霊験あらたかなりや
夜も更けた。
オレは、話を切り上げることにした。
いや、オレ達、別れの挨拶は済ませてたよな?
「さっきの男達、さらぞうがぶん殴って追い払ってくれたのは分かったけれど、最後に何かしてなかった?」
「けけけ!聞いてくれて、ありがとよ!」
オレは、草葉の陰から「オレの姿を見ても逃げ出すなよ?」と声をかけながら姿をさらすと、例の如く甲羅から膏薬を2つ取り出した。
「さぁて、お立ち会い!ここに取り出しましたるは、河童の妙薬でござい!打ち身、切り傷、熱傷、骨折──たちどころに癒やしてご覧に入れましょう!」
「傷薬を塗ってあげてたの?優しいのね…。でも?」
「おかしいよな?一瞬でぶん殴ってのした連中を、一瞬で癒やしてしまたったら、まるで何ごとも無かったみたいだ」
コクコクと頷く笑。
いや…その仕草、可愛いとは思うよ?
妙な未練が残っちまいそうだぜ、ちくしょうめ…。
「これがカラクリだ。こちらが、霊験あらたかな河童の妙薬。そしてもう一つが奴らに使ってやった──粗悪品だ。少々、呪いも施してある」
「呪いと書いてマジナイと読む…よね?ノロイ?」
「けけけ!いい感してるねぇ!その名も“河童のタタリ”だ」
「覚えているか?男は正気を失い粗暴になり、女は色気狂いになるってやつだ」
「…ということは?」
「こういうことだ」
「こっちの粗悪品は、損傷が元に戻ろうとする効力を一切除いて、接着力ばかりを強くしてある。とりあえずなら、傷が一瞬で引っ付くし痛みも消えるが、“そのまんま”だ。例えば、骨折した脚の折れた骨や周辺の筋肉が、折れた当時のままの形で無理矢理引っ付くと…どうなる?」
「うわ…!」
「顎に、腕、骨盤に膝…粉々に砕いたつもりだ。それと全員にはもれなく、睾丸を踏み潰しておいてな?」
「連中、一瞬で痛みが消えて動けるようになった途端に、一目散に逃げて行ったよな?今頃、自分達の異常に気付いて大騒ぎしている頃だろうぜ」
「うわ…!すごいね、そのポーション!外科の先生が知ったら、泣いて喜ぶよ!」
「ポーショ…。霊験あらたかな河童の妙薬だっつうの!」
「ごめんなさい」
「え…と、もう色々、一生使いものにはならないのかな?」
「たぶんな。念のため、呪いも施しておいた。効能は、“制服の人間を見ると、何故か正気を失い闘争心が抑えられなくなる”だ」
「…それって?」
「制服の警官にでも遭ってくれたら、勝手に捕まりに行くだろうな。もう一生、病院から出てくることはないかもしれん」
「あ…。え…。うわぁ…」
「霊験あらたかな高位高僧にでも払ってもらわなければ、一生あのままだ。まあ、今どき世襲の生臭坊主どもには絶対無理だがね。オレがそんな徳を積んだ高僧に出遭ったのは、軽く100年以上前の話で、以来遭ってないくらいだ。そもそも連中、異教徒だろ?」
「あ~、チュパカブラ?」
「そうそれ。河童はUMAじゃないっつうの!あいつら、本当に文化が違うよな!」
「オレ達は、系統樹の中にある生物じゃない」
「エクソシストに頼んでも、無理なんじゃないかな?キリシタンの間で見かけた宣教師が河童退治したって話なんか、あるのか?オレは知らないぞ?」
「それは…ちょっと面白いかも?」
「何処の国の皆様が視聴してくださる、B級ホラーさね?」
「さらぞう」
──かしこまって、笑が聞いてきた。
「もしかして、“しかえし”をしてあげたの?」
「違うよ」
オレは答える。
「河童は、どんな汚水の中だって生きていけるが、元来きれい好きだ」
「昔からな…、って言うか昔ほど、水辺で人間はよく死んだんだよ」
「人間、それも子供なんかが居なくなってみたりすると、村中総出でため池や川やら浚ってな。もう大騒ぎさ」
「…」
「水は濁る。食い物の魚はどっかに行っちまう。いい迷惑だ」
「しかもな、溺死した水死体ってのはこう…肛門が開いたように見えるんだが、これが“河童が尻子玉を抜いた痕だ!”とか言われてな、とんだ風評被害を受け続けるんだよ」
「まあ、実際にそんなことはなくとも、死体が上がった水場で獲れた魚とか、何だかばっちくなって美味くなくなるのは人間も河童も同じだ」
「だからな、オレ達は水場で遊ぶ子供とかを見付けると、足を引っ張って脅して追い払ったり、入水しようとする人間を説得して思いとどまらせたり、環境保全に努めるエコな怪異ってやつを歴代に渡って続けてきたんだ」
「…」
「…それだけだからな!?」
「うん。わかった」
──大小貴賤を問わず与える者が神なれば。
オレは、幕を引くことにした。
「知ってるか、笑?オレ達の仲間には、子宝の神様として祀られてる奴がいるくらい、そっち方面にも御利益を与えられるんだぜ?」
「そうなの?でも、私に御利益は…難しいんじゃないかな?」
「さて、こっちは粗悪品じゃない方の、正真正銘の“河童の妙薬”だ!」
オレは、もう一つの膏薬を笑に見せる。
笑の顔に、オレに対する恐怖は無い。
「霊験あらかた、刀で切り落とされて3日も経った仲間の腕を、接合し、機能回復までさせたっていう優れものでな…猛烈な再生力がある。つまり、何でもかんでも元通りに成る魔法の薬だ」
「ハイポーション…いや、エリクサーだね!」
「けけけ!まあ、そんな感じだ」
オレと笑の間には距離がある。
だが、それは大した距離じゃない。
「笑は、今も女の月のものが来ると、つらいのかい?」
「そうね。でも最近は、そもそも毎月ちゃんと始まったりしないから…ある意味助かってるのかな?」
「治るぜ?」
「え…」
「どうにもおかしいと思っていたんだ。心の持ち様の方はもう十分回復している笑に、オレが見えて、会話まで出来ている」
「見た目は普通にしか見えない。だが…死んでる場所があった」
ここまで言えば分かるか…ハッとした笑に、オレは構わず続けようとする。
「待って!私はもう離婚しちゃってるし、子供も絶対に欲しいって訳じゃないの!もういっそ、このままだって…」
「知らねえな。言っただろ?男ってのは、総じて、ナイーブで身勝手で、独りよがりのしょうもない連中ばっかだ。だから…これもオレの自己満足だ!」
オレは、膏薬を手にたっぷりすくうと、ポンッと音の出る勢いで腕を伸ばして、笑の腕に塗りつけた。
「ひっ!」
笑は、膏薬の感触か伸びてきた腕にか、悲鳴を漏らす。
ああ、それでいい。
今度こそ、お別れだ。
「この膏薬は経皮吸収されて、全身に作用を及ぼす」
「実際の効能は、再生というよりは復元に近い。綺麗さっぱり元の通りに戻るよ…。“壊れていたところ”が」
「お腹が…温かい?」
「ついでで悪いが、幾つかの副作用についても、説明しておこう」
「…」
「笑の場合、子宮や卵巣が10代の頃に近い所まで若返る可能性が高い」
「女性の外観は、そっちの影響をかなり受ける」
「微妙に、周囲が驚くほどの若返りを体験するかもしれん」
「そして…産まれてくる赤ん坊には、紅毛の者が現れるはずだ」
「不貞の疑いをかけられたりしないように、気を付けろ!」
「私…もう、子供はいいの!」
「勘違いするな。オレは笑に“人生をやり直せ”と言ってるんじゃない。“選択肢”を戻してやっただけだ。あとは好きにしろ」
「勝手な話ね」
「そうだ。男の身勝手さ」
「馬鹿…」
「馬鹿だよ?」
「馬鹿ね…」
「最後に、自己紹介の口上でも述べて終わるとしよう…」
オレは、大仰な身振り手振りで、舞台俳優のような所作で言う。
「小生、この地のすり鉢池に棲むと伝わる笑う河童であります。
古来よりこの地に住まう、土着の水神の裔でありもうす!」
「…さらぞう?」
ああ、“見えなくなった”。
良いタイミングで、即効性だ。
まさに、奇跡の薬だね。
オレは、「さらぞう…!」と叫ぶ笑の声を尻目に、草むらの中を去り、皮に飛び込んだ。
ドボンという水音と、「けけけ!」というオレの声くらいは、笑の耳に届いたかもしれない。
これが、この夏にあった出来事だ。
もうちょっと筆力が欲しかった…。