怖がり少女の兄(兄視点)
幼くて痩せ細った少年―――蓮は暗い山に閉じ込められていた。
蓮に家族はいなかった。両親の記憶は全くない。村長の家で暮らしていた彼は3歳まで育ててもらった。
お前の親はお前がいらないから捨てたのだ。お前の命は村の為に使うのだ。そう、村長に刷り込まれていた。
そして今日、この祠に閉じ込められたのだ。
くらい、さむい、こわい。蓮は怯えていた。
気がついたら、複数の影がゆらゆらと蓮を囲んでいる。その影をよく見ようと目を凝らせば、それは笑っている男や女達だ。
口が大きく裂けていて、目は細い。
それがこぞって蓮に触れようとしていた。
目をぎゅっと瞑ると声が聞こえた。
オイシソウダ
オイシソウダ
ウツクシイ オンナノコダ
オイシソウナ オンナノコダ
イヤ ニオウ
オンナノコジャナイゾ
オトコダ
オトコダ
ダマサレタ ダマサレタ
シカシ ハラガヘッタ
オトコ ハ カタイカラ イヤダ
シカシ ハラガヘッタ
コイツヲ タベヨウ
シカタナイ ソウシヨウ
蓮は薄目で前を見た。前にいた男が口を大きく開けて、蓮の頭にかぶりつこうとしていた。
蓮は再度、目をぎゅっと瞑る。
その時、ガラッと戸が開き、「ひっ」と悲鳴が聞こえた。
「こ、これをやる!お前たちが大好きな幼女だぞ!これをやる代わりにその子をもらう!」
人間の男の声だった。蓮はゆっくり目を開く。
人間の男が、札のついた藁人形を床に放り投げていた。
オンナノコダ!!
オイシソウダ!!
影たちはその藁人形にたかり始める。
その間に人間の男は蓮を抱き上げて、祠から出る。
「気づくなよ、気づくなよ。ついてくるなよ、ついてくるなよ」
蓮を抱えた人間の男は、暗闇の山の中をひたすら走っていた。冷や汗をだらだらかきながら、自分を安心させるようにそう呟いていた。
そして、蓮をぎゅっと抱きしめる。
ダマサレタ
ダマサレタ
アイツハ ドコダ
後ろから影の声が聞こえる。
蓮の耳に接した人間の男の胸から、ドクンドクンと早い鼓動が聞こえた。
暗闇の中、光が見えた。
光をよく見ると、そこには人間の女が立っていた。そこに蓮を抱いた人間の男が駆け込む。女は急いだ様子で、自分達の周りに酒を振りまく。そして4つの札で周りを囲う。
「奴らが近くに来るけど、声を出さないで。わかった?」
人間の女が蓮に言い聞かす。蓮はコクンと頷いた。女は、近くにあった蝋燭の火に息を吹きかけて、消した。
たくさんの影が這ってくる。
ニンゲンノ ニオイガスルゾ
影が蓮達の周りをうろつく。
悲鳴をあげそうになる人間の男の口を、人間の女が手で押さえた。
しばらくすると、影達は通り過ぎて去っていった。
「もうすぐ夜が明ける。あいつらが帰るはずよ」人間の女が、小声でそう言う。
影達がまた現れた。
祠のほうへ戻っていく。
アア ハラガヘッタ
ザンネンダ
キョウハ アキラメヨウ
アシタ ムラデ ハラヲミタソウ
ソウシヨウ
影たちはそう言い山の奥へ消えた。そして、空は白く明るくなり、朝が来た。
「もう大丈夫ね」女がそう言った。
「こ、怖かった・・・」
男が自分の肩を抱いて身体を震わせた。
「蓮君、大丈夫?」
女の言葉に蓮は頷いた。男はその蓮の様子をじっと見ていた。
彼は、今まで怯えていた様子が嘘のように毅然した表情で蓮を見つめる。そして言った。
「蓮、俺は今日から君のお父さんになる。君の最初のお父さんに頼まれたんだ。いいね?」
間をあけず、女が突っ込んだ。
「いきなり言ったら混乱するでしょ」
男は、今度は女を見つめて言った。
「そして、君は今日から俺の嫁だ」
「え、え?」
女は動揺して、目を泳がせている。
「プロポーズだ、バカ!もう決めたからな!俺の嫁であり、この子のお母さんだ!」
「えー!?」
「おかあさん?」蓮が嬉しそうな顔で、女を見た。
その蓮の顔を見て、女はぐっと黙り込む。
「そうだ。彼女がおかあさん。俺がおとうさん。さぁ、帰ったらお母さんとお父さんの結婚式だ」
蓮を抱き上げて、男は朝日を見た。
「お前の忘れ形見は、俺が大事に育てるよ。だから、安心してあっちに行け」
男はそう呟いた。
蓮は本当に2人の息子になった。そして、外の世界を知って、気づいた。自分が普通の子供と違うことに。
蓮は普通の人が見えないものを視える。影のようなそれは、ぼんやりとそこに存在している。よく目を凝らせば、その影の輪郭がハッキリ見えてくる。誰もその存在に気づいていない。
ある日、疑問に思った蓮は両親に聞いた。
「おとうさん、おかあさん、あのおとこのひとはだれ?」
父は蓮の指差した方を見て、小さく悲鳴を上げた。そして、顔を引きつらせながら言った。
「ああ、なんだ驚かせやがって。あいつか。あいつは、俺の親友で蓮の最初のお父さんだ。蓮が心配だから、まだいるんだな」
「蓮を見守ってくれてるのよ。普通の人には視えないの。あの人は良い人だから大丈夫。けど中には悪い奴もいるの。だから、見つけても、お父さんみたいなビビリで面白い反応をする人には喜んで悪戯したり、脅かそうとしてくるから、蓮は知らんぷりしなさい」
微笑みながら言う母に、よく意味がわかってない蓮は頷いた。
最初のお父さんは、確かにただ蓮を見てるだけだった。しかし、蓮が楽しそうに今の両親と過ごしていると、自然と姿を見せなくなった。
最初のお父さんがいなくなってからも、蓮は違う影を時々見かけた。
よく目を凝らして見ると、その影は色んな形をして皆違ったみたいだった。
赤ちゃんから老人まで。
男性、女性、性別がわからない人。
動物や、形になっていないモノ。
様々だった。
蓮が見ていることに気づくと、脅かしてくる。蓮がキョトンとして反応しなかったら、つまらなさそうに引き下がるモノもいたし、憑いてくるモノ、襲ってくるモノがいた。そういう時は、父か母が追い払ってくれた。父は悲鳴を上げながら、母は淡々と冷静に。
反応の良い父に喜んで影は集まった。それを母がため息をつきながら、追い払う。
なるほど、と幼いながら蓮は学んだ。確かに気づかないふりをしておいたほうが懸命なようだ。父のようにならずに母のようになろう、と決心した。
そして、蓮が2人の息子になって1年後、妹が出来た。猿みたいで何もかも小さいその存在に感動した。
赤子である彼女ーーー灯にも影が見えているようで、影を見たら、すぐにぎゃーと泣いた。しかしら喜んで脅かしてくる影に、今度は彼女はあやされてると勘違いして、キャッキャと笑う。
何てバカな生き物なんだ。
蓮は思った。
この子は父親似だ。ビビリでバカな人種だ。兄である自分が守らなければ、と決心した。
灯が大きくなるにつれ、分かったことがある。灯は視える力は蓮や両親を上回るものだということに。
蓮の場合、人にならざる者は、ぼんやりと影にしか見えない。目を凝らしてようやく姿形が分かるくらいだ。それは両親も同じらしい。
しかし、灯は違った。普通に視えるのだ。そこに霊がいたとしても、普通の人として視える。
だから、厄介だった。友達を連れて来たと思ったら、生きてない友達だったり。犬を拾ってきたと思ったら、物の怪の類だったり。
そして、バカだから気づいていない。
いくら、諭そうとしても、ぼけっとしていて聞いてなかったり、へらへら笑っていたり、勘違いをしていたり。母は、灯は怖がりだから、本能で気付かないようにフィルターをかけているのではないかと見解を述べていた。
家族が手を出さなくても、ほとんどは灯自身で解決するから、蓮はあれこれ口うるさく言うことは辞めた。と言っても、やはり時々心配で口を出してしまうが。
蓮はいざという時に、妹を守ることにして、それまでは好きにさせようと決心した。
「蓮君ってミステリアスだよね」
「独特の雰囲気」
「クールで何考えてるのか分からない」
「それが素敵なんじゃない」
「かっこいいよね」
「あ、ため息をついた」
「悩んでいるその姿も素敵」
「ストイックな感じもいいだよね」
「けど、この前女の子といたんでしょ?」
「ああ、噂で聞いた。いつもの雰囲気と違って人間らしかったみたいだね」
「人間らしいって何よ。人間じゃない」
「人間だけど、浮世離れしてるじゃん」
「まぁ、確かにね」
「一緒にいた女の子って妹らしいよ」
「えー、優しいお兄ちゃんなの?ますます素敵」
「あ、蓮君、うとうとしてる」
「寝不足かな?」
大学の講義中、女子たちが小声で蓮を見ながら喋っている。
ああ、眠い。
蓮は欠伸をして、机に突っ伏して瞼を閉じた。寝不足だったのだ。妹の灯のせいだ。
蓮は昨晩の事を思い出す。
蓮はベッドの上で本を読んでいた。
そうしたら、隣の灯の部屋から悲鳴が聞こえたのだ。バタバタバタとうるさい足音が聞こえ、バーンと蓮の部屋のドアが開いた。
「お、お、おにいちゃん。ど、どろぼー」
青白い顔で灯は蓮にそう言った。蓮は舌打ちをして、心の中で悪態をついた。
バカ親父め、結界を修繕するのをサボったな。
蓮は、灯に蓮の部屋で待ってろ、と言い、灯の部屋に行く。灯の部屋には、人に化けた狐男がいた。
「なんだ、お前か」
蓮は狐男を睨む。
「お前のバカな父に会いに来たんだがな。ちょうどよく隙間があったから家に勝手に入らせてもらったよ。けど、あのバカ寝てたから、久しぶりに灯と遊んでやろうと思ってな。ククッ、それにしても、あの子はいつ脅かしても面白いな。心が清いのも好ましい。おい、坊主、あの子をくれよ」
「やるかよ」蓮は即答した。
「油揚げやるから、さっさと出て行きな」
蓮がそういうと狐男の尻尾と耳がピンと立つ。蓮は台所に行くと、リビングのソファで寝ている父を見つけた。叩き起こして、結界の修繕をするように言う。
父は、「あと5分」というふざけた寝言を言っていた。
とりあえず、油揚げをとってきて狐男にやる。
「おお。ありがたや。またくるよ」
そう言って、笑いながら狐男は狐になり、油揚げを咥えて消えた。
再度、父を叩き起こして、強制的に結界の修繕をさせた。起きた父はメンゴメンゴとふざけた謝罪をして、蓮は本気で殴ろうか悩んだ。
蓮は、灯の待つ自分の部屋に戻る。
「お兄ちゃん、泥棒は?」
不安そうに訪ねる灯の頭をポンポンと優しく叩く。
「あいつは、親父の友達だよ。もう帰ったから大丈夫だ」
「本当?」
「ああ、兄ちゃんを信用しろ。明日は月曜だ、早く寝ろ」
「うん、わかった」
灯はそう言うとバタバタと出て行った。
蓮はベッドに潜り込んで、また本を読み始めた。
またバタバタと足音が聞こえて、蓮の部屋のドアがバーンと開いた。灯が、亀の枕を手にして、蓮のベッドに潜り込んできた。既に横になっている蓮を奥に押しやって、だ。
蓮は、ため息をつく。
灯は、小さい頃から何か怖いことがあった日はこうやって蓮と一緒に寝たがる。蓮が母のところに行け、と言ったが、お父さんが「お母さんは俺のだから灯にはあげないよ」って言って一緒に寝てくれないのだ、と泣いていた。その姿をみて、可哀想になり、蓮が一緒に寝るはめになった。お互いに大きくなった今でも、それは変わらない。
蓮はまた本を読み始める。灯も一緒にその本をのぞく。
見てもわからないだろうに。蓮がそう思うと、案の定、灯は欠伸をした。
そして、数分たたないうちにクウクウと寝息を立てて寝始めた。
蓮はそれを見ると、本を閉じて電気を消した、蓮も寝ようと瞼を閉じた。
しかし、寝れない。いつものことだが寝れない。
灯は寝相が悪い。小さい頃から蓮を抱き枕にする。それは今もだった。
おい、俺も男なんだぞ。お前は知らないだろうが、血も繋がってないんだぞ。
灯の寝顔に、そう心の中で訴えかけるが、もちろん灯が気付くわけもなく。
蓮の夜は更けていった。
蓮は講義中に夢を見ていた。懐かしい幼い頃の夢だ。
灯が4歳、蓮が8歳の頃だ。灯が泣いていた。蓮が近寄って声をかけた。
「あかり、どうしたの?」
「お、おとうさんがね、おかあさんはおとうさんのものだから、あかりはおかあさんにいっぱいあまえちゃだめっていうの」
灯の大きな瞳から大粒の涙がポロポロと落ちる。
「お父さんのいうことは聞かなくていいよ。お母さんはあかりのお母さんでもあるからいっぱい甘えてもいいんだよ」
「なんで、おとうさんはおかあさんにいっぱいあまえるの?」
「えっと、お母さんはお父さんの奥さんだから、きっといっぱい甘えていいんだよ」
「じゃあ、あかりはだれにいっぱいあまえたらいいの?あかりもおくさんをさがすの?」
「あかりは結婚して旦那さんを作らなきゃね」
「だんなさんって?」
「あかりの大好きな人が旦那さんになるんだよ」
蓮がそういうと灯は笑顔になり、蓮に飛びついてきた。
「あかり、おにいちゃんのこと、だいすき!おにいちゃんもあかりのことすき?」
「す、好きだけど」
「じゃあ、けっこんして、おにいちゃんがだんなさんになったら、あかり、いーっぱいおにいちゃんにあまえれるんだね!」
そう言った灯は、蓮にちゅっとキスをした。
2人のファーストキスだ。
「はい、けっこんしたよ。じゃあ、あかり、いまからおにいちゃんに、いーっぱいあまえるね」
「みてみて、蓮君、寝ながら笑ってる」
「うわぁー、かわいい」
「いい夢みてるのかなぁ?」
「めっちゃ幸せそうに笑ってるね」
蓮は夢を見ながら、微笑んでいた。
to be continued
いつかの新聞から引用:20××年×月×日、限界集落である××村の村人が全員死亡。獣のようなものに襲われた形跡があり、警察は熊である可能性があると調査している。