ある理由により、ともにランチタイムを過ごすのが耐え難かった
なろうさん初投稿です。よろしくお願いいたします。
マセラッティ王立学院は、マセラッティ王国の貴族の令息令嬢が、十五歳からの三年間、教育を受ける高等教育機関だ。病弱であるなどの特別な理由がない限り、すべての貴族がこの学び舎に集うことになる。
王立学院にある大きなカフェテリアは、美しい庭園を眺めながら食事をすることができる。昼に出されるランチは何種類か選ぶことができるうえ、味も良いという評判があることから、多くの生徒がこのカフェテリアを利用していた。
昼の休憩の時刻になり、カフェテリアには多くの生徒が集まっていた。そこへ、にぎやかな一団が入ってきて、皆の目を引いた。一人の女子生徒に四人の男子生徒。いかにも男女比が良くない組み合わせのその集団は、生徒たちの話題の的になっていた。
その集団の中心にいる可愛らしい女生徒は、この四月から第三学年に転入してきたミア・スバル男爵令嬢だ。彼女は、スバル男爵の庶子で、平民として暮らしていたが、昨年、母親が亡くなったため男爵家に引き取られた。
ミアは、色白で大きなピンク色の瞳をした可愛らしい顔をふわふわのピンクブロンドが縁取り、小柄で華奢なのに胸が大きい。そう、ミアは、いかにも男性に好まれるタイプの女性だったのだ。
そのスタイルに加えて、明るくて物おじしない態度が可愛らしいといわれ、男性にとても人気があった。
一般的に貴族令嬢は、表情を明確には表さず、感情を抑えて落ち着いた態度をとるよう教育をされている。
平民として生活していたミアは、その中に放り込まれた異端者だった。
そう、貴族令息たちには、くるくると表情を変え、言いたいことを大きな声でしゃべるミアが、生命力に溢れた魅力的な女性に見えたのだ。
転入してきたばかりの頃は、ミアの貴族としてのマナー教育や教養教育は、まったく足りていなかった。しかし、男子生徒からはむしろそれが、気取った貴族令嬢より好ましいと思われる要素になったようだった。
現在、カフェテリアでこの集団が注目を浴びているのは、ミアを取り巻いている男子生徒の身分が錚々たるものものだったからだ。
その顔触れは、マセラッティ王国王太子フレドリック殿下、将来の宰相といわれるアーノルド・フェラーリ公爵令息、外務大臣の子息であるブライアン・シボレー伯爵令息、そして、フレドリックの護衛騎士となるといわれているダグラス・プジョー子爵令息だ。全員第三学年の彼らは、それぞれが優秀で、見目も麗しく、将来有望とされている。
その有望なマセラッティ王国の王太子とその側近たちが、一人の男爵令嬢を囲んでいるのだ。生徒たちの注目が集まるのは、当然のことであるといえる。
カフェテリアを訪れたミアを囲むその集団に、侍女と護衛を連れた女生徒が近づいてきた。校内であるため、彼女はフレドリックに略式の礼をした。
美しく完璧な所作を見せた女生徒に、フレドリックは声をかける。
「ブリジット」
「フレドリック殿下、ご機嫌麗しゅう。
恐れ入りますが、このお昼休みの間に少しお時間をいただいてよろしいでしょうか。お話がございますの」
銀色のまっすぐな髪と水色の瞳を持つブリジット・テスタロッサ公爵令嬢は、フレドリックと同じ年齢の婚約者である。わずか五歳で婚約が結ばれたため、幼いころから王妃教育を受けてきたブリジットは、『完璧な淑女』であるといわれている。
その完璧な淑女は、まったく隙の無い動作と美しい発声で、フレドリックに話しかけた。
四人の令息がミアとともにランチタイムを過ごすようになって以降、カフェテリアでブリジットがフレドリックに話しかけたのは、初めてのことだった。
カフェテリアの生徒たちは、そのことに色めき立った。
「……そうか、わかった。皆、わたしはブリジットとランチをともにするので席を外す」
「かしこまりました、フレドリック殿下」
アーノルドがフレドリックの意思表示に頷き、フレドリックは立ち上がって、その場を離れようとする。しかし、それを遮るようにミアが大きな声を出した。
「ええーっ、フレドリック殿下、行っちゃうんですかあ。ブリジット様が、あたしたちと一緒に食べればいいじゃありませんかあ。ひとりじめするなんて、ずるいですう」
「ミア、失礼だよ。
フレドリック殿下、ブリジット様、申し訳ございません」
「えええ、でもお」
「ミア! 黙って」
フレドリックの腕を取ろうとしたミアを窘め、謝罪をしたのはダグラスだ。注意を受けたミアは、まるで子どものようなふくれっ面をしている。
ダグラスのプジョー子爵家とミアのスバル男爵家は、遠縁にあたる。スバル男爵家は、王都にタウンハウスを持っていない。そこでミアは、王立学院に通う間だけプジョー子爵家に、預けられることになったのだ。
本来ならダグラスの一つ年下の妹、現在第二学年のキャサリンが、女性同士ということもあり、新しい生活に慣れるまでミアのお世話をすることになっていた。それが、早々にキャサリンとミアは仲違いをしてしまい、ミアはダグラスの傍にいることが多くなったのだ。
ミアは、ダグラスと同じ第三学年であることを、キャサリンから離れるための言い訳にしていた。
普段はミアのちょっとしたわがままを可愛いと思っているダグラスだが、ブリジット相手にはさすがに通用しないだろうと思う程度の認識はある。ミアの不躾な発言を聞いたブリジットがどのような反応をするかと想像して、ダグラスは青くなった。
「ダグラス様、お気になさらないでください。それからスバル男爵令嬢、わたくし、貴方に名前を呼ぶ許可は出しておりませんので、ご注意くださいませ。
では、皆様、わたくしがフレドリック殿下をお預かりいたします」
「皆、また後で」
ブリジットは残される四人に、完璧な淑女と呼ばれるに相応しい微笑を浮かべ、言葉をかけた。
ダグラスは、ブリジットが優しい声と笑顔を向けてくれたことで、ミアを許してくれたのだろうと、ほっと胸を撫で下ろした。
おそらくブリジットは、ダグラスがミアを注意したことを受けて、無礼を見逃してくれたのだろう。ミアは、ブリジットにまだ何か言いたいようだったが、ダグラスは必死にミアを抑えてこの場をやり過ごした。
ブリジットは美しい笑顔で、フレドリックと目を合わせて頷く。フレドリックはそれに応えるように微笑んで、ブリジットに手を差し出した。
金色の髪に青い瞳の絵本の王子様のような美しさを持ったフレドリックが、銀色の髪に水色の瞳の人形のような美貌を持つブリジットをエスコートしていく様に、カフェテリアにいる生徒たちは、ほうとため息を吐いた。
フレドリックとブリジットの姿を見て、お似合いの二人だという声と、あの噂は真実ではないのかという声が、生徒たちの間でひそかに囁かれている。
あの噂……
そう、最近、王立学院ではある噂が広がっていた。それは、フレドリックがミアを寵愛しているのではないかというものだ。
いつの頃からか、フレドリックとその側近たちがランチをとるテーブルに、ミアが同席するようになっていた。
三年生から転入したためになかなか学院に慣れないミアが、遠縁のダグラスに纏わりついていることで、そのような状況になったのだろう。最初は皆、そんな風に思っていた。
そう、周囲の生徒はミアが学院に慣れれば、所属する淑女科の女子生徒たちと仲良くなって、その友人たちと行動するだろうとざっくり考えていた。
しかし、ミアが転入して来て、もうすぐ半年になるというのに、未だにミアは休憩時間には淑女科の同級生ではなく、わざわざ騎士科に行って、ダグラスやその周辺の男子生徒と親しくしている。さらには、ランチタイムには、フレドリックとその側近たちと同席しているし、フレドリックや側近たちは、ミアの話を面白そうに聞いているように見える。
また、最近になって、放課後の側近方のサロンにも参加するようになっているらしいといわれている。
つまり、淑女科の女子生徒と仲良くなることはなく、ここに至っては学院のトップといえる男性に近づいている。そういう行動をしているのだ。
ダグラス以外の彼らには、それぞれ婚約者がいる。
平民でもあまり良いことではないが、貴族社会において婚約者がいる男性に近づくような慎ましさのない女性は、嫌悪されるものだ。
この学院に転入してきた当初から、ミアは、騎士科や経営科、特進科にいる男性にばかり積極的に話しかけて、仲良くなっていた。ミアは、最初のうちは彼らとランチタイムをともにしていたのだが、いつの間にか、フレドリックとその側近たちとランチをとるようになっていた。
ここに至るまでのミアの行動を見れば、彼女は淑女科の女生徒とは仲良くなることは難しいだろうということは、当然予想されることだ。
実際にミアは、淑女科の女生徒とは仲が良くないどころか、険悪な関係である。これは、ミアを含めた三年の淑女科の女生徒が、口を揃えて言っているので間違いない。
転入してきた早い時期から、『ミア嬢は婚約者のいる男性に近づく節操のない令嬢である』という噂が流れていたのだが、その噂はやがて『あれほど傍にいるのを容認しているのは、フレドリック殿下がミア嬢を寵愛しているからだ』というものに変わっていったのだった。
現に、カフェテリアにおいて、フレドリック殿下がミアの話を楽しそうに聞いている姿は、皆の注目を集めていたのだ。
他にも『ミア嬢が国のトップ男性三人を篭絡した』『三人は婚約者と不仲になっている』などという噂もあるが、主流なのは、『フレドリック殿下がミア嬢を寵愛している』というものだ。ちなみに三人といわれているのは、ダグラスが除かれているからだ。
婚約者のいないダグラスと恋仲であるということであれば、醜聞ではなかった。
ところが、ミア自身が「ダグラスはお友だちよ。恋人なんてありえなーい」と大声で言っているのを多くの生徒が聞いていた。それが、醜聞に拍車をかけたのだった。
いつも五人でランチをとっているのに、『フレドリック殿下がミア嬢を寵愛している』という噂が主流になっているのは、なんとも強引なことである。
それについては、おそらく、皆が口にする噂としては、一番面白いからであろうけれど。
カフェテリアでブリジットがフレドリックを連れ出した件があってから、噂はまた違うものに変わっていった。あの件以降、フレドリックとブリジットが二人でランチをとることが多くなっていったからである。
『フレドリックがミアを見限ってブリジットのもとに戻った』『嫉妬したブリジットがフレドリックを無理やり連れて行っている』
そのような噂が生徒たちの間で流れるようになったのは、最近のことだ。
フレドリックがいないことが不満なミアは、三人の側近たちに訴えた。
「フレドリック殿下は、きっとブリジット様に脅かされてるんですう。だって、最近食べる量が減ってるもの。何か嫌なことがあるんだわ」
「ミア嬢、確証もなくブリジット様に失礼なことを言ってはいけない」
「婚約者同士なのだから、何か事情があるのだろう」
「どうしてですかあ? みんなと一緒にご飯も食べられないなんて、フレドリック殿下が可哀想じゃないですかあっ」
「ミア……」
本人は普通に話しているつもりだろうが、ミアの声はかなり大きい。カフェテリアで騒ぐミアを、アーノルドとブライアン、ダグラスの三人で宥めるのはなかなかに骨の折れることだったが、なんとか落ち着かせてランチを終わらせた。
「アーノルド様、少しよろしゅうございますか」
「ああ、レイラ」
ランチタイムが終わる頃、皆が教室に移動しようとしているカフェテリアで、アーノルドに話しかけたのは、彼の婚約者のレイラ・メルセデス侯爵令嬢だ。
薄い金色の髪に緑色の瞳を持つレイラは、妖精のように美しいといわれていて、濃い栗色の髪に金色の瞳を持つ整った容貌のアーノルドと並び立つ様子は、まるで中世の絵画のようだといわれている。
「アーノルド様、週末の茶会にはご出席でよろしゅうございますか」
「ああ、レイラを迎えに行く予定にしているから、そのつもりでいてくれ」
「ありがとうございます。アーノルド様をお待ちしておりますわ」
アーノルドは、貴族令嬢らしく慎ましやかに微笑んだレイラを教室までエスコートしようと手を伸ばした。
ところが、ミアがアーノルドのその手を、はしっとつかんだのだ。
「ミア嬢、わたしの手を離し……」
「アーノルド様っ! あたしも茶会に連れて行ってくださいっ!」
ミアは、手を離すように言おうとしたアーノルドの言葉に被せるように、自分の要求を大きな声で口にした。ミアのピンクの瞳は、茶会に行けるという期待にきらきらと輝いている。まだ、一緒に連れていくとは言っていないにもかかわらず。
「ミア嬢、それは無理だ……」
「ねえ、レイラ様ばっかりアーノルド様と茶会に行くの、ずるいですう。仲間外れにしないで、あたしも連れて行ってください。いいでしょう?」
「ミア、何を言ってるんだ」
「ダグラスは黙っててよ。だって、あたし茶会って行ったことないんだもん。アーノルド様が週末に行くんなら、あたしも一緒に行けるじゃない?」
アーノルドが何か言おうとしても言葉を被せ、ダグラスが止めようとしてもわがままを言い募る。
駄々をこねて甘えるその様子は、ミアの容姿が良いために可愛らしいともいえるが、衆目の中で取る態度ではない。
そもそも貴族が開く茶会は、社交であり、情報交換の場である。招かれてもいない令嬢が参加できるようなものではない。それを、ミアは校内のサロンのように考えているようだった。
そして、レイラはアーノルドの婚約者であり、ともに社交に出るのは当然の間柄だ。それをずるいというミアの発言にも、生徒たちは騒めいた。
この状況には、周囲の生徒たちも呆れた目を向ける。もともとミアは好意的に見られてはいなかったが、事ここに至ってはドン引きとしか言いようがない。
ここで誰も注意しなければ、殿下の側近たちが男爵令嬢に骨抜きにされていると言われても仕方ない。
皆がそう思っていたのだが。
「口をはさむのは失礼ですが、一言申し上げますわ。
スバル男爵令嬢、招待されていない茶会には出席することはできませんことよ。出席できるのは、招待された方とその方の正式なパートナーと認められた方だけですわ。貴方に招待状がなく、正式なパートナーもいなければ参加することは叶いません」
「えええー、どうして、そんな意地悪を言うのお?」
「ミア嬢、グウィネス嬢は、意地悪は言っていない。本当のことだ」
ミアに正論を言い放った、扇で口元を隠した令嬢。輝く金色の髪にルビーのような赤い瞳を持つ華やかなその美女は、ブライアンの婚約者グウィネス・ジャギュア伯爵令嬢だ。
口をはさむのが失礼だと言っても、話しかけているのは男爵令嬢であるミア相手だし、アーノルドやレイラとは旧知の仲だ。
アーノルドにすれば。思わぬ助け船であったから同調した。
「グウィネス」
「ブライアン様、ご機嫌麗しゅう。このような場所で留まっていては、他の方の邪魔になりますわ。教室へ参りましょう」
「うむ、そうだな」
「わたくしも、ブライアン様にお話がございましたのに、時間がなくなってしまいましたわ」
「グウィネスのためなら、放課後に時間を取るよ」
「うふふ、ありがとうございます」
ブライアンは、グウィネスをエスコートするために手を取り、さっさと歩きだした。アーノルドとレイラも同様に教室へ向かう。皆、特進科だ。
「どうしてえ、あたしを茶会に連れて行く話はどうなったの?」
「ほら、ミア、午後の授業に遅れないようにね」
ぶつぶつとぼやいているミアにダグラスは声をかけ、騎士科の友人とともに自分の教室に向かった。
ミアを置いて。
それを最後に、カフェテリアで立ち尽くすミアに声をかけてくれる人は、誰もいなくなった。
どうして今まで親切にしてくれた人たちが自分を置き去りにしたのか、ミアにはまったく分からない。
本当はこれまでも皆が、ミアの言うことは貴族の世界にはそぐわないと、ミアの態度は貴族の社会にはなじまないと、注意してくれていたのに、まったくわからなかったのだ。
「どうしてえ……」
ミアはその場に蹲って、ぽろぽろと涙を流した。
それから、フレドリックやアーノルド、ブライアンは、ランチタイムを婚約者と過ごすようになった。そして、サロンにはあらかじめ名前を登録した者しか入れないように調整されたのだ。
ダグラスは、騎士科の特別研修に通うことになり、ランチタイムは訓練場にいる。
ミアと仲良くしてくれる男子生徒たちも、ランチタイムには自分たちの仲間と食べるからと言って、一緒に食べてはくれない。明らかに避けられている。
ミアは、転入生だから、平民だったから貴族社会に慣れるまで、などという理由でこれまで寛容にされていた。そのことにミアは、未だに気づくことができない。
皆の仲間に入れてもらえない不満を晴らすために、ミアは、ブリジットやレイラ、グウィネスといった婚約者たちを罵った。彼女たちのせいで、自分は仲間外れにされていると。
それによって、周囲から余計に避けられることになるとは思わなかったのだろう。
ミアは、ランチタイム以外には仲良くしてくれていた男子生徒たちからも、いつの間にか敬遠されるようになった。
そしてミアは、破られた教科書をごみ箱に入れられていたり、カバンが切られたりといった虐めを受けたと主張するようになったのだ。
◇◇◇◇◇
アーノルド・フェラーリ公爵令息は、十歳のときから、マセラッティ王国の王太子フレドリック殿下の側近として仕えている。婚約者であるレイラ・メルセデス侯爵令嬢は、妖精のように美しい。そして、レイラは、フレドリックの婚約者で完璧な淑女といわれるブリジット・テスタロッサとも良好な関係を築いている才媛だ。
アーノルドは、王立学院を卒業すれば宰相補佐として務め、やがてフレドリックの治世を支えるのだと思いながら、日々研鑽を積んでいた。
王立学院の第三学年になったある日、フレドリックの護衛騎士候補であるダグラスが、遠縁の男爵令嬢だというミアを連れてきた。
もとは平民として育ったミアは、世話をしていたダグラスの妹のキャサリンと仲違いをし、さらに淑女科の令嬢たちと馴染めないため、一人でランチタイムを過ごしていたという。
平民出身のミアの話は、フレドリックやアーノルド、ブライアンには興味深いもので、平民がどのように生活をしているのかがよくわかるものだった。
アーノルドは、そのうちミアは淑女科の友人ができて自分たちのもとには来なくなるだろうと軽く考えていた。しかし、ミアはいつまでたっても女性の友人を作らないばかりか、ランチタイムだけではなく、放課後のサロンにも押し掛けるようになってきた。
王太子であるフレドリックやその側近である自分たちが、特定の、それも下位貴族の女生徒と仲良くしているというのは、あまり外聞の良いことではない。個人で仲良くしているわけではないが、すでにフレドリックが寵愛しているのではないかと言う噂も立ち始めている。
レイラが自分の情報網を使って教えてくれた噂の広がり方は厳しいもので、アーノルドは頭を抱えた。
いや、それよりもアーノルドは、ある理由により、ミアとともにランチタイムを過ごすのが耐え難かった。フレドリックやブライアン、ダグラスは、そのことが気にならないのだろうかといつも不思議に思っていたのだ。自分だけでもここから逃れたいと思う気持ちは、日に日に強くなっていく。
アーノルドはその気持ちを、フレドリックへの忠誠心によって抑えに抑えてきたのだ。
これからは、噂を理由に大義名分をもってミアを引き離しにかかって良いだろう。
もともとミアはダグラスについてきたのだ。
そう考えてダグラスが他の友人とランチタイムを過ごすように画策してみたが、そうなると、ミアはダグラスを置いてこちらに寄って来る。
アーノルドやブライアンが遠回しに迷惑である旨を伝えても、ミアには全く話が通じない。
アーノルドは、自分たちからミアを穏便に引き離すことができなくて、強引な手法もやむなしと思い始めた。ちょうどその頃に、ブリジットがランチタイムにフレドリックを連れ去った。
フレドリックも心なしか嬉しそうにブリジットについて行ったので、予定の行動だったのだろう。アーノルドはそう思った。
なるほど、そういう方法があったのか。レイラを矢面に立たせるのは気が進まないアーノルドだったが、ブリジットが動いてくれるのであれば、話は別である。
放課後、フレドリックとブリジット、そしてアーノルドとレイラ、ブライアンとグウィネス、そしてダグラスがひそかにサロンに集まり、今後のことを話し合った。
◇◇◇◇◇
ブライアン・シボレー伯爵令息は、外交に力を注ぐ覚悟を持ちながら、マセラッティ王国の王太子フレドリック殿下の側近として仕えていた。もともと父親が外務大臣であったことから、外国語に堪能なブライアンは、五か国語を母語のように操ることができたのだ。
婚約者のグウィネス・ジャギュア伯爵令嬢は、実家が海外に支店を持つジャギュア商会を経営している。華やかな美女であるグウィネスは、王立学院のファッションリーダーとして実家の売り上げに貢献していることが、ブライアンにとっては自慢でもあった。
フレドリックの護衛騎士候補であるダグラスが、ミアという男爵令嬢をランチタイムに連れてきた時は、その立ち居振る舞いにブライアンは少々驚いていた。しかし、話を聞いたり所作を見たりすることは、平民の生活を知る上では役に立つだろうと考えて、しばらく様子を見ることにしたのだ。
ところが、ミアはいつまでたっても他に友人を作らない。それどころか、フレドリックやその側近である自分たちとランチタイムを過ごすことが当たり前であるかのような態度を取り始めた。ブライアンからみれば、とんだ勘違いである。
ブライアンの婚約者であるグウィネスは、女生徒の憧れの美女だ。そして、ブリジットのようにやがて王妃として君臨するわけではない、ちょうど良い立ち位置にいる。
ブライアンは、グウィネスに相談して、淑女科の女生徒たちにミアと仲良くしてくれるように働きかけてもらうことにした。
「申し訳ございません。淑女科の皆様にはいろいろ働きかけていただいたのですが、難しかったようですわ」
グウィネスは眉を下げてブライアンに詫びた。グウィネスに責任があるわけではなく、淑女科の女生徒たちが頑なだったわけではない。むしろ、ミアが淑女科の女生徒の助言を受け入れることができなかったために、友人ができないという結果になったのだった。
ミアがフレドリックの寵愛を受けているという噂が立ち始めたため、ブライアンは早く手立てを講じる必要があると考えていた。しかし、何より有効であると思っていたグウィネスの働きかけが通じなかったのだ。
アーノルドと相談して遠回しに迷惑だと伝えてもまったくミアには理解されない。
いや、それよりもブライアンは、ある理由により、ミアとともにランチタイムを過ごすのが耐え難かった。フレドリックやアーノルド、ダグラスは、そのことが気にならないのだろうかといつも不思議に思っていたのだ。自分だけでもここから逃れたいと思う気持ちは、日に日に強くなっていく。
ブライアンはその気持ちを、異文化交流を行う立場の人間として表立って口にすることはできないと考え、抑えに抑えてきたのだ。
ブライアンが、ミアを引き離すには強硬手段が必要かもしれないと考え始めた頃、ブリジットがランチタイムにフレドリックを連れ去った。
フレドリックはいつもの微笑みを浮かべていたが、その態度はいそいそとした風情だったので、自ら望んで行動したのだと思われる。なるほど、フレドリックはブリジットに相談して策を講じたのだろう。ブライアンはそう判断した。
婚約者に話があると言われれば、本人が拒否しない限りそれが優先されるだろう。
放課後、フレドリックとブリジット、そしてアーノルドとレイラ、ブライアンとグウィネス、そしてダグラスがひそかにサロンに集まった。これからのことは皆で解決しなければならないのだから。
◇◇◇◇◇
フレドリック・マセラッティはマセラッティ王国の王太子だ。いずれこの国を統べる国王となるための教育を受け、優秀な王子であるとの評価を得ていた。また、公務にも熱心で民に人気のある美しい王子である。婚約者であるブリジット・テスタロッサ公爵令嬢は、『完璧な淑女』と呼ばれ、人形のように整った美貌の才媛で、非の打ちどころのない女性だ。ブリジットも優しく美しい未来の王妃として、民に人気があった。
フレドリックは、護衛騎士候補であるダグラスがランチタイムにミアという男爵令嬢を連れて来た時には、些か場違いなのではないかと思った。フレドリックの許可を得ないで自分の親戚筋にあたる女生徒を連れてくるという行動を見て、これからダグラスには護衛騎士としての再教育を受けさせなければならないと決めた。
しかし、柔軟な頭を持つフレドリックは、ミアの出自を聞いて、平民の生活や考え方を知る機会だと考えた。
フレドリックは、この件について、ミアに友人ができるまでのことだろうと軽く考えていたのは失敗であったと、やがて後悔することになる。
ミアは淑女科の女生徒といつまでたっても仲良くならないどころか、フレドリックやアーノルド、ブライアンにすり寄るような様子を見せ始めたのだ。
そのうちに、フレドリックがミアを寵愛しているなどというような、根も葉もない噂も囁かれ始め、相応の対応が必要になっていった。フレドリックは、ミアを特別な女性だと思ったことは、まったくないのだから。
アーノルドやブライアンが、様々な対応をしてミアを引き離しにかかっているようだが、全然効果がないようだ。
いや、それよりもフレドリックは、ある理由により、ミアとともにランチタイムを過ごすのが耐え難かった。アーノルドやブライアン、ダグラスは、そのことが気にならないのだろうかといつも不思議に思っていたのだ。自分だけでもここから逃れたいと思う気持ちは、日に日に強くなっていく。
フレドリックはその気持ちを、いずれは国王になる立場の者として、民をそのように拒否してはならないと考え、抑えに抑えてきたのだ。
しかし、側近たちの働きかけが、何も功を奏しないことに業を煮やしたフレドリックは、ブリジットに相談することにした。どうしたら、ミアを穏便に引き離すことができるだろうかと。
もちろん、ブリジットにはどうしてランチタイムをともに過ごすのが耐え難いかを、正直に打ち明けた。
ブリジットは、淑女科からある程度の情報を得ていたらしい。
耐え難かったと思っていた件については、フレドリックがよく我慢したといってブリジットが頭を撫でてくれた。それは、二人だけの秘密だ。
そして、フレドリックやアーノルド、ブライアンがそれを注意しても、ミアが修正しなかったのだから、それによって離れたいと思うことは仕方ないとブリジットはフレデリックを慰めた。
「結論から申し上げますと、スバル男爵令嬢を穏便に引き離すのは、難しいことであると思いますわ」
「やはりそうか……」
「ええ、貴族としての常識というよりも、社会で人間関係を営む上での常識のない方のようですから」
ブリジットにはっきりと言い切られて、フレドリックはがっくりと肩を落とした。もちろん、こんな姿はブリジット以外には見せられないとフレドリックは考えている。
「スバル男爵令嬢はどうしても暴れると考えて、根も葉もない噂を払拭することを重要視した手立てを考えましょう。そうすれば、簡単ですわ」
ミアがその後、立ち直るのかどうかは、ミア自身の問題である。そう言って美しく微笑んだブリジットは、翌日からフレドリックの憂いを晴らすための計画をすぐに行動に移した。
ブリジットがフレドリックを連れ出した日の放課後、サロンでフレドリックとブリジット、アーノルドとレイラ、ブライアンとグウィネス、そして、ダグラスが集まって、これからの計画を立てることにした。
まず、ブリジットがランチタイムにフレドリックを連れ出した。フレドリックとブリジットであれば、公務に関する打ち合わせや王家に関する話であれば、例え側近であっても他者を交えることはできないと、生徒たちは考えるだろう。
そこでミアが理解を示すようであれば、すぐに皆が婚約者同士で行動してもよかったのだ。
本来なら、婚約者同士が過ごすことに問題はないのだが、ミアに騒がれることで『平民出身の下位貴族の令嬢だから蔑ろにした』と他の生徒に思われる可能性がある。
フレドリックたちは、とくに下位貴族の生徒の反応を考えて、慎重に物事を進めることにした。
今回ミアは、最初からフレドリックがランチタイムに同席しないことに不満を表明したので、アーノルドとブライアンが、それぞれレイラとグウィネスと行動するのは、一定の期間を開けながら進めていくことになった。
そしてダグラスは、護衛騎士としての再教育のためにランチタイムには騎士科の特別研修を受ける。
こうして、全員がミアとランチタイムをともにできない状況を作ってしまうのだ。
しかし、その計画は早い段階で崩れることになる。あろうことか茶会に行きたいとミアが暴れたため、フレドリックだけでなく、アーノルドとブライアンが、彼女から離れていく口実ができてしまったからである。
◇◇◇◇◇
ダグラスは、ミアが茶会に行きたいとカフェテリアで騒ぎを起こしたその日のうちに、家で両親であるプジョー子爵夫妻に、今後はミアの世話をするのは無理だと話をした。
これまでもダグラスは幾度かにわたって、両親にミアの行動について話をしてきた。世話をするのは無理だと言うことについても、何度も話している。
貴族としての常識から逸脱しているということを。自分の力ではミアをどうにもできないということを。
ダグラスの母は、そのたびにミアに、淑女としての心得を説いてくれてはいた。しかし、何の効果もなかったというのが実際のところだ。
ただ、ミアが来て日の浅いうちに仲違いをしたキャサリンは、常々「ミアさんには何を言っても無駄だと思うわ」と毒づいていたのだが。
最初にミアをフレドリックとアーノルド、ブライアンとランチを食べるところへ連れて行ったのは、完全に自分の失敗であるとダグラスは反省していた。フレドリックがそのことについてのペナルティを、騎士科の特別研修による再教育で済ませてくれたのは、遠縁の女生徒を押し付けられて困っていたダグラスへの同情心があったからだろう。
もちろん、二度目はないと釘を刺されている。
ダグラスは、ミアとランチタイムを過ごすのは、はっきり言って苦痛だった。
フレドリックもアーノルドもブライアンも、衆目の中にいるから穏やかな表情をしているものの、腸が煮えくり返っているのが、ダグラスにはよくわかっていたからだ。
いや、それよりもダグラスは、ある理由により、ミアとともにランチタイムを過ごすのが耐え難かった。フレドリックやアーノルド、ブライアンは、そのことが気にならないのだろうかといつも不思議に思っていたのだ。自分だけでもここから逃れたいと思う気持ちは、日に日に強くなっていく。
ダグラスは、その気持ちを、自分にフレドリックと側近のランチタイムにミアを引き込んだことの責任があることを考えて、抑えに抑えてきたのだ。
しかし、ブリジットが解決方法を提案してくれたときに、フレドリックもアーノルドもブライアンも、同じことが耐え難かったのだということがわかったのだ。
「ミアさんはね、何もかもマナーができていないの。
だけど一番ひどいのは食事のマナーよ。誰だって、ミアさんと食事をするのはいやよ」
キャサリンは、あっさりとダグラスにそう言った。
ミアの食事の仕方は、貴族としての食事マナーができていないというレベルではなかった。
カトラリーをうまく使えなくて音を立てるのは序の口で、使い方を間違えるだけでなく、ナイフを口に持っていったり、うまく切れない食べ物を手づかみにして、噛り付いたりする。
そのうえ、口の中に食べ物が入っている状態でしゃべって辺りにまき散らすのも平気だ。ミアが食事をした後は、辺り一面に食べ物のカスがまき散らされていた。
いくら顔が可愛らしくても、そのような食べ方をしていては、貴族社会では受け入れられない。
男子生徒がランチタイムだけはともにしていなかったのは、それが原因だったのだ。
フレドリックもアーノルドもブライアンも、高貴すぎて、平民の中にはそういう食べ方が通常の地域もあるのだろうかと疑いながらも受け入れてしまったのだ。たとえ、平民の頃にそのような食べ方をしていたとしても、マナーを学んでいかねばならないことはわかっていたはずなのに。
そのために、フレドリックたちは、長期にわたってミアに纏わりつかれることになった。それを嫌だと言ってしまって良いのかどうかも、そういうマナーの人間と接したことのない彼らにはわからなかったのだ。
やがて、フレドリックもアーノルドもブライアンも、注意をしてもマナーを修正できないミアに嫌気がさしたのだけれど。
それ自体は良い経験だったと、割り切るしかないだろう。
他の生徒たちが、あれほど汚い食べ方をするミアをフレドリックたちが受け入れているのは、よほど寵愛しているからだろう思っても不思議はない。
彼らはミアを全く受け入れてないし、それでなくても迷惑をしていたのであるけれども。
キャサリンは、ミアの食事の様子を見て、まずマナーを覚えるようにと基本的なことを話したそうだ。
「でもね。ミアさんはすぐに音を立てるし、手でつかんで齧りつくし、口に食べ物が入ったまましゃべるのよ。何度注意しても平気なの。そうしないと、食事ができないって言って、何度も暴れたわ」
結局それが原因で、キャサリンとミアは仲違いをして、話もしなくなってしまった。
淑女科の女生徒たちも、ミアのマナーの悪さを見ているのが耐え難くなって、距離を置いてしまったのだという。場に合わせたマナーを学ぶ姿勢すらなければ、受け入れることは難しいだろう。
ダグラスの両親もそれがわかっていたのだろう。プジョー子爵家では、ミアはいつも侍女に付き添われて一人で食事をしていた。ダグラスだけが、学院のカフェテリアでミアとランチを食べるまで知らなかったのだ。
どうして事前に教えてくれなかったのか。それによってダグラスが両親を恨んでも、仕方ないことだろう。
◇◇◇◇◇
ミアは、破られた自分の教科書をごみ箱に入れられていたり、カバンが切られたりといった虐めを受けたと教師に訴えた。そして、犯人はブリジットとレイラとグウィネスだと、そう訴えた。
自分の婚約者がミアに夢中になったから嫉妬したのだと。
教師は調べてくれるといったものの、ミアが名前を出した人物は犯人ではないという返事が返って来た。
そんなはずはないと、ミアは教師に何度も何度も抗議した。彼女たちが意地悪だから、ミアは王子様とランチを食べられなくなったのだと。彼女たちはミアに嫉妬していると。そして、虐めをしていると。
教師はそのうち、ミアを相手にしなくなった。
ミアは、今、カフェテリアで一人でランチを食べている。一緒に食べてくれる人は誰もいない。
どうして、どうして、どうして。
ミアは、どうして自分がひとりぼっちになったのか、わからない。
あんなに楽しくて幸せだったのに。
麗しい王子様も公爵令息も伯爵令息も、みんなあんなにやさしくしてくれたのに。
そんな思いばかりが、ぐるぐると頭の中をめぐる。
ちやほやしてくれた男の子たちも、誰も近づいて来なくなった。目も合わせてくれなくなった。
話しかけても適当に誤魔化される。ミアはたくさん話をしたいのに、誰も聞いてくれない。
ミアはどうしたらいいのかわからない。こんなことなら、王立学院になんて来るんじゃなかった。泣いてもどうしようもない。
あと半年ほどの辛抱だと、ミアは唇を噛んだ。
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