぃじは人生経験が豊富だから『だれか』が悪意を持ってると見抜く事が出来たんだろうか
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