石女と呼ばれて
差別用語で呼ばれたからって、それが正しいとは限らない。
実際にありそうな話を適当に作ってみた訳ですが、数年後の今になって読み返して、あまりのリアリティにちょっとゾッとしました。
私、川澄笑は最近になって離婚した。
結婚してそれ程時間もかからずに割とパパッと離婚してしまったから、年齢はまだアラサーで20代の方。
旦那とは恋愛結婚で、実は古くからの幼馴染みだ。
それでも、結婚生活は短かった。
原因は、私の不妊と旦那の浮気。
旦那とは高校も同じで、この頃に一度、私は妊娠している。
もちろん、旦那の子だ。
仕方がなかったのだけれど、まだ学生だからと、周囲の説得もあってこの時の子は中絶した。
今にして思えば、これが失敗だった。
私的には、旦那のことは愛していたし、将来は結婚して一緒になるつもりだった。
お義父さんやお義母さんとも上手くやっていくつもりだったから、実の両親の忠告よりも、そちらを優先してしまったんだ。
──「理由はどうあれ、中絶はやめておけ」。
うん。
お父さんは獣医師で、お母さんは看護師で、どっちもそっち畑の人達だから、職業倫理的に中絶は受け入れられないに違いないと、当時はそう思ったんだっけ。
そっち畑はそっち畑でも、本当に体に悪いからだとは思わなかったんだよね。
私こそ、考えが甘かったよ。
「すぐに良くなりますよ」と、お医者さんは言ったけれど、手術後の目まいや頭痛、吐き気や嘔吐に始まって、生理のような痛みが続いたんだ。
この時点で私の方はフラフラで、学校に通うどころではなく、病院から帰った後も毎日朝から家で寝たきり…こんな暮らしが一月くらい続いたよ。
早い人は、すぐに良くなるんだってね。
ええ、私はそうじゃなかった。
なまじ、ベットから起き上がれない時間が長かったのがいけなかったんだろうね。
これは罰なんだ、私は悪い事をしたんだって、命を消してしまった、殺してしまったという罪悪感がドンドン押し寄せて来るし、いつまで経ってもお腹が痛いから、次は妊娠できるんだろうかとか不安になってみたり…気が付いたら、そんな事ばかり考える様になっていたな。
ビフォーとアフターでこんなに違うって話にはまだ続きがあってね、私、元々は生理が軽い方だったんだ。出血の多い子や辛そうな子、同級生にもたくさん居たんだけれど、私はそういう事が本当に無くって、体育の授業なんかも殆ど休んだことがなかったの。
その後はね、生理が来る度にね、いちいちしつこくて、ものすごい辛くなったの。
もう、それこそ信じられないくらい。
毎月ね、もう痛いわ辛いわ苦しいわ…お医者さんが言うには、そういう人は珍しいんだって。
初めの頃は、気にしすぎているのではないかとか、すぐに良くなると言われたんだけどね。
全く、そんな気配はなかった。
だから私は、余計にその変化を自分への罰だと思って行ったんだと思う。
子宮内膜炎、子宮頚管損傷、子宮腔癒着症、子宮復古不全、中絶後遺症候群…色んな病名をお医者さんから告げられたわ。
両親は、「失敗だ。雑な仕事だ。正真正銘の藪医者だ!」と言って怒っていたけれど、私はそうは思わなかった。
だって、私にとってそれは少しもおかしい事じゃなかったんだもの。
結局、同じ年だった旦那は先に卒業して、私は1年遅れて高校を卒業したの。
大学進学とかも考えたんだけど、結局は母と同じく看護師になろうって考える様に成ってね、看護学校に通ったわ。
え?
今なら、大学でも看護が学べるって?
大学と専門学校の違いはね、勉強するか働くかって事なのよ。
専門学校なら、三年で国家試験が受けれて、すぐに現場で働けるの。
私は、すぐに現場で働きたかったの。
両親はともかく、義両親の方は私に言いたい事があったみたいだけどね、中絶の件があったから、この時は強く出てくるって事はなかったかな。
旦那?
もちろん、続いていたよ。
そうでなければ、結婚なんてする訳がないじゃない。
あいつは、それでも私を気遣ってくれたし、謝ってもくれたし、実際にお金を出したのは義両親だとしても中絶の費用も全額払ってくれたよ?
うん…ちゃんと避妊もしてくれるようになった。
ただ、“自分の子供が出来た”とか“自分の子供が居なくなった”っていう実感が足りなかったんだと思う。
どこか他人事で、良くも悪くも“私だけ”を見ている感じだったかな。
旦那が大学を卒業して会社に就職したのと、私が看護学校を卒業して病院に就職したのは、同じ年になったわ。
それから二年ほどして、今度こそ私たちは婚姻届を出して結婚したの。
結婚を契機に、私は家庭に入って専業主婦、旦那は会社勤め。
私は家を出て、旦那の家で義両親と同居することになったわ。
同居と言っても二世帯よ。
そうは言っても、今思えば、家政婦兼…子を産む機械として就職したみたいなものだったかな。
昔の事は忘れてしまったのか、義両親は「早く孫の顔を見せろ」と信じられないくらい積極的だったわ。
そんなに孫の顔が見たかったなら、高校の時に産ませてくれたら良かったのにね?
この先の話は…端折っちゃっていいかな?
結婚した後、私と旦那の間には子供が出来なかったの。
もう夜ごと励むとかね、そんな感じで頑張るんだけどね、今度は全然、出来なかったの。
就職したころからしばらくは落ち付いていたのにね、また生理が来ると辛くなる様になって…。
私は、サクッと決断して、結婚1年目が過ぎた頃に不妊治療を受けることにしたの。
20代で不妊治療なんて…って、義両親は不満だったみたいね。
でも、私は自分の妊娠能力に自身がなかったし、不妊治療は夫婦の協力に基づいてやるものだって思い込んでいたから、旦那を説得して義両親を黙らせて、産婦人科に通ったの。
そうしたらね、不妊の原因は私だけじゃなくて、旦那にもある事が分かったんだ。
乏精子症、精子の数の少ない、子供の出来にくい体質の男性のことね。
性交後試験の結果はさらに最悪、生きてる精子が見当たらないって言われちゃった。
確かに、学生の頃は子供が出来たのにね。
おかしいでしょ?
私も驚いた。
旦那はこのことを、義両親に話したわ。
まあ、夫婦のことは親にも黙っとけって意見もないじゃないと思うけれど、周囲の理解は必要だしね、私はどっちでも良いかなとは思う。
ただ…あの人達の、私への当たりがキツくなっていくキッカケには成ったかな。
やれ、畑が悪いんだと。
そんなだから、息子の種が無くなったんだ…と。
もうね、あなたの息子の子供堕ろさせられたの、私なんですけど(!)って、何度も喉元まで出かかったよ。
気が付けば、私、“気の利かない家政婦”になっていたわ。
あの人達のことは、子供の頃から知っていたし、嫌いではなかったんだけどね。
それでも、私は子供を諦めてはいなかった。
私の中絶をした先生っていうのはね、看護師になった今だから言えるんだけど、中堅どころの中の上くらいの仕事を堅実にこなすタイプの産婦人科医で、比較的若手の勉強熱心なタイプの人だったの。
実の両親はボロクソ言ってたけれど、それでも医療訴訟とかにならなかったのは、やっぱり同じ様な畑の人達でしょ、自分達の娘の時に限って上手く行かなかったけれど相手がそんなに変な医者じゃない事は分かっていたみたい。
──口を開けば、悪口しか出て来ないけどね。
この先生が、“不妊治療ならここに行け”と言って紹介してくれたのが、私のかかった病院で、つまり、かなり実力と実績のある所だったのよ。
私は、体外受精も試してみるつもりだったわ。
今さらだけどね、不妊治療っていうのは女性側の負担が凄いのよ。
男性側もね、血液検査とか、無いじゃないけれど段違い。
血を抜かれるだけじゃなく、子宮造影とか、注射とか…痛いわ、つらいわ、時間も取られるし、何も出来無くなる日が多いの。
旦那は会社で稼いで金を出し、私は不妊治療で産婦人科に通ってお金を溶かすって感じだったかな。
専業主婦で時間に余裕があったから、諦めるつもりはなかったわ。
その話を聞かされたときは、青天の霹靂って感じだったかな。
旦那が浮気してて、浮気相手との間に子供が出来たって言うのよ。
“どうだ!”って、得意な感じで言われたよ。
義両親なんか、さっさと別れて、そっちの人と再婚しなさいって、大興奮だった。
つまりね、私の知らない間に旦那は不妊治療から逃げ出して、他の女と子供を作ってたってわけ。
“いつから”って聞いたら、性交後試験の結果を聞いた後からだって。
もう、その頃には私、見捨てられてたのね。
そもそもの子供が産めなくなった原因を作った人が、まさか私を見捨てるとは考えてなかったわ。
長々と続く協議離婚とか、泥沼の離婚劇とかには、しなかった。
どうして良いか分からなくなって実家に相談に行ったら、血相変えた両親が義両親と旦那の所に怒鳴り込みに行って大騒ぎになってね。
慰謝料をどうするって聞いたら旦那と義両親から「不妊治療に幾ら使ってやったと思ってるんだ!」って、まるで泥棒みたいに言われたこととか、「嫁にもらってやっただけでもありがたく思え!」とか、もうぐちゃぐちゃだった。
呆れるやら悔しいやら、100年の恋も一夜で冷めるって、ああいうのを言うんだって思ったな。
決定的だったのはね、旦那の浮気相手の人に会ったから。
怒りの感情とかもあったはずなんだけどね、一目見た瞬間に、私は何も言えなくなっちゃったな。
その人ね、もう二十歳はとっくなんだろうけど、高校生の頃の私に似ていたの。
背格好もそうだし、髪型とか、笑ったときの感じとか、明るい感じが。
中絶を経験した後の私は、お世辞にも“明るい”って感じの女の子ではなくなっていたから…。
負けたって思ったわ。
いえ、呆れたのかしらね。
その翌日には離婚届を取りに行って、名前書いてハンコ付いて、旦那に渡したわ。
「お金は要らない。さっさと別れて!」って。
実際には、荷造りその他を済ませて引っ越し屋に荷物を片付けてもらうまでに1ヵ月くらいかかってしまったけれど、私は逃げる様に元義実家を飛び出して実家の方で寝泊まりしたわ。
もちろん、その間元旦那とも元義両親とも口も聞かなかった。
その後もしばらくは、実家で無為の日々を過ごしたかな。
資格って大事よね。
私みたいな女の独り身でも、すぐに就職先は決まったわ。
日勤のみの医院で、周囲には理解もあって生理休暇も取りやすい、そういう職場だった。
学ぶことはたくさんあったし、それなりに毎日は楽しかったんだけど、気持ちがしぼみきってしまって、毎日を惰性に過ごしている感じだったかな。
なんとなくだけど、あの人の出産予定日が近付く頃になって気持ちが沈むようになってね…。
そんなある日の夜だったかな。
さらぞうに会ったのは。
第一印象は、謎のゴブリン──河童とは思わなかったわ。
さらぞうの事をゴブリンだと思ったのは、私が繰り返しベットから起き上がれなくなる日々を過ごしていた頃、ゲーム三昧の日々を送っていたから。
RPGでは定番の雑魚モ…雑魚って言わない方が良いのかな?
今どき、河童はないかな?
ふふ…。
なんでそう思っちゃったのか…堕ろした子供が育っていたら、これくらいの大きさって思っちゃったんだよ。
おおよそ、人間とは似ても似つかない姿なのにね。
楽しかったんだと思う。
河童の生態(?)についてムキになって語るあなたが、人間の男の子みたいで…。
ごめんね。
私の場合、かなり育っていて、法律上の中絶が出来る上限に近かった。
性別が分かったりするはずのない時期なのだけど、なんとなく堕ろした子の性別は…男の子だと思っていた。
怖いはずがないじゃない。
実際は、もっと“おじいちゃん”なんだって本人言うんだけど、私は河童になって現れた息子と話しているような気分だったわ。
──そうだね。私は、次第に“生き返って”いったんだと思う。
私が、さらぞうが“怖くなった”理由は…なんなんだろうね?
今日ね、実は…朝仕事に出かける前に、元旦那が実家にやって来たの。
お父さんもお母さんも顔を見るなり激怒してね、「出ていけ!」って、それはもうすごい剣幕だった。
それでも、「頼む!話を聞いてくれ!」って叫ぶ元旦那の必死な姿に思うところがあってね──あんなに真剣な様子を見たのは、そういえば初めてだったのかな?
家に上がってもらって、話を聞いたの。
お陰で、今日は仕事を休んだわ。
耳を疑うっていうのは、ああいうのを言うのね。
唖然としたわ。
元旦那は、なんて言ったと思う?
「君とやり直したい」だって。
滅多にあることじゃないと思う。
出産は、無事とは言えなかった。
元旦那と新しい嫁との間に出来た子は、女の子だったそうだ。
──実は、新しい嫁が二股かけていて子供は他人との間の子でしたとか、子供が死産だったとか、そういう展開ではなかったわ。
つまり、新しい嫁は、その女の子の母親は、自分の子供の顔を見ることなく死んでしまったのだそうだ。
子供は無事、母親は死亡。
まあ、あり得ない話じゃないのかな。
時代の変遷で、医療情報とか看護師の制度とか、色々変わるので、これを書いた当時、こんな感じと理解だったという内容です。
人工中絶については、やむを得ない事情で行うものなので仕方ないのですが、大半問題ない一方で、時々年余に渡って精神的肉体的に苦しむ方が現れてしまうのも事実です。
結論「やってみれば分かる」という要素がぬぐいきれないので、出来たらリスクを避ける方向で、みんなチャンと避妊しようねという話に落ち着きます。